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淡々と続けること。
ついさきほど、北秋田でマタギをしている織山英行さんのこの記事を読んで、なんだかジーンとしました。
とくに、ここ
毎朝同じ時間に畑に向かい、地道に手入れを続ける。畑仕事ではなく「土いじり」と呼んでいた日課。ふつうの野菜を、生活の一部として黙々と育てている。その当たり前を思い返していくうちに、自分が当たり前だと思っていた“生活の意味”が揺らぎました。「収穫の先に収益や成果がないなら、なぜ続けられるんだろう」と。
ただ、「何かを続けることそのものに喜びがある」という暮らし方が、確かに地方には息づいている。それを見ているうちに、こちらまで静かな熱をもらった気がしました。
そこには常に孤独がつきまといます。
失敗するかもしれない、誰にも認められないかもしれない――それでも淡々と続けていくうちに、ふと振り返れば小さな発芽を見つけることがある。それがいつか祭りのような大きな渦になって、多くの人を巻き込むかもしれない。あるいは、何も起こらずひっそりと終わってしまうかもしれない。それでも後悔はないと笑う人の姿に、私たちは思わず心を動かされるのです。
地方に根付くこの「淡々と続ける力」は、今の社会において意外と大事なヒントを秘めているように思います。
何か大きな計画や派手な手法がなくても、まずは“自分がやりたいこと”や“守りたいもの”に向けて、周囲の目を気にせず一歩を踏み出す。
成功や失敗に一喜一憂するのではなく、続けることで得られる喜びや、人とのささやかなつながりを大切にする。
そんな生き方を選択する人が増えたとき、実は地方だけでなく、日本全体がゆっくりと変わっていくのではないか――私はそんなふうに考えています。
昨日ある人に
「流域探検隊うじたわら って、えらい壮大なビジョンやけど、
どこで収益を得るの?法人化はするの?」
と、質問されました。
「『あるもん』でできることをするだけなので、そんなにお金はいらないですし、今後力がついて、もっと大きなことがやりたくなったときに、法人化とかも考えるでしょうが、今は、足もとでできることをコツコツとやっていこうと思っています。」
とこたえたものの、いまいち腑に落ちておられない様子。
どう伝えたらよかったのかなー
と考える中で、織山さんの言葉に出会ったのでした。
次、同じことを問われたとしても、うまくこたえられるかどうかは謎ですが、まーそれも、言葉ではなく「淡々と続けること」で伝わる人には伝わるのかもしれない・・・
と、思ったのでした。