ピグー補助金と経済学の力
本日の日経新聞に社会学者である橋爪大三郎氏の論考
「疫病の文明論③緊急時の社会学」
が掲載されていました(電子版はこちら)。そこで
“補償は、景気対策でも経済の話でもない。公益のため払ったコストへの埋め戻しにすぎない。そして補償はすぐ払うべきだ。… こんなことは経済学の教科書のどこにも書いてない”
と、経済学に対して手厳しい批判が書かれています。最初に少しだけ反論させて頂くと(ただし、以下で述べるように反論がこの記事の主旨ではありません)、「経済学の教科書のどこにも書いてない」というのは少し言い過ぎだと感じます。なぜなら、
・負の外部性(=感染拡大)を抑えるために、行動制限を行うことに対して補償する
というのは、ケインズの兄弟子(師匠はアルフレッド・マーシャル)としても有名な、偉大な経済学者であるピグ―が提唱した「ピグ―補助金」そのもので、きちんと記述している教科書も珍しくないからです。(ピグー税やピグー補助金については、こちらのスライドもご参照下さい。恩師である神取道宏氏の名著『ミクロ経済学の力』の内容を整理したものです)
しかし、橋爪氏ほどの知識人にも、外部性やその対処法がきちんと伝わっていないのだとすると、経済学を教える側も反省すべきかもしれません。実際に、「ピグー補助金」(アメ)については、同じ外部性を抑える政策である「ピグー税」(ムチ)と比べて教科書での扱いが小さく、言及すらしていない場合もあります。そもそも、
・汚染を広げた人に罰則を
というのは理解しやすくても、(本来は出していたはずの)
・汚染を抑えた人にご褒美を
という理屈は、あまり直感的ではないのかもしれません。【注】
また、教科書に書かれているように、限界的なインセンティブ効果“だけ”に注目すると、ピグー税とピグー補助金の効果は同じですが、これらの政策が対象者の所得へ与える影響は真逆です。こうした発想から、対象者の所得制約が厳しい、今回のコロナ騒動下における自粛要請のような場合には
・補助金(アメ)の方が税金(ムチ)よりも望ましい
ことは、ちょっと考えれば分かり、「あっ、ピグー補助金の出番だな」と気付きます。ただ、この種の「所得効果」を考慮した外部性の分析は、おそらくミクロ経済学や財政などの標準的な教科書には書かれていません。(これからは教科書に、ぜひこのトピックを盛り込むと良いと思います)そのため、パッとは気付かない、という方もいらっしゃるでしょう。
教える側からすると、教科書に直接書かれていなくても自分の頭で考えて欲しい、と思わなくはありません。ただ、現実問題として、こうした応用思考を身に着けている経済学部生・卒業生はそこまで多くない印象です。これは、「経済学の力」をきちんと伝えることができていない、教える側の責任ではないでしょうか。次の世代に、経済学に対して、誤解や敵意を抱く知識人を生まないためにも、教え方・伝え方を改善していかなければいけない、と自戒を込めて感じました。
【注】ところで、以前環境省の審議会でピグー税とピグー補助金のハイブリッドのようなカーボンプライス(相対的に炭素削減に成功した企業には補助金、そうでない企業は税になるような仕組みです)を提案した際、異分野の専門家はもちろん、官僚の皆さんも理解にかなり時間がかかっていました。ピグ―補助金的な発想は、ある程度経済学的なトレーニングを積んだ方であっても、すぐに理解するのが難しい考え方なのかもしれません。