『歌いたい』‐きたりえの視点(13)

13.2014.12.31‐心のプラカード、鼻ピーナッツ、リスタート


 大晦日。

「来年は全グループが紅白に出ることはできないでしょう」

 みなみは本番を目前とした全体(総勢300人近い)の円陣の輪の中でそう言った。

 里英は、紅白歌合戦が終わった後も、みなみのその言葉が海底にしっかりと食い込んだイカリのように里英の心の中の何かをいつまでもとらえて離さないことを意識せざるをえなかった。

 AKBグループは互いに補助し合いながら規模を拡大していき今に至る。

 AKBグループは巨大な一つの輪のような組織だ。

 その中から高橋みなみという要がいなくなる。

 それが今後どのような影響を及ぼしていくことになるのか、今はまだ計り知ることができない。

 ただひとつ言えるのは、AKBグループはおそらくあと1年で、今までにない新たなフェーズへと突入する。里英はその予感を感じた。

「はい、それでは」

 大家志津香がピーナッツを手に取り、重々しく言った。

 里英は黙ってうなずく。

 里英が長年のAKBでの活動で学んだ大切な教訓がある。“時には非情にならなければいけない時もある”ということだ。

 例えその対象が先輩であっても。

 里英は倉持明日香を両脇から抱え込みがっちりと抑え込んだ。

「いや…!やめて!」

 明日香が髪を振り乱し悲痛な声を上げる。

「倉持ー、いまさら逃げようったってそうはいかないけんね」

 志津香が冷徹な笑みを浮かべて明日香に詰め寄る。

 志津香のピーナッツを握ったその手は、明日香の鼻(数々の不埒な業を重ねてきた鼻だ)ににじり寄る。

「こら、倉持嫌がるなー。あと3分しかないけん!」

 志津香はそう言って無理やり明日香の筋がきれいに通った鼻にピーナッツを詰め込もうとする。

 日付が変わるまであと3分。

 日付が変われば、年が明ける。2015年だ。

「もう…、やめてって言ってるでしょう!」

 明日香は里英の腕を振りほどき、志津香の手を払った。どうしてやりたくないらしい。

「ちぇっ、しょうがないなー。じゃありえこ、やるよ」

 志津香は口をとがらせて言った。里英のことは“りえこ”と呼ぶ。

「はいよ!」

 里英は躊躇なく鼻にピーナッツを詰め込む。

 志津香もそれに続く。

「あなたたちアイドルを捨てすぎだよ…」

 明日香があきれたように言う。

 今年1年が終わる。

 シビアでハードな多くのことがあった1年だった。里英にとっても、AKB48にとっても。

 それでもこうしてなんとか乗り切ることができた。

 今はその喜びを形として表現しておきたいのだ。表現として適当であるかは分からないが、なによりも笑って年を越せるということが大切だ。

 つらく険しい道のりの途中でも道端に咲く花を心に留めるように。どんな時でも楽しいことを見つけること、その大切さが里英にとって身にしみた1年だった。

 先のことなんて今は考える必要はない。インターネットに流布するあれこれを気にする必要もない。

 結局のところ、それはパソコンやスマホの中での出来事であって、現実や真実はもっと別のところにある。

 ネット上で言われることなんて気にしてもしょうがないし、楽しいと思ったことをした方がいい。

 楽しく笑って年を越すこと、それ以上に必要なことが、いま他に存在するだろうか。
 
「よし、あと10秒!マネージャーさん、カメラはオッケー?」

 志津香が鼻声で言う。

 マネージャーがカメラを構えてOKサインを出す。

「あと5秒!…4…3…2…」

 カウント1で里英と志津香は口から息を吸い込み、思い切りのけぞる。

 そしてカウント0で鼻から息をめいっぱい噴出しピーナッツを飛ばした。

「いえーい!ハッピーニューイヤー!」

「新年あけましておめでとうー!」

「おめでとー!」

 里英と志津香と明日香は口々に言った。

「どうだった?うまくムービー録れた?」

 里英がマネージャーを急かしてスマホを確認しようとすると、マネージャーは気まずそうに口ごもった。

「あっ!ピーナッツ噴き出す瞬間で終わってる!」

 里英がムービーを確認すると、まさしくカウント0になる直前、里英と志津香が上体をのけぞらせているところで撮影が終わっていた。

「あははは。2人ともどんだけ気合い入れて飛ばそうとしてるの」

 明日香は涙をにじませるくらい笑っていた。

「りえこのこの顔けっさくだなー」

「しーちゃんこそ。完全にゴリラだわ、これ」

 志津香も里英も腹の底から笑った。

「さあさあ、ANNの準備するよ」

 年が明けて15分ほど経っても、いつまでもくだらない話で盛り上がる里英と志津香を尻目に明日香が言った。

 紅白歌合戦が終わったあと、3人は決して鼻にピーナッツを詰めてそれを動画で撮影するために放送局まで移動してきたわけではない。

 新年早々のANNをこの3人が任されていた。この3人がそろったANNがおもしろくならないはずがない、と里英は思う。

 新年最初の仕事が始まった。

 ANNは予想通り、いや予想以上に盛り上がったように里英は思う。新年初回を飾る放送としては、いささか身内的な盛り上がりになってしまったことは否めないが、とにかく楽しかった。

 事務所から怒られそうな言動もいくつかやってしまった気がしなくもなかったが、里英は気にしないことにした。

 生放送だったし、終わったことはもうどうしようもない。

 放送中に里英が発言したように、里英にとって今年は飛躍の年に、少なくとも周囲の環境が大きく変わる年になる予感がしている(放送中の数少ない真面目な発言のひとつだった)。リスタート。


 里英はタクシーを待つ間、放送局の外になんとなく出てみた。

 不思議とまったく寒さは感じない。人通りは全くなく、道路を走る車もほとんどない。

 里英は、年の明けた東京の未明に、自身の変化を感じていた。これから、今年1年かけて何が起こるのかと考えると、胸の奥底からじわじわと嬉しさが沸き起こってきた。

「しーちゃん」

 里英は志津香に呼びかけた。

「楽しい1年になりそうな予感がしない?」

 夜空をぼうっと見上げていた志津香は里英に向きなおった。

「私たちがそろえばいつだって楽しい時間になるよ、りえこ」

 志津香はそう言って大きなあくびをした。かなり眠いらしい。

 考えてみれば、紅白歌合戦の準備のため朝早くから活動してきて、午前3時過ぎの現在に至る。眠くなるのは当然だ。

 里英も眠気がだんだんと忍び寄ってくるのを感じた。

 それでも里英は、毛布にくるまること以上に始まったばかりの1年に心を躍らせていた。

続く

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