
結果はコントロールできるという傲りと突然襲いかかるレンガ
成功体験と大いなる勘違い
僕の人生前半での大きな成功体験は慶應義塾大学の合格でした。小さい頃からスポーツも勉強もできる子どもでした。特に足が速く、保育園ではぶっちぎりで一番でしたし、小学校は規模は大きくないけど学校代表として選ばれたり、中学校ではテニス部で2年生から引退まで地元の市大会で優勝し続けました。勉強でつまづいた記憶もなく、中学最初のテストは全て95点以上で学年上位だったと記憶しています。こんなんだから自己肯定感は高かったんですが、大学の合格は格別でした。自慢みたいで嫌なスタートをかますという…笑
とはいえ、文武両道は中学までで高校はバンドに明け暮れてました。部活もろくにせず、勉強なんかするわけもなく、高校卒業後はしばらくフリーターをしていました。生活が行き詰まって予備校に入ったときに、どうせ大学を目指すなら日本で一番のとこがいい、という幼少期からの成功体験を引きずったアホみたいな理由で慶應を目指すことにしました(東大は受験科目が多いので選択肢から外しました)。とはいえ、勉強してこなかった高校3年間の生活が尾を引いて予備校の授業には集中できず、友達と授業を抜け出してよくカラオケに行ってたし、そもそも予備校の授業もレベルが高すぎてチンプンカンプンだったし、勉強のやり方も完全に忘れてました。結果的に、予備校の近くの一番近い書店に行って、超初歩的な勉強の本を探すところからスタートすることにしました。そして、英語の教材として買ったのがこの本。世界一簡単って響きがステキです。

そして、勉強のやり方も本当にわからなかったので、受験勉強や慶應合格のハウツー本を読み漁ったことが合格への道を切り開いてくれました。いわゆる、勉強法の勉強です。これを受験初期にできたことが本当に幸運でした(高校で勉強しなくてよかった笑)。そこから受験勉強も一筋縄ではいかなかったんですが、そこはすっ飛ばして、無事合格することができました。もちろん僕は嬉しくて有頂天でしたし、慶應を目指すことに反対していた両親も手放しで喜んでくれたし、毎日のように親戚に電話しててお祝いムードがしばらく続いたし、当時の彼女も彼女のお母さんも凄く喜んでくれました。
受験勉強って、志望校を決め、受験科目、各科目の出題範囲と傾向をつかんで、合格点数を取るように日々勉強(暗記と反復)をするというただこれだけなんです。つまり、逆算のアプローチ。これを戦略と呼ぶのかもしれません。自分の日々の行動が良い結果を導いた→逆算的なアプローチで成功することができる→自分の努力によって結果をコントロールした、こんなマインドが合格から約20年もの間、僕のマインドを支配することになります。確かに、毎日勉強したことが合格に繋がったとは思っています。ただ、この年になってようやくわかったことは、この合格という結果は、努力の積み重ねという前提は必要ではあったけど、最終的にはマッジでたまたまで、運的な要素が大きかったということです。逆算のアプローチというそれだけの要素で上手くいった訳ではなく、本当は複数の要素が複雑に絡み合って結果として現れたに過ぎません。そして、その要素が何なのか全てを解き明かすことはできない、つまり、ブラックボックスだから、僕はそれを「運」と呼んでいます。まぁそういうことに気づける訳もなく、慶應の合格という当時の僕にとって大きすぎる成功を掴んだ瞬間から、僕の大いなる勘違いもスタートしてしまいました。
役に立ち過ぎてしまった逆算的アプローチと長引いた勘違い
逆算的なアプローチで結果はコントロールできる!というバイアスを持った状態で大学生活をスタートしたので、当時流行っていたiPod、そこから夢中になったAppleという会社やそのプロダクト群、そこから関心が高まったシリコンバレーやIT業界、サークル活動で勉強していたマーケティング、趣味の映画や音楽、ファッションまで、すべてをその「メガネ」で見てしまい「なんで成功したのか?」ばかりを追いかけていました。AだからBみたいなシンプルな図式を無意識に探して、勝手に納得して賢くなった気になっていました。今では、コテンラジオという歴史を面白く学ぶことができるPodcastを通して、ホモ・サピエンスという人間の複雑性、そして、無数の因子が複雑に絡み合って社会が形成されているということが少しずつわかってきたんが、当時は僕たち人間は結果をコントロールできると信じて疑っていませんでした。成功と言われている結果や現象はあくまで一つのケースでしかないし、再現性はないことが多いし、そのくせにそれを紹介しているニュースや記事や本は、あたかも〇〇をしたから成功した、と言わんばかりに後出しジャンケンで要素を繋ぎ合わせてストーリーを作り上げます。それも解釈の一つでしかないにも関わらず。
逆算的なアプローチの有用性と、結果はコントロールできるというマインドは全く相容れるものではないんだけど、僕の場合、逆算でやっていくと上手くいくことが多く、更に勘違いをブーストさせてしましました。
結局大学は中退し、その後帰省して塾を立ち上げたときも、テニスコーチをしてたときも、海外旅行に行くときも、有田焼の会社でプロジェクトマネジメントしたときも、いいかねPaletteでイベントの企画運営するときも、目標を決めて、要素分解をして、必要なものをリストアップして、マイルストーンを設定して、小さなタスクに起こし込んで日々行動するという逆算的なアプローチはものすごく役に立ちました。そう、音楽を除いては。
「成功」という呪い
スティーブ・ジョブズは僕にとってもはや予言者です。スタンフォード大学のスピーチをまた見てみましょう。

Sometimes life hits you in the head with a brick. Don’t lose faith.
人生って突然レンガで頭を殴られようなことがある。自分を見失うなよ、的な言葉なんですが、本当にこういうことが起こります。少なくとも2回は笑。その内の一つを紹介します。
逆算的なアプローチの有用性と結果はコントロールできるというマインドを混同していた僕に「レンガ」が襲いかかります。ある日突然。上京して、自分のバンドを組んで初ライブをした際です。
僕は逆算的アプローチで美味しい思いをし過ぎた結果、何か自分のやることは上手くいかないといけない、結果を出さないといけない、ということに知らず知らずに捉われていました。人生を全振りして音楽をやろうと舵を切ったとき、音楽で「成功」を収めることに固執していたし、バンドを組んだときも、初ライブをすることになったときにも、このイベントを成功させなくては!という考えが頭を占めていました。言わば、「成功」という呪いです。
少しずつわかってきたことなんですが、音楽、特にバンドって大きな音出して誰かと合わせるのが楽しいっていうのが根っこにあるものなんだなって。別に成功するためにやってることではないんです。まずは楽しむものなんです。そんな僕がバンドを引っ張っていたので、ライブ前日にボーカル2人から辞めたいと言われるし、その後、ずっと一緒にやってきたドラムからも辞めたいって言われて、どん底に落ちました。けど、そうしなければ気づくことができなかったんです。スティーブ・ジョブズの言葉を借りるならば、「患者には苦い薬が必要だった」んです。受験から約20年、上京して約2年経っていました。
「池」から「海」へ移動する魚
大学では、経済新人会のマーケティングというサークルに所属していました。その新歓が代官山のバーであったんですが、そのときに先輩が話していた話が今でも忘れられません。先輩が話していた内容は、自分の環境という「池」を大きくしていていくんだと。それが大学であり、東京であり、このサークルなんだ、と。ただ注意しないといけないのは、「池」から「湖」そしていつしか「海」に移動するときは、「陸」という障壁が待ち構えている。魚は陸に上ったら息ができない。文字通り死にものぐるいでパタパタと陸を移動しないといけないんだと。自分の環境を変えるというもはそういうことなんだと。そんな話をふと思い出しました。

僕はずっと音楽をやってきた人間ではないし、ギターも始めたばかりだし、ほぼゼロから再度バンドを組んでいくというスタート地点に立ったばかりです。きっと「陸」をのたうち回ることが待ち構えているのでしょう。
思った通りにならない未来も美しい
慶應に合格したその日から目標を立て達成することがベストプラクティスだと信じて疑わなかった20年間を過ごしていました。なので、そういう手法が僕という人間をモチベートするのに有効なことは今後も変わらないと思います。ただし、それは短期的な目標にのみ有効なものであり、中長期で目標を立てたとて、そもそも計画通りの未来になった試しがないし、結果はコントロールできるものではないとわかった今、未来というものはとても不確かである、ということを謙虚に受け止めたいと思っています。
最後に、僕の大好きなコテンラジオの発言を引用します。
深井さん:思った通りにならない未来も美しいですよね。
樋口さん:だから、我々命燃やしましょうよ。やりたいことをやって。
深井さんの「思った通りにならない人生も美しい」という言葉がグラグラっと魂レベルで僕という人間に響き渡っています。思った通りにならない人生も美しいんです。もちろん、思った通りの人生も美しい。つまり、人生とはどんなものであれ美しい。
そして、
結果がどうなるかわからないけど、意思をもって行動する、生きることはできる。
どうなるかわかない未来を生きているからこそ、僕ができることは、意思を持って生きることなんだなって。それについては次回で詳しく話したいと思います。仮タイトルは「ここ一番での逃げ癖と、言い訳という名の理論武装」です。
これまでの僕の人生は、未来をコントロールしようとして(知らず知らずに)苦しんでいたんだと思います。そして、この20年という苔のむすような時間を通して、ようやく、結果や未来はコントロールできないことである、ということを身体性を持ってようやく理解することができました。この20年の間に起こった様々なことが積み重なり、最後の一押しとして、一枚のオセロの石が無数の石を次々にひっくり返すように、僕の価値観を大きく変えてくれたのが、ギターとの出会いだった訳です。
(すみません、コテンラジオの影響でギターの話が出てくるのはだいぶ後です!)
