さよなら炒飯!十三皿目
クリスマス以来、嶋津は金龍飯館に毎日来るようになった。炒飯を食べ、お茶の時間まで居座り、僕が淹れたコーヒーを飲む。ノートPCを取り出し何やら作業し三時ぐらいまでいる 。
「お前さ、大手町とか丸の内って企業活動リサーチにはいいかもしれないけど、ここに座っててできるもんなのか?」
「まあ、そう思うよね。そのうち話してやるよ」
そうは言うものの、延々と嶋津一人に席を占領されるのも店として困る。しかしリーさんが言う。
「朔ちゃんの数少ない友達だからお店としても大切にしないと」
数少ない友達というのは余計なお世話だが、嶋津は居場所を確保した。
客が引いたお茶の時間。嶋津の向かいに座るとヤン君がコーヒーを淹れてくれた。最近ヤン君はコーヒーを淹れる練習している。かなり上手になった。身体の使い方というか、筋肉への入力と脱力を意のままに出来る様な動き。抜かされるのも時間の問題だ。
嶋津はスタートアップ企業のホームページを僕に見せて言う。
「朔ちゃん、こいつら同い年だぜ、良くやってるよな。あいつら、ものすごい努力してるぞ。俺、起業した奴ら何回か取材したんだよ。昭和の体育会のおっさんみたいな働き方だよ。朝から晩まで、そして会社の床で寝たりとか。勉強はむちゃくちゃする。金はないから生活は大変な事になる。病むやつもいる」
「そいつらどうなったんだよ」
「一本も記事にならなかった」
「なんで?」
「みんなすぐ潰れた。生き残るのなんて僅かなもんだ。確立としては渋谷のスクランブル交差点で石を投げて誰にも当たらずに向こうに辿り着くぐらいなもんだ。ま、俺たち、その石さえも投げてないけどな」
金龍飯館は相変わらず客が入る。
最近大柄なスーツ姿の客が週一~二回、五人ほどで来る。一番若い奴が十二時少し前に個室を押さえる。皆ラグビーでスクラムが組めそうな体格。そしてあんかけ炒飯を皆二人前ずつ注文する。
個室と言っても、高さ二mほどの折り畳み木製パーテーションで区切られているだけで、中の会話を聞こうと思えば何とか聞こえる。区切られているだけで安心するのか、個室の客は皆大声だ。大柄な客達の胸にあるのは大手工作機械メーカーの社員章 。
「お前、あそこの受注できたのかよ 」
「はい、全てじゃないですけど」
「あ?あれはライン全部じゃないと意味ねぇだろ」
「そんなことはなくてですね、うちが押さえるところは押さえています」
「押さえられるところしか押さえてないんだろ、それ最低限って言うんだよ。相手は大手車メーカーなんだから取れるとこ取れよ」
「それぐらいにしとけ。いいから焼売喰えよ、冷めるぞ」
「はい、すみません」
「そういえば、そこの自動運転システムってどうなんだ」
「あれですか、あれは相当画期的らしいですよ。何で測るかが注目されるじゃないですか。カメラとか赤外線レーダー、ミリ波レーダーとか。でも肝心なのは制御システムですよ。カメラメーカーと一緒に凄いの作ったらしいです。過去データをAIで整理して周りの車の流れとか歩行者の動きまで予測するんですよ。今までの自動運転って、目の前の状況だけじゃないですか。今回のは過去の天気とか曜日とか、相当な因子取り込んでるんですよ」
「お、その株上がるじゃん、メーカー教えろよ」
「え、ここでですか、後にしてくださいよ」
「お前そう言っていつも教えないじゃないか。今教えろ」
「マジすか、怖いなぁ。R 社ですよ」
「バカかお前。それお前の営業先の車メーカーだろ、そんなの知ってるんだよ。カメラメーカーだよ。カメラって今苦しいだろ。医療に嚙んでいるメーカー以外は株価低いだろ。少しでもいい材料があれば株上がるんだよ。値上がり率が美味しいんだよ」
「まあ、そうなんすけど」
「早く教えろ、バカ」
「ここだけにしてくださいね、N社です」
「最初からそう言えばいいんだよ、バカ。他に何かないのかよ」
「マジすか」
「マジすかとか言うんだからあるんだろ」
「あー、すみません、もう、ここ、奢ってくださいよ」
「こんなしけた炒飯なんていくらでも奢るからよ、ほか、あるんだろ」
「ここだけですよ、そのメーカーの売れてるミニバンありますよね。ブレーキ周りリコールするかどうか揉めてるらしいんですよ」
「あれか、金ないのにお父さんが張り切って六十回ローンで買うだせえやつだろ。売れてる車でブレーキ揉めてるってマズいじゃないのか、リコールするしないって一番ヤバいパターンだろ、それ。タイヤはずれて空飛ぶぞ? さっさとリコールしたほうがいいだろ」
「そうですよね、俎上に上がった時点でリコールしたほうがいいですよね」
「空売りだな」
「信用取引やってるんですか」
「当たり前だよ、おい、お前さ、さっきから黙って炒飯喰ってるんじゃねぇよ。お前のクライアント美味しい話ないのかよ、あそことかさ」
「あそこってなんすか 」
「お前のメインのY建設とかだよ」
「そんなのわからないっすよ」
「お、じゃあ信用でY建設ガッツリ買うからな。損したらお前の責任だからな」
「いや、やめてくださいよ」
「あそこ、デカイ競技場、JVじゃなくて単独で受注したじゃないか、あと二つぐらいデカイのいきそうだろ、お前と違っていい営業がいるんだな」
「おいおい、それぐらいにしとけよ」
「部長、こいつまじで美味しいとこだけ持ってくんですよ、だからいいんですよ」
「もう、わかりましたよ。まだ表に出るかわからないですけど」
「何かあんのかよ」
「子会社のY情報システムあるじゃないですか。あそこの社長、Y建設社長の弟なんですよ」
「で?」
「最近二人のお母さんが具合悪くて介護が必要になったんですよ。今は施設に入っているんですけど、その世話とかなんだかんだ全部弟さん家族が面倒見てるんです。元々その兄弟折り合いが悪いみたいで」
「なかなかだな、で?」
「そのお母さん、株35%持っているんですよ」
「母ちゃん、頭はしっかりしてんのか? ボケボケなんかじゃないだろうな」
「脚が悪いぐらいで全然大丈夫です」
「特別決議、単独で社長否認できるな、内紛勃発、社長交代かよ、下がるな!」
「ま、そういうことですね」
「いい情報持ってんじゃねぇか、お家騒動のぐだぐだ、マスコミも黙っちゃいない。さっさと空売りだ、早く言えよ、このバカ」
周りの客は次々と入れ替わり、嶋津はカニあんかけ炒飯をゆっくりと食べ、僕は午後のお茶の時間の準備を始めた。五人の体格のいい奴らは昼休みをかなり過ぎて出ていった。
いつものお茶の時間に嶋津がやってきた。
「話があるんだ。いいかな」
横からヤン君が言う。個室なら落ち着いて話せるでしょ。僕がコーヒー淹れてあげるよ。これから空いてたら個室使えばいいよ。
「朔ちゃん、これ見て」
嶋津は傷だらけのノートpcの画面を見せる。
「わかるかこれ」
株価のチャートが映し出されている。カメラメーカーN社。車メーカーR社。Y建設。嶋津はジャケットを脱ぎ、シャツのボタンを上から三つ外した。
「しばらく前に体だけはデカイ、バカっぽい奴らが個室で騒いだの覚えてるか?」
「覚えてる。最初から最後までムカついたから覚えてる」
「あれ、大学のラグビー部のコネクションで工作機械メーカー入った奴らなんだよ。聞いてて序列がやけにめんどくさかっただろ」
「で、そいつらがどうしたんだよ」
ヤン君がコーヒーをポットで、そしてお菓子を持ってきてくれた。嶋津はpcの画面を閉じる
「月餅だ。ヤン君が作ったの?」
「そうそう。自分で言うのもなんだけど、良くできたと思う」
「ヤン君も一緒に食べようよ」と馴れ馴れしく嶋津が言う。最近この二人は仲が良い。
三人でコーヒーを飲み、小ぶりの月餅を食べる。ヤン君は僕らの反応を見ている。
「これすごいね、月餅って重いよね、でもこれ爽やか」
「餡が全然違う。美味しい。餡に何か入っているの?」
ヤン君が笑みを浮かべて言う。
「当ててみてよ、ヒントは果物ね」
ヤン君は成し遂げた顔をしている。少し羨ましい。
「孫文って知ってる? 中国の革命家ね。日本に亡命したんだけど、その時に月餅作ったらしいの。それに干し柿入れたんだって。干し柿、小さくして入れたんだ。さっぱりしてるでしょ
「これ、美味しいよ、売れる。売れる。いくらで売るの?」
「八百円」
「何個入り?」
「一個」
「マジかよ」
「でも、八百円だから買う人がいるんだよ。大手町とか丸の内、二百円なら買わない人結構いるからね。八百円なら売れるんだよ」
嶋津が初月餅記念と訳の分からない事を言い写真を撮る。月餅を手のひらに載せた三人が収まる。ヤン君は嬉しそうにカウンターに戻った。
「で、うっとうしいデカいやつらがどうしたんだっけ」
嶋津がpcの画面を見せる。
「デカくてぺらっぺらの奴らがぺらぺら喋った銘柄だよ。あの日からの今日までの値動き 」
カメラメーカーN社、19%の値上がり。 車メーカーR社、5%の値下がり。 Y建設、15%の値下がり 。
「朔ちゃん、あいつらの話していた内容覚えてるか? 」
「なんとなく覚えてる。あの話、そのまんまだね」
嶋津は一個八百円と値付けされた月餅を一口で放り込み、コーヒーで一気に流し込んで言う。
「朔ちゃん、これ、やろうよ」
「これって、なに」
「俺、この店入り浸ってわかったんだけどさ。最初は炒飯うまいし朔ちゃんいるから来てたんだけど、ここの客よくしゃべるんだよ。みんな口が軽い」
僕も何となく感じていた。大手町や丸の内の住人のランチの会話は歩き疲れた休日の渋谷や新宿の飲食店とはかなり違う。
四つ目のシャツのボタンを外して嶋津は続ける。
「しばらくこの店で他の客の話を聞いてたんだ。ここ、大手町だろ。デカくて重い会社が集まってる」
「重いって、なに」
「歴史があって株価が高くて、値動きに安定感があるところ」
「で、何やるんだよ」
「この店で情報収集。ここに来る客の話を分析して、株を買う」
「お前さ、この店での会話、真に受けて株買っちゃうのかよ。それただの盗み聞きだろ」
「そうそう、噂話の盗み聞きだ。さっきのN社とかの株価、当たっていただろ。あれに俺たちが少しでも突っ込んでおけばいい稼ぎになったはずだ。他の客の会話にもまだ公表されていない企業の浮き沈みの話が結構出てくるんだ」
金龍飯館の客の噂話を元に株を買う。あまりにもあやふやで情けない。
「株の取引っていろんな情報細かく分析してやるもんじゃないのか」
「朔ちゃん、分かってるじゃねぇか。そのいろんな情報がこの店にボロボロ落ちているんだよ、それを俺たちが拾ってやるんだよ」
嶋津の声は少し小さくなり、でもゆっくりと話す。
「時々ネットに出てくるだろ。カフェでノートPC使って作業している奴がトイレとかで席外すだろ。その時に画面にロックも掛けずに行くって。通りかかった人が画面みて結構やばい社内情報だったとか。それから電車の中で大声で取引の情報喋る奴とか。セキュリテイの意識って、みんな自分のことは不必要までに意識するだろ。でもあれって病気と金と、それから自分の子どもの情報以外は大したことないんだよ。まあ、今後のAIの進化の事考えれば子どもの顔も晒すのヤバイかもしれない」
嶋津は時間をかけてジャスミン茶を飲み干した。
「朔ちゃん、高校の時覚えてるか?野球って人数多いだろ。その辺、テニスとか個人競技って一人の才覚に寄りかかるよな。創業したてのベンチャーは個人競技だからそれでいい。でもこの辺りのデカイ会社だと責任がばらまかれる。自分のこと以外はセキュリテイがガバガバなんだよ。下手すりゃ自分の事でもセキュリテイはガバガバだ。朔ちゃん、この間、厨房機器の問屋さんが来てただろ。自分が売り込みたいエスプレッソメーカーをビアレッティのパクリってデカい声で言ってたよな。メーカーが自社の製品パクリとかわかってても言っちゃ駄目だろ。噂話はセキュリテイに勝つんだよ」
嶋津はある程度的を得ている。前の会社の常務は定められていた売り上げに対する利益率をその辺の店でべらべらしゃべっていた。
「で、具体的には二人で何するんだ」
「朔ちゃんがこの店での情報収集。俺が経済ジャーナリストとしてのその裏取り」
「まて、俺はウェイターやりながらそれはできないぞ、この間のマッチョぺらぺらの話はアイツら声がバカみたいにでかくて、その近くでサーブした時にたまたま聞こえたんだよ」
「もちろんそれも分かる。いくら素敵なバイトウェイターの朔ちゃんでもそれはできない」
暴力退場野郎が何言ってるんだ?とか言おうとしたがやめておく。
「これを使う」
小指の先ほどの小さなものを取りだした。
「なんだこれ 」
「盗聴器」
おもわず、だせぇ、と声が出た。しかしさっき弾んだ何かは止まらない。
「だせぇとか言うなよ。この大きさのやつは結構高いんだよ。盗聴器から朔ちゃんのスマホに飛ばす。たださ、これぐらいの盗聴器だと指向性がそこまでなくて、テーブルだけじゃなく周りの音もかなり拾っちゃうんだよ。そのあたりの音の感覚を朔ちゃんが掴んで、盗み聞き」
「盗聴器はテーブル全部に仕掛けるのか」
「そうそう。朔ちゃん、俺たちに順番が廻ってきたんだ、何もなかった俺たちに順番が来たんだよ。こっから俺たちがいい風吹かせるんだよ!」
深夜の河川敷で再会してから初めて嶋津の顔が昔の嶋津に近づいた。シャツは既に脱いでいる。 残すはTシャツだけだ。
「それはそうと、嶋津、お前株詳しいのか?」
嶋津はものすごい笑顔でバッグの中から一冊の本を取り出した。
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