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「すみません」より「ありがとう」に溢れる日常へ。
日常の中で、「すみません」と口にすることはよくあります。
”すみません”を使うタイミング
・誰かに何かを手伝ってもらいたい時のお願いとして
・誰かに何かを手伝ってもらった時のお礼として
・仕事でミスをした時の謝罪として
・ただなんとなく
などなど
この言葉について、私の思うところを徒然と書いていきますね。
■「すみません」という魔法の言葉
「すみません」という言葉は非常便利で、本来の意味を問わずとも、何気なく使える汎用性の高い言葉です。お願いするとき・お礼をいう時・謝る時など、多方面で活用できてしまいます。
便利ではあるけれど、なんとなく「こちらが悪い」というイメージが強いように思います。少なくとも私はそう感じています。
■「すみません」で感じる”曇り空”、「ありがとう」で感じる”青空”
ことあるごとに「すみません」を使う癖がついてしまった私。
どうしても”謝っている感”が抜けずに、ずっと繰り返すことで、それが習慣化してしまいました。
その結果、なぜかありがたいこと・感謝したいことに対しても”自責の念”に縛られるようになりました。英語の”Sorry”の要素ですね。本当は”Thank you”と言いたいのに。
なんとなくモヤモヤしてしまう...まるで曇り空がずっと続いているかのごとく...感謝の気持ちを後ろ向きに表現しているような気持ちです。
さらに、「すみません」と言葉を発する私の顔は、どこか申し訳なさを含んで、渋ったような顔だったと思います。
一方、「ありがとう」は晴れ晴れとした顔で言うことができることに気がつきました。感謝の気持ちを前向きに表現できる!そんな気がしたのです。
感謝の気持ちを後ろ向きに表現してしまうこと。
これってすごく勿体無い話だと思うのです。
■「すみません」は「ありがとう」で代替できる
いろんな局面で使ってしまいがちな「すみません」。
せめて感謝の気持ちを伝える時だけは「ありがとう」を使うようにしました。いきなり全てを置き換えることはできませんでしたが、少しずつ...
その結果、徐々に心が晴れていった記憶があります。
素直に感謝の気持ちを伝えたいのに、後ろめたさが残る表現はやめました。
せめて、感謝の気持ちだけは「ありがとう」で代替しています。
■「ありがとう」にあふれた日常に
「すみません」と言う言葉自体に悪い意味はありません。”一言では済まないほど感謝している”という意味合いもあります。
ですが、どこか植え付いてしまった”自責の念”から、自分自身の心が窮屈になってしまったのも事実です。「すみません」という言葉に”Sorry”の要素を強く感じていたからだと思います。
心が窮屈になってしまえば、それだけ視野も狭くなりがちです。
「ありがとう」が少しでも多くなれば、きっと心の窮屈さも緩和されていき、その結果、生きやすさにつながるのかなぁと思う次第です。
うまくまとまっていませんが、私の思うことを徒然を書き留めて見ました。
ここまでお付き合いいただき、ありがとうございます。
Thank you.