『歌いたい』‐きたりえの視点(12)
12.2014.12.8 ‐ 永遠より続くように
12月8日、午後4時頃。
里英は途方に暮れていた。
本番前の楽屋は混雑を極める。
メンバーの人数が多すぎて座る場所もほとんどなく、さまざまな声が飛び交いざわめきが絶えることはない。
あちらでは化粧品を貸してくれ髪をアレンジしてくれとメイクで忙しく、こちらでは弁当やお菓子を食べて雑談する一群があり、また別のところでは今日披露する曲の振付やMCの確認に余念がなく、はたまた、ただ単にふざけあって大笑いしてはしゃぎまわっているグループもある。
カオスだ。
そんな中で里英は、一人のメンバーを探していた。
しかし、このお祭り騒ぎの中で一人の特定のメンバーを探し出すことは困難を極めた。
後ろ姿の似ているメンバーがいても人違いで、その子がどこにいるか知っているか聞いても、さあ分からない、さっき見たような気がするけど、などあまり参考にならない答えばかりが返ってきた。
その子がはたして今日の公演に出演するのか、里英はそれすらもいまひとつ確信が持てなくなってきた。
本番まであまり時間がない。探し出すのはもう無理か、と里英が諦めようかと考えた時に、視界に黄色いかぶり物が入ってきた。
レモンのかぶり物だ。
そういえばテレビ番組の企画でレモンの着ぐるみを着て踊るようなものがあった気がする、と里英は思った。
レモンといえば、市川美織、フレッシュレモンが思い浮かぶ。
しかし市川美織はすでにNMB48のメンバーだ。今日この場にはいない。それならばいったい誰がレモンのかぶり物なんかをしているのだろう。
里英は気になり顔をのぞいてみた。
ほっそりとした長身で、大きな目をした阿部マリアだった。
「あ、りえさん。おはようございます」
マリアはにこやかにあいさつをした。夕方でもあいさつは「おはようございます」だ。
「おはよう、まるちゃん。どうしたのその格好は」
「10期でやるんです。離れ離れになってしまったみおりんに贈る曲です」
里英の問いにマリアは照れ臭そうに答えた。
「なるほど、じゃあ10期の子はみんなその格好なんだね」
「そうです」
「ん、ってことは」
里英はあることに思い当った。
里英が探している彼女も10期生だ。そういえば。
「ねえ、まるちゃん」
里英はマリアに言った。
*
「あんにん!」
里英は、レモンのかぶり物から長い綺麗な髪の毛をおろした後ろ姿に声をかけた。
入山杏奈は、まだ緞帳が下りているステージの上に一人たたずんでいた。
天井から降り注ぐLEDライトが色白な杏奈の白さをさらに際立たせていた。
「きたりえさん」
杏奈は大きな目を見開いて里英を見た。
「やっとみつけたよ、あんにん。そんな恰好してるとは思わなかったから探すのにかなり苦労したよ」
「私になにか用でしたか」
里英はうなずいて言った。
「あんにん、誕生日おめでとう!あんにんの誕生日って私の弟と誕生日一緒なんだよね。今度プレゼントあげるね」
杏奈ははにかんだ笑顔を見せた。
「ありがとうございます。弟さんと一緒っていうの毎年聞いてますよ」
「そうだったね」
里英は苦笑した。
ステージ上は楽屋と違い、ほとんど人もいなく静かだった。
杏奈はステージの真上の照明を見上げたり、床に貼られた立ち位置の目印に目線を落としたりしていた。
里英も釣られて視線を下に落とすと、ステージの床には無数の傷がついていた。AKBが始まって以来、9年間メンバーがそこで踊り続けていたためにできた傷たちだ。
その中にはきっと里英や杏奈が知らないうちにつけた傷もあるはずだ。
杏奈は緞帳の前まで歩いて行き、左手で隙間をつくり幕の間からそっと客席を眺めた。
まだ客の入っていない空席が並んでいる。
里英は杏奈の後ろ姿に声をかけた。
「緊張する?」
「はい、とても」
杏奈は振り返って言った。
「久しぶりのステージなので」
「そうだよね。緊張するよね。…でも本当に、来年もあんにんが笑顔で過ごせる1年になったらいいな」
「はい。そうします、きっと。きたりえさんも笑顔で過ごしましょう」
杏奈はほほえみを浮かべ、レモンのかぶり物からこぼれる前髪を左手でかき分けた。
*
「私、高橋みなみは…」
AKB48の9周年を記念した劇場公演の舞台上で、高橋みなみは1年後に卒業するということを公に予告した。
そしてみなみは、自らが座する総監督の次期就任者に横山由依を指名した。
里英は、驚きとまどうことなく、それらの発表をごく自然に受け止めることができた。
里英はそっと目を閉じる。
何よりも先に里英が抱いた感情は、多くの責任を一人で背負い抱え込んできたみなみがやっとそれを下ろせる日が来るということに対する安堵だった。
里英は今すぐみなみの小さなその体を抱きしめたいと思った。
みなみが背負ってきたその孤独を少しでも癒せるのならば。
ステージ上には何十人というメンバーが立っている。その多くはみなみの言葉を受けて神妙な顔をしている。不安に思っているのかもしれない。
里英自身はとても安らかな感情を抱いていた。何よりもみなみへの感謝の気持ちが心に満ちていた。
高橋みなみがいたからこそ、里英はここに導かれてAKB48のメンバーとなり、今この場に立っているのだと思った。
ありがとう。
里英は心の中でそっとつぶやいた。
里英は、指原莉乃がこの9周年公演に参加していないことを強く残念に思った。
もし、莉乃がこの場にいたならきっと里英と同じ気持ちを抱いていただろう、言葉にしなくとも深く共感しただろう。
いや、そうではないかもしれない。里英は考え直した。
ただひとり、莉乃だけはみなみと同じ種類の立場にいるメンバーだ。
HKTの支配人を兼任している莉乃は一メンバーでありながら他のメンバーをプロデュースする役割も担っている。
役割は違えど、莉乃にのしかかる責任(のようなもの)は、みなみと類似するものであり、その重量も同等であるかもしれない。
みなみや莉乃の立ち位置には、里英には踏み越せない一本の線が引かれていると里英は感じた。
他のメンバーには決して分かりえない孤独。
由依にその座を引き渡すことにさえ、みなみを苦痛にさいなませる孤独。
その孤独の深淵をのぞきこもうとすると、里英の背筋に寒気が走るようだった。
そして今度は横山由依がその孤独を引き受けることとなる。由依は里英と莉乃にとっては末っ子の妹のような存在だ(もちろん長女は大島優子だ)。
由依は少し頑固すぎるきらいがあり、不器用な子だ。しかし強くしなやかな芯の通った心と人懐っこい気質は先輩、後輩にかかわらずひきつけるものがある。
そんな由依ならば、もしかしたら孤独の淵に追いやられることなく、別の方法を選ぶこともできるかもしれない。
由依はどのような困難からも決して逃げない人間だ。
里英はそんな由依を全面的に信頼している。
みなみが卒業した後のAKBを由依が取りまとめる。それをできるかぎり支え、若い世代にAKBを受け渡すこと、それが私の使命だ。里英はそう感じた。
続く