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さよなら炒飯!二十二皿目

次の打ち合わせ、嶋津が「場所を変えて欲しい。いつもの居酒屋がいい」と言う。
「金龍飯館じゃダメなのか」
「酒が入っていたほうが楽なんだ」
嶋津の顔はやけに白い。
「何かあった?」
相変わらず凍ったままの枝豆をかじり、それを諦めて嶋津が言う。
「あの社長から凄いの喰らって」
「何それ」
「美人でカリスマ、影響力のあるやつから叱責を喰らうとダメージが二乗でやられる。一瞬自分が悪いのかと思ったぜ」
声がかすれている。
「社員もみんな彼女に惚れ込んでいる。俺だってこんな短い期間しかいないのに彼女が話す言葉にふらふらするんだ。俺たち金が目的だろ、理念なんてどうでもいい。でもあの会社の理念とか感じて入ったヤツはヤバイことになるな、理念ってやつは色々要注意だ」
「何あったんだよ」
「保育園あるだろ、あの法人は自分たちで一から保育園作るんじゃなくて自治体から移管する。自治体も自分たちで運営するより民間に運営委託した方が安い。今まで四つ保育園を自治体から移管させた。その運営切り替えが年度末。備品やら何やら、建物以外を自治体のものと同時に全部入替しなくちゃいけない。でも3月31日まで手を出せない。デスクとか椅子とかもだ。ネットワークもその日で自治体から切り離されるんだ。でも年度末はNTTや電話工事屋さんも死ぬほど忙しい。毎年あたあたしている」
嶋津は中ジョッキに箸を突っ込み、かき混ぜ、泡を立てる。
「でも保育園の事務的なものは社会福祉法人の本部がやるから、保育園自体のデータのやり取りがそんなに無い。だから今までネットワークの移管も無理しないでゴールデンウィーク明けまで待ってやってたのよ」
「その期間、どうしてたの?」
「モバイルwifiなんかで一か月ほどしのぐ。それで十分。今までの移管についての記録も5月中旬にネットワーク整備完了とある。それが今年もある訳だ」
嶋津は凍った枝豆の他には口にしていない。僕のビールも泡が消えている。「代表から内線が掛かってきて。俺が出たの。いきなり怒鳴られてな。年度初めにネットワークが切り替わらないと園の運営に支障が出る、先生も子ども達もお前達の怠慢の犠牲になるのかって。勘違いの罵声が内線で40分」
「それ、反論できなかったのかよ、ネットワークはいつも年度初めじゃなくてゴールデンウィークの頃に切り替えですよって」
「マシンガンでさ、反論してもお前はバイトだから分かるはずがない、その年でバイトをしているやつは信用出来ないとかな」
「なんだそれ。俺もアウトじゃん。先にいた男の子はどうしたんだよ」
「たまたまいなかったんだよ。その子が帰ってきて報告したら、あ、シンガポールのマーライオンわかるか?」
「口から噴水だしている像だろ」
「そうそう、その子いきなりマーライオンみたいに俺の目の前で吐いたんだ」
「まじかよ」
「代表から彼と一緒に部屋に来るように言われてたから行った。そこで40分説教」
「なんか40分が好きだな」
「セックスも挿れてから40分持たせないとぶち切れるんじゃないか、そんなことはどうでもいいんだよ、その男の子に延々ぶち切れて、『お前は高次脳機能障害だろ』とか」
「なんだそれ」
「事故や病気なんかで脳に損傷うけた人が記憶障害とかの症状がでる場合があるんだ」
「そういった症状に例えるってひどい話だな」
「そう。それが終わった後、マーライオンちゃんが俺たちの部屋に戻ってまたマーライオン」
「その部屋、カーペットか?」
「いや、フローリング」
「それは良かった。カーペットだと大変だからな」
嶋津は目の前にあった枝豆の殻を僕に向かって指で弾く。
「次の日からマーライオンちゃん、もっと無口になってだな。目が死んでるんだよ。マグカップ抱えて30分ぐらいぼーっと立ってるんだよ」
「その子よく会社に来れるな」
「あれだ。代表が唱える理念ってやつだよ。刷り込まれてるんだ。朝みんなで唱和するだろ、マーライオンちゃんめちゃめちゃ声デカいんだ。それでな、代表がよく言うんだけど自分の周りで起こっている事は全て自分に原因があるってな。だからマーライオンちゃんは自分のせいにしている」
「それじゃ、お前が高校野球から干されたのも自分が原因ってことか?」
「まあ、そうなるな」
嶋津らしくない。ここは「何言ってんだ?」とかで返ってくる所だ。嶋津も脳の半分ぐらい刷り込まれてる。ただ、その眼は居酒屋に入った時よりも鋭い。少し取り戻しているのかもしれない。
「朔ちゃん、ジョンレノンの声って分かるか?」
「なにそれいきなり。何となくだけど」
「ジョンレノンの声、美声だと思うか?」
「美声だとは思わないな、パンチはあるけど」
「ジョンにはカリスマ性があるだろ。カリスマになる人間の一つの要素に声質があるらしいんだ。人の心に入り込んで何かを震わせる声。ナチスの宣伝をやった輩もそんな感じらしいぞ、新興宗教とかの教祖とかな。たぶんあの代表もそうだ。取り込まれそうなんだよ、俺。社会福祉法人から本社への金の流れを掴んで消えるよ。朔ちゃん、朔ちゃんがエールフランスにやられた事、あれがこの会社には転がっている。誰かがそのうち刺すぞ」
前にいた会社で僕がシュレッダーに突っ込んだ三万二千円。それはマーライオンの代わりだった。

二週間後、連絡が来る。
「朔ちゃん、そろそろここから抜けていいか?」
「もうちょっと頑張ってくれ。材料が足らない。でもトラブルの芽は補助金流用以外に必ずある。空売り二千万いってもいいだろ」
「朔ちゃん、アホになったのか?何だその訳の分からないデカイ金額は」
「今回はいける。大丈夫だ。この法人は組織として体を成していない。代表のお気持ち法人だ。必ず何か出る」
「そうかもしんないけどさ、中にいるの俺なんだけど」

三日後、保育士の資格がないのに一部の職員が保育の仕事をしていた事が表沙汰になった。注目されているグループ、そして他に大きな事件がなかったこともありニュースになる。グループは素早く記者会見を開いた。
ここまで素早い記者会見は危険だ。謝罪、説明する側の感情がぶれている。言葉を丁寧に選べる状態ではない。炎上する事がほとんどだ。
しかし代表の言葉は真に迫った謝罪であり、誠実に見えた。報道陣の矢のような、そして狡猾な質問を正面から受けた。皆が聞きたい結論を先に述べ、そこから少しずつ自分の物語に寄せて行く。人を囲い込む美しく巧妙なストーリー。
世間は代表に同情し、共感した。マーケットの反応はほとんどなく、株価はわずかに値を下げただけ。 SNSも反応が薄い。

すぐさま別の案件が明るみにでた。派遣したベビーシッターが複数の子どもにけがをさせていた。事故で軽傷。でも隠ぺいに近い処理。ここでも代表がすぐに記者会見を行う。短期間に続けての不祥事はグループにとって致命傷だが、代表の記者会見で世間の評価は逆に上がる。
けがをした子どもに丁寧な謝罪と手厚く十分な慰謝料。代表は全ての被害者の元まで出向いた。今後の改善案は具体的でわかりやすかった。代表の話は理路整然としており、その上で見ているものの何かに訴える。言葉を尽くして理解を得る。そして容姿端麗。彼女は二時間半に及ぶ記者会見を集中力を切らさず乗り切った。 記者会見をしないでやり過ごすのが最善という僕らの考え。その遥か上に彼女はいた。

「嶋津、お前まだそこにいれるか?」
「もうそろそろ限界だ。気持ち悪い」
嶋津の声は北風が吹きすさぶ川向うからの様に揺れている。
「もう少しだ。追加で500万」
「勘弁してくれよ。記者会見見たのかよ、今日の記者会見で株価が上がった。今、520万マイナス。保育士の資格不備とベビーシッターの過失、普通に考えればダメージが大きいはずだ。なのに株は上がる。しばらく何があっても落ちる気配がしないぞ、手を引こう。SNSも静まり返ってる」
「ここで手を引いたら俺たちの意味も無くなる気がするんだ。奴隷を作り上げる会社は必ずボロを出す」
「いつからそんな鬼になったんだよ。証券口座は朔ちゃんのだからって勘弁してくれよ」
証券口座は未だ僕のを使っていた。利益は僕が六割、嶋津が四割。
「嶋津、ここまでの会社は必ず何かあるはずだ。今は株価が高い。状況でしか判断できないけど、俺たちの今までの経験もあるだろ」
落ちる気配がない会社に合計2500万の空売り。確かに危険だ。しかし僕は続けた。
「この会社、やろうとしていることは悪くない。でも理念が正義になっちまっているんだ。だから自分たちがまずいことになっているのに気がつかない。理念が周りを見えなくしている。おまけに影響力がある。こんな会社は潰れたほうがいい」
「それは違うぞ。朔ちゃん、俺たちは成敗するんじゃない、上澄みをかすめるだけだ。あと10%で損切りしよう」
損切りとはこれ以上持っていても利益が上がらないと判断し、損失を早めに確定することだ。
「朔ちゃんのリードは結構荒々しいな」
嶋津はそうつぶやいて通話を切った。

一か月経った。代表の話は見る人の心の何かを動かす。テレビ局のニュースやワイドショー番組に呼ばれ、そこでも自分の言葉で謝罪し好感度を上げた。謝れば謝るほど印象が上がる。さらにグループの理念を繰り返し、見ている者に刷り込む。株価も少しずつあがり始めた。このまま上がり続けると大損、そして何かの拍子に急上昇すると僕らは破産する。

一段落したお茶の時間。損切をすると嶋津に連絡しようとした時にスマホにニュースが流れた。
「カウンセリングの名簿と個人情報が流出。個人情報にはカウンセリングの内容も含まれる模様」




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