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Re:山羊部のさおちゃんへ。 遠距離親子をつなぐ、ヤギのお話。 はじまり

|遠距離親子、父と私

「ヤギ部のさおちゃんへ」
という1文で始まるメールが、父から届くようになったのは、私が1浪を経て美術大学に進学し、少し経った頃のことでした。当時、私はまだ実家暮らしだったけど、もう随分と前から父とまともに目も合わせていませんでした。理由は特になく、ただ思春期に崩れてしまった父との距離感を、修復できずにいたのだと思います。

父は途上国で井戸を作る仕事をしています。小さい頃は「私のパパは砂漠でお仕事をしているのよ!」と友達に自慢げに話していました。
父が出張から帰ってくる日はまるでクリスマスのようで、お土産を心待ちにしながら遅くまで帰りを待っていた記憶があります。汗だくになり、メガネを曇らせながら帰宅する父に「お帰りなさい!」と抱きつくと、むせかえるような異国の強い香りが、ツーンと私の鼻の奥を突き刺してきました。
今年で還暦を迎える父は、今でも1年の半分以上を海外で過ごしています。

成長するにつれて、いつの間にか父が出張に行くとホッとするようになりました。時々しか家にいない父との接し方がわからなくなったのだと思います。母と兄と私、家族は3人で十分だと思うようになっていました。

一緒に過ごす時間が半分しかない父は、私達の成長についていけていなかったのだと思います。私が中学生になり、高校生になっても、父はいつまでも「雪見だいふく買ってあげるから、一緒に出かけない?」と私に声をかけていました。
いつまでも私たちを、子供のままだと信じ切っている父が、すごく、苦手になっていきました。

|突然始まった、父からのメール

会話することはおろか、目を合わせることもなくなった10代の後半、大学入学後に突然父からメールが届くようになりました。
それは父が、出張先のエジプトやアフリカ、タンザニアで出会った「ヤギ達」についてのメールでした。

2014/10/21 10:46
件名 : 山羊の写真その 1

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ヤギ部のさおちゃんへ
さおちゃんもお兄ちゃんもまだ生まれる前、パパがエジプトのシナイ半島で地下水の調査をしていた頃撮った山羊の写真を送ります。シナイ半島は、アフリカ大陸とユーラシア大陸のつなぎ目にある半島です。旧約聖書の出エジプト記にあるモーゼ海を開いて渡ったのがこのシナイ半島で、今はケンカばかりしていますが、もともと同じだったキリスト教とイスラム教が発生した地です。日本人になじみはありませんが、欧米の人たち ( 一神教の人たち ) にとっては非常に聖なる地です。そして山羊は一神教の人たちにとっては、非常に重要な役割です。山羊は乾燥に強いため元々この地にいたと言われています。古代文明の栄えたエジプトでは人類最古の家畜とされています。パパは良く知りませんが、宗教的にも ( キリスト教もイスラム教も ) 山羊は非常に重要な動物で、いろんな儀式に使われています。ファイルが重いようなので、一枚ずつ写真を送ります。まず一枚目は一面砂漠地帯のシナイ半島の山を切り開いた道路で山羊をつれて歩いているベトウィン ( 砂漠の中の遊牧民族 ) の女性です。
 2014/10/21 10:46
件名 : 山羊の写真その 2

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これが 2 枚目です
パパ達は、砂漠に入ると何日も地下水の調査をするので、食料で生きた山羊も連れて行きます。写真 は、イスラムの祈りと共にその山羊を殺生しているところです。この山羊たちのおかげで、パパ達は調査を続けることができました。
2014/10//21/10:48
件名 : 山羊の写真その 3

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最後は、砂漠の丘で非常に少ない草を求めて歩いている山羊の写真です。山羊は食料でもあり、肉、乳製品の全て、そして山羊毛から着るものも得ていますので、北アフリカのアラブの人たちにとっては最も重要な動物です。エジプトのシナイ半島のヤギの写真はこれで終わりです。まだまだあるので、今後パパのアルバムを見せてあげますね。これからはアフリカで注意して山羊の写真撮ってくるね。

突然父から送られてくるようになったメールには、私が生まれる前から海外出張を続けてきた父が出会った、様々な国の「ヤギ」や、「ヤギ」と暮らす人々の写真が添付されていました。

「ヤギ部のさおちゃんへ」

目も合わせない、口もきかない娘である私が、大学のヤギ愛好サークル「ヤギ部」に入ったと聞いたことをきっかけに、疎遠がちだった父が送ってくるようになったメール。そのメールの頭にはいつもこの一文がついていました。
「ヤギ部のお友達に見せてあげてね」と言って、父はヤギについてのメールをその後3年間も送り続けてくれました。

父には一言も話しませんでしたが、大学のヤギ部はほとんど活動しておらず、名前だけのサークルでした。それでも私は、父からとつとつと送られてくる「ヤギ部のさおちゃん」宛のメールを、3年間受け取り続けました。

|父のメールを、絶対に本にしたい。

私は、この父からの3年分のメールを、大学3年時に1冊の本にしました。
世界に1冊しかない、父のメールと、写真を綴じた本。これが、実際に製作した本です。

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この本を製作してから、もう随分と時間が経ってしまいました。作りっぱなしだったこの本は、大学4年間で製作してきた作品の中で、一番気に入っている作品です。
この本を、父からのメールを、本当はいろんな人に見て欲しい、その価値のあるものだとずっと思っていました。
随分と、何もしないまま時間が過ぎてしまったけれど、今からでもきっと、遅くない。そう思って、この本を出版するために、いろんな人に知ってもらうための努力を始めることにしました。

一体どんなふうに進めていったらいいのかわからず、手当たり次第。いつ出版できるのか、1年後なのか、5年後なのか、もっと先になってしまうのか、わかりません。でもいろんな人に知って欲しい。見て欲しい。そういう気持ちで、今この文章を書いています。

ここ、noteでは、父が送ってくれた3年分のメールと、そのメールに対しての「今の私」からの返信を連載していこうと思っています。というのも、私は父が3年間も送り続けてくれたメールに対して、ほとんど返信をしたことがなかったのです。
忙しい現地での仕事の合間を縫って、山羊を見つけては写真を撮り、まめに送ってきてくれた父のメールを見て、私は、父について、家族について、そして遠い外国でくらす人々について、たくさんのことを感じ、考えました。

実の父からの他愛ないメールに、途上国でくらすヤギと、人々の暮らしが当たり前の風景として写っていること、家族写真を撮るカメラと同じカメラのレンズの中に、遠い国のヤギ達が写り込んでいること。

ああ、本当に私と地続きの世界に、このヤギ達は生きているんだな。

当たり前で、当たり前すぎて実感する機会がなかったこと。知っているけどわかっていなかったこと、それを現実のものとして理解するきっかけになった父のメールを、少しでも多くの人に見てもらいたいと思っています。


次の記事から、父のメールと、私からの返信を連載していきます。
最後まで読んでくださって、ありがとうございました。少しでも興味を持ってもらえたら、ぜひフォローよろしくお願いします。

twitterも少しずつ更新しています。
twitter @yagibunosaochan


●おまけ
製作した本を、大学の展示会で展示しました。父と母も見にきました。
母に製作した本を一生懸命見せている私の姿を、父が撮影してくれました。父はカメラが趣味で、いつも2〜3台のクラシックなフィルムカメラを持ち歩いています。私は製作明けで、ボロボロな姿に毛皮のマフラーを巻いていたので、母に「山賊みたい」と笑われました。大学が一番楽しかった頃。

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