#2 数学の魅力はいずこ(ボンジョルノ編)
あるわけないだろって思う人も一定数いると思います。それを肯定すると数学を愛する者たちに生ハムにされてしまう、というかよく考えると「それを肯定すると生ハムにされてしまう」と書いている時点で私は生ハムされる運命に賽を投げられてしまっている。
なので弁明させて欲しい。
数学には何とも言えない魅力がある!!
もう一回。
数学には何とも言えない魅力がある!!
…はず。そうであってほしい。
あるわけないだろって思う人も一定数いると思う。それを肯定すると生ハムにされてしまう、というかよく考えると「それを肯定すると生ハムにされてしまう」と書いている時点で私は生ハムに賽を投げられてしまっている。なので弁明させて欲しい。
という意味のないくだりはおいといて、真面目に話したい。学生の頃になぜか嫌がられてきた数学であるが、本当に嫌われるべきなのだろうか。未熟ヤギながら書いてみる。
ちなみにドドーンと3章構成である。
ボンジョルノ編(他教科と数学)
チャオ編(算数と数学)
ブオーナセーラ編(数学の世界)
正直長いと思っている。
まず、他の教科と比較してみた。
英語や国語と比較してみると、まず使われている言語が違うことが分かると思う。
英単語や日本語は、普通私たちが生きている上で服のように当たり前に実感するような意味を含んでいる。例えば、goat という単語は ヤギ という意味を持っている。つまり言うと実生活と関係性が深いのが 言語である 英語・日本語 なのである。
では、$${2x^3 + 3x^2 - 5x}$$ という数式は一体全体どのような意味を持たせることができるだろうか。そもそも 2乗を私達の関係が深いものに例えられることができるだろうか?
「1分で2個に分裂するウイルスを1個置いたとき、x分後には 全体で $${x^2}$$ 個になるよ」なんて言えるが、ぴんと来ない。そんな、日常生活から乖離してしまった学門が数学と考えている。
小学校のときは算数と言っており、「わにさんの口の角度を測ったら60度だったよ!!」と言っていたものの、中学校になり数学に変身し、三平方の定理だか相似条件だかになり、高校になるとローマ数字がついたりABCが隣にくっつくようになり、さらに猛威を振るった。この算数と数学の違いについては次のチャオ編で書きたい。
社会や理科も基本的に英語や国語と同じように言えると思う。
少し長くなったので今回はここで終わろうと思う。思うままに書いているので何か文章的におかしかったり、何か違うんじゃないかなと思うかもしれないけれどもご愛嬌ということにしてくれませんか。
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