さよなら炒飯!十八皿目
祝勝会と称しこの間より更にワンランク上の焼肉屋に行った。前は店にどんな奴らが入っているのか気になったが、店を出るまでそんな事は考えもしなかった。
「危なかったな」
「マジでやばかった、命握られるのはいい気分がしないな」
僕ら二人はデカイ利益が上がった事よりも、莫大な負債を抱えずに済んだ安堵のほうが大きかった。
「株価が他の要因で爆上げとかしないで良かった。瞬時にして破産だ」
「そしてドッグフードがこれになった」
嶋津はシャトーブリアンの塊を網に載せる。
「上がる情報の精度は怪しい。おいしい話がその辺に転がっていたら、みんな毎日シャトーブリアンだ。よく雑誌に載っている、上がる株!とかある訳ないぜ」
トングを振り回しながら嶋津がさらっと言った。
「下がる情報は精度が高い。他人の不幸は蜜の味ってよく言ったものだ。あと、不倫と左遷、パワハラ。これ、ゆすってたかれるぜ」
「それは犯罪だ。それにしても俺たちはインサイダー取引に当たらないのかな」
「当たらない。インサイダーはあくまでその企業の内部者が対象だ。ただ、その会社の社員の噂話を同じ会社の社員とかが小耳に挟んで自社株の取引をしたらアウトだけどな」
「SNS はどうなんだ?」
「アウトだな。風説の流布にあたるかもしれない。情報収集にはいい。でもSNS に情報が出てくるころには、その案件は末期だ。俺たちが手を出すタイミングではない」
カルビの脂が炭に落ちて炎をあげる。少し考えて嶋津が言った。
「俺、高校の時にレッドホットチリペッパーズ、あほみたいに聞いてたよな」
「Can't Stop」
「そうそう。この曲、すげぇ抽象的でバカには理解できない。俺、適当にこの曲は連鎖は連鎖を生むとか言ってたはずなんだ。今、聞きなおしても外れてないんだよ」
俺たちの愛する世界で流す涙が波の一部になる、
Can't Stop
それが全部お前の為だって、考えたことあるかい?
「俺たちのやってることって連鎖じゃん。誰かの会社がでかくなって、株を買った奴がいて、誰かがミスして、株が墜ちて、俺たちが儲かって、そして誰かの生活が変わって、誰かの人生が変わって。まあ、経済なんてそんなもんだけど。バタフライエフェクトって、その中で化学変化起こして変わるんだなって。最近考えるんだよな」
嶋津はシマチョウを炎を上げながらひっくり返し、僕に聞いた。
「朔ちゃん、最近スピッツ以外に聴いてる?」
「この間youtubeで見つけた。failheadって言うんだけど。Roller coasterとか最高」
「登録者数は?」
「7000位」
「再生回数は?」
「400ぐらいかな」
「しょぼいなぁ。でも前は売れてるのしか聞かなかっただろ。まあ、朔ちゃん少し変わったな。俺が頼りにしちゃってるしな」
嶋津はそう言ってにやついた。確かに今回は空売りのタイミングは僕が決めた。何かを背負うと決断せざる得ないのかもしれない。ただ、背負ったと言っても勝手に僕らがあたふたした何かだ。そんな事を嶋津に言われるのも尻の座りが悪い。なので嶋津が焼いた炎をあげているシマチョウを全部僕の皿に投げ込んだ。
僕らはハイエナのように墜ちる噂話や不幸の伝言を嗅ぎまわった。
僕らより社会的に地位があると言われる上場企業の社員や役員たち。それを底辺の雑魚である僕らが出し抜く。彼らが墜ちたところで僕らにはまるで影響はない。ただ、何かの拍子に彼らの事を想像する。家族構成、家族の性格や気質、本人。そして過去。何が狂ってこの様な事態になってしまったのか。どこからその歯車が狂い始めたのか。
年齢も関係していた。僕らが望む、金額が大きく動く噂話をするのは三十代四十代だった。彼らは自分たちの情報が重く大きいという事を自覚していない。五十代より上は組織を握る株価を左右する大きな案件を抱えていそうだが、社会的地位を得るとそれなりに経験を積み、口は硬い。六十代で口が軽いのは「ただの」噂話。六十になったが何者にもなっていないやつのひがみと妬みが入り混じった適当な話だ。一時の自尊心を満足させるために若い奴らにその場しのぎの適当な話でマウントを取る。
噂話を数限りなく聞いているとそんな事がおぼろげながら判断できる。あたかも小説や映画を凝縮して見ているかのようだ。それが僕らの人生とやらが豊かになったり、光り輝く未来につながるのかは分からない。
金龍飯館での噂話は続く。三十代前半と思われる男性二人の声。
「知ってるか、うちの真向いのビルにある製紙会社」
「知ってるかって、何を」
「出入りの運送と揉めたんだよ」
「何で」
「料金。製紙が運送に出したのが今までよりかなりキツイ条件」
「それだけならよくある価格交渉だよな」
「それがさ、製紙の購買運輸担当が俺の大学の同期なんだよ。こいつが落としどころがわからない奴でさ、でも肝心なところで要領がいいんだ。ヤな感じなんだよね」
「お、何それ、おもしろそう、詳しく聞かせろよ」
「自分の要求が正義みたいな奴。時々いるだろ。サークルで何かやろうとする時、例えば学祭の模擬店とか。何やるかで意見が割れた時に着地点って必要だろ。それが出来ない奴なんだ」
「おう、雲行き怪しいな。実はそれにちょっと絡んでくる話があってさ、従業員数と取引先比率の法則って聞いたことあるか?」
「なんだそれ」
「一社の全従業員数と全取引先数の比率が3:2に近いと、その企業は生き残る確率が高いらしい」
「人員配置の適正化ってやつかな」
「そうそう、取引先といい感じの関係を作るのは大切だ。相手方に掛ける人数が適切なら丁寧な付き合いができる。でも多すぎるとやかましい。相手に余計な口を出す機会が増える。圧迫もある。他の仕事をする時間が減る。少ないと手が回らない。配慮が出来ない。この場合も担当が他の仕事が出来ない」
「それ、今回の製紙と関係あるのか?」
「そこ、少し前にリストラしただろ。経験豊富で相手を懐柔できる様なベテランを切ったり出向させたんだ。で、具体的には何があったんだ?」
「運輸の社長自ら交渉の場に臨んだけど、例の俺の同期が着地点なしで嫌な感じで突っぱねたんだ。そしたら運輸社長がブチ切れて、うちからお断りします、今後一切御社のお荷物を運ぶことはないでしょう、だってよ。その利益の出ない製紙の配送価格が他の運輸に暴露された。今のところどこの運輸も手を出さない。中小の運送って自社の車が手配できない時とかお互い融通利かせるだろ。運輸数社がスクラム組んでそこの製紙があたあたしているのが昨日までの事」
「あの製紙、系列に運輸持ってないからな」
「そうそう」
「それでお前の同期、どうなったんだよ」
「社長が激怒して子会社に即移動。今頃デスク周りの私物、段ボールに詰めてんじゃないの?」
「どっからその話流れて来たの?」
「製紙にいる俺の後輩」
検討する。恐らくそのうち製紙の運送を担うところが出てくるだろう。なので短期の下落という結論。
空売。三日後に製紙会社株は下落。百五十万の利益を確保した。
「やっぱり三十とか四十代の奴らがいい情報を持っているな」嶋津が言う。「そいつらそろそろ社会の真ん中に入っていくんだよ」
「俺たちもそろそろ三十代だぞ、金はアイツらより持っているぞ」
「顔出しできない社会の真ん中な」
このままいけばそれなりの資産ができる。噂を盗み聞き、築いた資産。
しかし、この後僕らの数字は伸び悩んだ。情報はあるが落ちる時期が分からない。空売りするタイミングを逃してしまう。
ある玩具とゲームソフトメーカーの内部が混乱しているという。そんな話を複数の男性グループの会話から拾う。
「ゼミでいつも教授のそばにいたやつ、憶えてるか?」
「ああ、いたねそんなの。みんなのこと小ばかにする割にはレポートが全部自分の主観だから、毎回評価がぎりぎりでC」
「そうそう、自分の主張レポートに入れてどうすんだよな」
「あいつ、バドミントンのサークルいたんだけど、卒業するまで全然目立たなかったのに、卒業したからしょっちゅう練習とか合宿行くんだって」
「なんで?」
「その場にいるのが全員後輩だから。イキイキとして仕切るらしいよ。で、自分の同期とか先輩が来ると知ったら即帰る」
「すっげぇな。そいつ、どこ行ったの?」
「あのおもちゃメーカー」
「あの老舗か。悪くないな。ゲームも作ってるし。株高いし」
「それがさ、今結構まずいらしいのよ」
「お、いいじゃん。どんな感じなの」
「新規の商品開発があんまし進んでいない」
「それはよくないな。おもちゃとかゲームソフトって数撃ってなんぼだからな。なんか理由あるのか?」
「よくわかんない。業績すげぇ落ちてるし、株価は微妙に下がってる」
「あそこは安定してるから株で運用するにはよかったんだけどな。まあ、あのバカが頑張って建て直すさ。無理だと思うけど」
二人は楽しそうに笑った。
同じ玩具メーカーの似たような話が別々の客から出る。そうなると信憑性が高く魅力的だ。しかし詳細な話がわからず、空売りのタイミングがつかめない。嶋津が言う。
「この訳の分からない業績不振はおいしい匂いがする。でも具体的な話が見えてこない。俺が社内に入る。情報セキュリティマネジメントを持ってることにしとく。IT系の資格ならバイトで簡単に入れる。それぐらいの知識はあるし、お役にたってくるよ」
情報セキュリティマネジメントは国家資格。ITの基礎的知識が問われる。さほど上位の資格ではないが、社内にいると重宝される。僕はスマホを叩く。
「あのさ、国家資格を偽ると有印公文書偽造、偽造公文書行使だぞ、おまけに内部に入って情報得るのはインサイダーだ」
「まあ、ばれないよ。今まで俺はたくさん偽造してたから。ちょうどバイトも募集してるよ、なんかあれば逃げればいいんだよ。ちょっくら行ってくる」
株価に影響する情報が内部関係者にしか知られていない段階。その情報を利用し、株の売買をするのは犯罪だ。僕らがやっている金龍飯館での情報収集。それは関係者ではないから問題ない。しかし組織の一員となるとアルバイトでも罪に問われる。今まで得た利益も没収されるかもしれない。
嶋津は簡単にバイトとして採用された。
「朔ちゃん、俺、優秀な人材らしいぞ。この会社さほどitに詳しいのがいないんだ。適当に外注に出してる。管理も適当だ。ネットワークに関わる外注先が四社。多すぎる。何かあっても責任の切り分けが出来ない。安いところをその都度考えなしで入れたんだろう。ちょっといじるだけで社内の情報ほとんど丸見え」
「そのまま就職すればいいじゃないか」
「月二十万で奴隷になんかなれるか」
「この間まで月十二万の奴隷だっただろ」
「まあ、そうなんだけどさ。それはともかく朔ちゃん、あそこヤバいぜ」
「なに」
「社長がマズイ」
「どんな奴なんだ」
ヤン君が来る。今日はジャスミン茶とビーネンシュティッヒ。
「ヤン君、ビーネンシュティッヒってなに」
「ドイツのお菓子なんだけどね、『ハチの一刺し』という意味」
「どういう事?」
嶋津は手づかみでそのビーネンシュティッヒを食べながら聞く。
「このお菓子を考えた職人が、そのケーキに惹きつけられたハチに刺されたからだって」
上面にコーティングされたアーモンド、中にバタークリームが詰まっている。
「朔ちゃんも嶋津も何か一生懸命だね。その仕事は二人でやっているの?」
ヤン君は長い足を上品に組み、きれいな手をテーブルに置く。こういう時は嶋津に任せた方がいい。
「ファンドマネージャーをやり始めたんだ。資金を集めて僕と朔ちゃんが頭を捻って利益を出す。ファンドマネージャーって大変だよね」
「資金はどこから来るの?」ヤン君がコーヒーを飲みながら言う。
「知り合いとか。この間地図の会社で実績できたから、意外とみんなお金出すよ」
ヤン君は微笑んで言う。
「じゃあ、僕もお願いしようかな、僕、そういうの一切分からないんだよ。いくら?」
嶋津は表情を崩さないどころか、さらににこやかになって言う。
「結構な金額が集まっちゃって、僕らも責任持ちたいから今募集はストップしているんだよ、ヤン君ごめんね。でもこのビーなんだっけ、マジでうまいよ」
ヤン君は笑いながらいつものように手を振りながら出て行った。ヤン君の姿を確認してから嶋津が言う。
「この間社長が交代して、その息子が社長になった。そいつは入社二年目で総務課長。三年目で営業課長に四年目で営業部長と執行役員、その三年後に取締役副社長兼開発事業部本部長」
「やばいな、とんとん拍子の枠を超えすぎだよ」
「まじでヤバい、ほんとヤバい。朔ちゃんはこのスピードから何考える?」「実務経験を積んでいない」
「そうそう、今日はキレてるな」
「配属された部署で揉まれる前にいなくなっちゃう、だから、実務が出来ない」
「わかってるな。実務が分からないから上に立っても判断が出来ない、いや違うな、自分は実務が出来ると思ってる。そんなんで会社の舵取りをする、それがまずい結果になっちゃう。責任は他の誰かが取らされる。実務が出来なくてアホだから社内でのバランス感覚もおかしい事になる」
「社内のバランス?どういう事?」
「社長室に自動ドアつけたんだ」
「何で?」
「俺に聞いてもわかんないよ。で、取り付けたのはいいんだけど、社長室に用もないのに近くに人が来るとドアが開くんだ。自動ドアだから。うぃーんって」
「いらっしゃいませってか。相当なアホだな」
「だから社長室の前の廊下行き来するときはあらかじめ『通ります』って内線掛けさせる」
「アホか」
「社長室の内線ががんがん鳴るんだよ。で、自動ドア撤去」
嶋津は続ける。
「でも、出来るところもある。そいつ、人の前で喋るのが恐ろしいほど上手い。急に振られてもさらさら喋る。だから騙される奴もいる」
「そんなやつ、テレビとかでよく目につくよな」
「ああ。分かりやすいのが二代目の政治家な。政治家って今世襲が多いだろ。アイツら喋りだけは上手い。でも実務出来なそうだろ。適当なお気持ちだけ言って手を動かさない。まあ政治家はともかく、今回は社長以外の材料がないから様子見で百万ぐらい空売りでいいかな」
その社長が何かの会合でスピーチをする動画を二分ほど見る。
「朔ちゃん、これ、スピーチするはずのゲストが渋滞で来れなくなって、二十分ほど話して欲しいって直前に振られたんだって。百人以上いるぞ、ここ」
「すごいな。ここまでよどみなく喋れるのって凄いぞ。でもこいつの話す事何か頭に入ったか? 何が言いたいんだ?」
「まるで入らない。でも流暢で誰も傷つけない」
「中身が薄い話をあたかも素晴らしい話の様に聴かせるってか」
「でな、二代目の政治家とこいつの更なる共通点がある。俺にはない」
「なに?」
「チャーミングなんだ、こいつら。二代目はそこまで苦労していない。すさんだ表情は持ってない。にこやかな顔がデフォルト。好かれやすい。でも自分が思い描いた形から外れるとその対処が出来ない」
僕はジャスミン茶を口につけながら聞いた。
「嶋津、お前二代目がよかったか?」
嶋津は少し考えて答えた。
「自由にやらせてくれるほうがいいな」
その後、玩具メーカーの業績は急上昇した。空売りを仕掛けていたので損失は青天井になる可能性がある。慌てて買い戻す。損失は四百万に抑えられた。メーカーは過去最高益の黒字。僕は言う。
「実は二代目社長が有能ってことか」
「それはない。営業と企画の社員は二十一時前に退社するなという指示が暗に出ている」
「すげえな。残業代は?」
「出る。でもその分賞与から変な形で引かれる。先代社長の時より業績は落としたくない、でも上手い方法は考えられないというか、考えつくわけがない。だから安直に社員を締め付け、怒鳴る」
「ひどい流れだな。それで過去最高益とか出したから、この社長の成功体験になっちまう。ただ、このままだと株が落ちるタイミングが読めないな」
「でもこの最高益から真っ逆さまに落ちていくのが見たい。もう少し俺はあの会社にいるよ。あの二代目は脇が甘い。必ず何かやらかすはずだ」
しばらくしてから嶋津がメッセをよこした。
「社長が自分の超高級車で事故を起こした。一般人にけがをさせた。それどころか事故直後、救護をしなければならないのに相手を怒鳴りつけた。さっきその動画がSNSに出た。もみ消しを計ろうとしたが駄目だった。でもそれだけでは市場にインパクトはない。今、売買はしない。五百万で空売りの準備だけしておこう。ちなみにその車のタイヤとホイール四本でプリウスとかアクア買えるらしいぞ」
事故はネットで炎上した。高級車で社長が事故。衆目を集めるには十分だ。ただ、衆目は集めるが市場へのインパクトは薄い。よくあるゴシップ。僕らは動けない。
しかし社内には社員を締めつけて出した過去最高益の反動が溜まっていた。社長の高級車での事故が切っ掛けだったのだろうか。SNSで社長のパワハラに関する投稿が出始める。
無理な営業目標、達成するまで客先で土下座営業、罵声。社長から罵声を浴びた部長はその下へ罵声。罵声の連鎖。企画は目先の数字が欲しいので他社の二番煎じ、オリジナリティは失われる。役員会議で社長がテーブルに足を載っけた絵面が流出。
これは他の役員からだ。役員同士が半目している。会社がガタガタしている。決定的だったのが同業他社から商品の類似を指摘され、巨額の裁判になった。
営業利益が落ちる。株価も落ちる。しかし僕たちはその期を逃し最終的に二百万と少しの損失で終わる。