『歌いたい』-きたりえの視点(15)
15. リクアワ ‐ チーム8 - さしこちゃん
リクエストアワー。
48グループの楽曲の祭典だ。
里英はこのイベントが、数ある48グループのイベントの中でも特に好きだった。
始まりから現在までの歴史とつながりを感じられるイベント。
里英がセンターを務める曲を披露する機会をファンが与えてくれるイベント。
それから、ほかのメンバーたちが楽曲を披露している間、ひな壇で楽しく盛り上がることができるのも里英が気に入っている理由の一つだ。
今日は3日。
秋に撮影・収録した『歌いたい』がランクインした。
今回はMV撮影に参加できなかった大家志津香も一緒だ。
出番前の舞台袖で、阿弥がマイクを両手でぎゅっと握りしめ、まっすぐステージを見据えていた。
里英はそんな阿弥に話しかけた。
「阿弥ちゃん。嬉しいね。この曲がランクインできて」
阿弥は里英を見て微笑んだ。
「はい、嬉しいです。でもなんだかちょっと申し訳ないような気持ちで」
「申し訳ない?どうして」
里英の問いに阿弥はどう言ったものか、少し迷ったようだった。しかしすぐに話し始めた。
「私は今までずっと自分のために、何事も活動してきたような気がします。できるだけ上に行けるように、結果を残せるように。結果こそがすべてだと。そのためなら孤独になったって構わないと思っていました。
今の自分のことで精いっぱいで、周りのことなんてあまり気にかけてこなかったし、未来へ未来へと、いつも考えが先行していました。
だから、この曲についてブログに書いた時も、…こんな良い曲を歌えるんだってことをもっと伝えればよかったなって思うんです。今の幸せについて、もっと語るべきことがあったんじゃないかって」
「でもちゃんと伝わってたからこうしてランクインできたんじゃないかな」
阿弥はうなずくように少しうつむいて、しみじみと言った。
「MV撮影はすごく貴重な体験でしたね。心の中のとてもとても深い部分の、大切なことを思い出した気がします。この気持ちをいつでも忘れることなく持っていられたら、決して迷うことなく歩んでいけるんじゃないかって、そう思いました」
「うん」
「あの時は、MVの最初のうちは、やっぱり私は周りのことは気にかけてませんでした。
でもきたりえさんや梅田さんがほかのメンバーをフォローしてるのを見て、私もきたりえさんたちを見習わなきゃと思いました。
一人でできることなんて限られてる。一人で何かを勝ち得たって、一緒に喜び合える仲間がいなければ味気ないなって。
みんなで力を合わせることで達成できることがたくさんあるんだって、あの時実感しました。きたりえさんのおかげです」
「ううん、そんなことないよ」
里英は首を振った。
「あの曲は阿弥ちゃんがセンターだからこそ、よりメッセージ性の強い曲になったんだと思うな。
多くのメンバーは、あの舞台設定と同じように、無力感と孤独に捉えられて心を閉ざしてしまうこともあった。…少なくとも私はそういう時もあった。
そんな中で阿弥ちゃんはちょっと違ったんだと思う。阿弥ちゃんは孤独に打ち勝てる強さがある。だからこそ今までずっと頑張ってこれて、それを結果に結びつけることができた。
そういう阿弥ちゃんの強さは私には全然ないものだから、正直うらやましい」
里英は少し顔をしかめて言った。
「きたりえさん…」
「さあ、そろそろ出番だよ!」
里英は阿弥の手をそっと握った。
かつて、誰もいない荒廃した舞台で歌われた歌、誰かに届くことを信じて紡がれたその歌は、今は満員の観衆に向かって、多くの人に望まれて歌われる。
*
2日後。リクアワ最終日。
午前の部はすでに終わり、残すは午後の部のみ。
里英はリハーサルの雰囲気が好きだ。
まだ観客のいない客席。断続的に響き渡る音響。あちらこちらでテキパキと会場準備を進めるスタッフたち。そしてスペースがあれば至る所で、歌詞を覚えて、振りを体にいれて、MCの内容や段取りを打ち合わせるAKBグループのメンバーたち。
この大所帯で、一つの区分された時間の中でエンターテイメントを提供する。そのための準備をしている。
里英はふと、スタンド正面の客席に一人腰を下ろす人影を見つけた。彼女は猫背気味に座り、身動きをほとんどしなかった。
物思いにふけっているようにも見えるし、眠っているようにも見えた。
視線の端でその影を認めた時から、里英にはそれが誰だか分かっていた。
里英は彼女のそばへと向かった。
通用口を抜けて、里英は再び彼女の姿を見つける。衣装の上からパーカーを羽織ってうつむくその後姿は、とても疲れているように見えた。
里英は気づかれないように歩み寄って、静かに隣の席に腰を下ろした。
里英が隣に座っても彼女は顔を上げることなく黙って座ったままだった。
正面に見えるステージでは、チーム8のメンバーたちが集まってきたところだ。
「よろしくお願いします!」
と、硬い若い声をそろえて周囲にあいさつをしている。
遠くに見えるその子たちは、先輩メンバーたちに見守られて緊張しているようだ。多くのメンバーが肩に力が入っていて、マイクを両手で握りしめながら舞台監督の指示を聞いている。
そしてその指示の一つ一つに律儀に「はい」と返事をしている。
チーム8のメンバーの何人かは、里英とMCも一緒にやることになっている。
さきほど、彼女たちとその打ち合わせをした。
みんなかわいくて、一生懸命でとても良い子たちだ。
里英は心の中で「がんばって」とつぶやいた。
ふいに、里英のとなりの彼女が少し顔を上げてけだるそうに口を開いた。
「りえちゃん。あの曲なんていう曲名だったっけ?」
「あら、りのちゃん。私が座ってること、気づいてた?」
里英がそう返答すると、指原莉乃はゆっくりと身を起こし、背もたれに身を預けた。
そのぼうっとした表情は、どこを見るともなく正面を向いていた。
「うん、気づいてた。アリーナからこっちに向かってくるのが分かったもん」
莉乃も遠くから、里英の存在を認知していた。里英はそのことになんとなくおかしみを覚えて、フッと微笑んだ。
「で、あの曲って?」
「ほら、おととい…昨日だっけ?りえちゃんとか大家とかもっちぃとかが歌ってた曲」
「うーん、たぶん『歌いたい』かな。おととい披露したね」
里英はサビのフレーズを歌ってみせた。
莉乃は里英の不安定なメロディーを聴いて苦笑した。
「りえちゃんの歌じゃ分かりづらいけど、たぶんそれだわ。いい曲だったね。もっとちゃんと聴いてみたい」
「ミュージックビデオもかなりいいよ。是非りのちゃんにも見てほしいな」
それから少しの間があった。
ステージ上ではチーム8のメンバーがステージへの入り方や立ち位置の指示を受けている。
「大丈夫?かなり疲れてるみたいだね」
里英は莉乃に言った。
莉乃は軽くため息をついた。
「ううん、いつも通りだよ。ちょっと時間が空いたからぼーっとしてただけ」
「そう」
そのうち、チーム8の曲が流れはじめた。
若い子たちが、まだリハーサルにも関わらず精いっぱいの歌とダンス、精いっぱいの笑顔を見せて動いていた。
一人一人の動きは未熟だが、一体感がある。
スタンド席にいる里英にも、そのがんばりは心を揺さぶられるほど伝わってきた。
ホール中のメンバーとスタッフが、打ち合わせや作業の手を止めて、そのパフォーマンスに見入っていた。
里英の心も、初心を思い出すような懐かしい気持ちで胸が熱くなった。
「すごいね」
莉乃がぽつりとつぶやいた。
「あの子たちはまだ活動を始めたばっかりで、ダンスも歌も決してそこまで上手ってわけじゃないのに、なんでこんなにひきつけることができるんだろう。不思議」
莉乃の疑問に里英は無意識的に答えた。
「信じているからだよ」
里英の言葉を受けて、莉乃ははじめて里英のほうを向いた。
「信じているから?」
里英はステージのほうを向いたまま、コクリとうなずいた。
「そう。あの子たちは信じている。AKBでの活動をすべて肯定的に受け入れてる。少なくとも今のところはね。いまここで頑張った先にはきっとすばらしい未来があると信じてるんだよ。
頑張れば頑張った分だけ嬉しいことが待ってて、夢もかなって、応援してくれるファンも増えていくと信じてる。
だから今この瞬間を目いっぱい頑張れる。その純粋無垢さが透明な光のように見ている人たちの心を打つんだよ」
「なるほどね」
莉乃は鼻をすするような音をたてて、くちびるを噛んだ。
「私たちにもたぶんそんな時代があったんだよね」と里英は言った。
「信じた先の未来」
莉乃はつぶやくように言った。莉乃はずっと里英のほうを見ている。
「私たちはすばらしい未来を手に入れることはできたのかな?」
里英はふっと笑って、莉乃と顔を合わせた。
「りのちゃん、私は気づいたんだ。本当の幸せは、そのすばらしい未来を追いかけている過程にこそあるんだって」
莉乃はそう言った里英の顔を数秒間見つめていた。その顔はなんだか幼い少女のように里英には見えた。
「そっか。そうだよね」
莉乃はそう言って再びチーム8のステージに視線を戻した。
曲は、各メンバーが自分の出身県を叫ぶという間奏を終えて、大サビに入るところだ。
チーム8が今その瞬間を全力で踊っている。
里英は莉乃の横顔を黙って見つめていた。
すると、莉乃の目から涙のしずくがこぼれ落ちた。里英はそれを見逃さなかった。
莉乃は下を向いて、体を小刻みに震わせながら泣く。
里英は莉乃をそっと抱き寄せる。
里英は莉乃の両手をそっと握り、頭と頭をくっつけた。
そして優しくささやきかけた。
「大丈夫。私たちはまた新しい未来を目指せるよ」
莉乃がかすかにうなずいたのが里英には分かった。
(完)