#549 何者かになりたい病と子どもの時の将来の夢
こんにちは
ヤギです
今回はXで”何者かになりたい病”についての投稿がありましたので私なりに考えていることなどを記事にしていきます。みなさんは何者かになりたいと思っていますでしょうか?
多様性を考える中で一部の主張を排除するのが正しいことなのか?よくわからなくなっていましたので今の考えをまとめています。いいねも多く頂いていますので良かったら読んでみて下さい。
━━━━
何者かになりたい病
まずはこちらの投稿を見て下さい。
そうですnapkinAIで生成された画像ですね。
…違います。とはいえNapkin AIを良い使い方がわからず使っていませんでしたがこうすると良いのねとひとつ勉強になりました。
◆
話がそれてごめんなさい。では本題に入っていきます。
わたしはごの図を見たときにそのとおりだなと感じていました。スタートは右上の理想と現実のギャップを感じることから始まるのかなと思っています。
なんで自分は思っているとおりにできないんだろう?そして自己肯定感が下がり不安が増大しているときに周囲や特にSNSではこんなに華やかな人たちがいてキラキラして見える。じゃあ自分もこんな風になりたい。社長になりたい、注目されたい、インフルエンサーになりたい、何者かになりたい。
で、実際に行動してみると理想と現実のギャップを感じでできなくて自己肯定感が下がり…
この繰り返しですよね。わたしもまさにこの状況に陥っています。
起業して売れず、焦り
不安や焦燥感に駆られ
SNSを見ると、副業でつき、何十万稼いだとかそんなんばっか
そういうのを見てると、劣等感に駆られ
自分は何をやっているんだろうと言う気持ちになる。
今のわたしの正直な気持ちです。
将来の夢は?
これわたしが子供の時からずっと嫌いな質問でした。
そんなもんわからないじゃん。
幼稚園のときに将来の夢を書けと言われたが、わからず姉が書いていたケーキ屋さんと僕も書いた。
小学校の頃は野球をやっていたのでプロ野球選手と書いた。先日の記事でも書いたが本当に下手くそだったし微塵にも思っていないがプロ野球選手とした。
中学校では勉強ができた(今思えばただの暗記)と過信しており身近に働く大人がいないため学校の先生と書いた。
やっぱりこうして振り返ってみても将来の夢を聞く必要ありますでしょうか?むしろそう書かざるを得ない空気感を作っている方が問題ではないかな
と思っています。
小さい頃から将来の夢を無理やり言わせてその通りの人生にさせようとする
で、おとなになったらその現実とのギャップを感じどうすれば良いのかわからなくなる。で、何者かにならないといけないという無言のプレッシャーがある。
こういう人って結構多いんじゃないかなとわたしは思っていますがみなさんはどう考えていますでしょうか?
とりあえず僕は子どものときに将来の夢を聞かれるのが本当にいやでした。というお話です。
めでたしめでたし。
何者かになるのではなく、進んでいたら何者かになっていた
というのが正しいのではないかなと個人的には思っています。今できることをコツコツと積み上げていきます。一緒に頑張っていきましょうね。
以上です
今回は何者かになりたい病とわたしの子どものときに感じていた将来の夢を聞いていくることへの疑問をつなげて書いてみました。
次回もお楽しみに
ではまた