さやみるきー(1)
0.プロローグ
「七海、もう帰るの?」
美優紀は帰り支度をしていた少女に向かって言った。
七海と呼ばれた少女は美優紀の方を振り返り、「帰ります」と言って頷いた。
美優紀は首を振った。
「あかん。今日は最後に新曲やるから見ていって」
「はい」
七海が素直な表情でそう言うと、美優紀はいつもの笑顔を見せて、七海の頭に優しく手を置いた。
その時、彩は東京から大阪に向かう新幹線の中で、美優紀のことを考えていた。美優紀とともに活動してきた日々のことを。
彩を運ぶ新幹線は、沈みつつある夕日の中を猛スピードで駆け抜けていった。
しかし新幹線がどれだけ急ごうと、背後から迫りくる夜の闇は、いずれ彩もろとも全てのものをその手に包み込んでしまうのだった。
***
1.始まり
彩は自宅のソファに寝っ転がって、迷っていた。
母親に勧められたことをきっかけに、一応受けてみるかと申し込んだオーディションの最終選考日。
別にアイドルになりたい訳ではなかった。
むしろ自分はアイドルだなんていう柄ではないと思っていた。
仮に受かったとして、こんな迷いのある状態でやっていけるのだろうか。
そう思うと彩の体はいつまでも玄関に向かわず、リビングのソファでテレビのリモコンをあてもなく弄んでいた。
だから、結局母親に押し出されるようにオーディション会場に行き、実際にNMB48の1期生として合格した時は、喜びよりも戸惑いの感情の方がずっと大きかった。
やっぱり辞退しようかな。
彩は合格者の番号が書かれたホワイトボードを眺めながらそう思っていると、女の子2人が彩に駆け寄ってきた。
「あんたの番号もあるやん!」
「うちらも受かったで!」
今まで何回も選考を重ねてきたので、もうここにいるほとんど全員が顔見知りだ。
駆け寄ってきた2人は泣きながら喜び合っていた。
彩は周りを見回すと、ほとんど全員が泣いていた。喜びの涙、もしくは悲しみの涙。
合格した人がいれば、当然そうでない人もいる。
それまでの選考でも、多くの女の子たちが涙しながら会場を去っていったことを彩は思い出した。
ここで辞退したらその子たちに対して失礼や。
彩はNMB48のメンバーとなることを決めた。
*
それからの日々はあわただしくなった。
たくさんの書類を書かされ、レッスンがあり撮影があり、かと思えばいきなりスタッフからこんなことを言われた。
「2日後に東京に行きます。その日に行われるAKBのイベントがあなたたちのお披露目です」
メンバーは皆興奮してざわついた。中には感動のあまり涙する者もいた。
ずっとアイドルになることを夢見てきた子にとっては、お披露目というのはひとつ夢が形になることなんだろうな、と彩はその子らの心中を察した。
翌日、彩たちは東京へ向かうバスに乗り込んだ。
朝早くに東京に着くようにするため、バスはイベント前日の夕刻に出発する。
彩の相席となったのは渡辺美優紀だった。
先に美優紀が窓際に座っていた。
彩が席の前まで来ると、美優紀は人懐っこい笑顔を見せた。
彩もはにかんだ笑顔を返した。
美優紀はオーディションの時からとても目を引く存在だったことを彩は覚えていた。
綺麗な黒髪と透き通った白い肌。すらっと伸びた長い手足。愛嬌のある整った顔立ち。他の候補者とすぐに仲良くなる人当たりの良さ。
どれもこれも自分には無いものばかりだな、とオーディション中に彩は思っていた。
そして、確かなダンススキル。
ひそかに彩は、合格したメンバーの中で一番ダンスがうまいのは美優紀だろうと感じていた。
彩もダンスを得意としていたが、美優紀の軽やかで流れるような身のこなしは自分には無いものだなと思った。
こういう子がきっと生まれながらのアイドルなんだろうと彩は妙に納得するところがあった。
彩が席に着くと、美優紀は彩の方を向いて言った。
「彩ちゃん。長旅になりそうやけど、よろしくな」
美優紀は白い歯を見せて、ニコッと笑った。
(続く)