注目集まる「マーケット・デザイン」  欧米の制度設計で適用

日本経済新聞「経済教室」(2008年6月5日・朝刊)より転載。
【補足1】〜【補足4】については新たに追記。

<ポイント>
・「メカニズム・デザイン理論」の実践進む
・制度設計、市場の特性見極めが重要
・周波数オークションや学校選択制で成功

 2007年のノーベル経済学賞がメカニズム・デザイン理論の確立に対してレオニード・ハーヴィッツ米ミネソタ大名誉教授、エリック・マスキン米プリンストン高等研究所教授、ロジャー・マイヤーソン米シカゴ大教授の三氏に授与されたことは記憶に新しい【補足1】。現在、このメカニズム・デザイン理論の現実への実践である「マーケット・デザイン」という新しい分野が注目を集めている。

 伝統的な経済学は、経済制度を与えられたものとして捉え、その機能や帰結の分析に力を注いできた。分析対象の中心となったのは、完全競争市場と呼ばれる理想的な市場だ。完全競争市場においては、弱い技術的な制約のもとで効率的な資源配分が達成されることが知られており、これが「市場に委ねればうまくいく」という消極的な姿勢を生み出してきた。完全競争市場を離れると様々な市場の失敗が起こるが、それらを克服して市場の質を改善するための統一的な分析手法は知られていなかった。長きにわたり経済学は「受け身」の学問であったのである。

 一方のマーケット・デザインでは、経済制度は与えられるものではなく一から設計するものとして捉える。その理論的な背景であるメカニズム・デザイン理論は、想像上のものまで含むありとあらゆる経済制度を統一的な視点で分析する方法を提供した。これにより、完全競争市場を離れた制度の設計が可能になったのだ。現実には完全競争市場は存在しないし、どの二つとして同じ市場も存在しない。現実の市場をうまく機能させるためには、個々の市場の特性に応じたルールの整備や微調整といったマーケット・デザインが必要なのである。

 経済学研究の本場米国では、既にマーケット・デザインが様々な市場において実践されている。その代表的な成功例が電波周波数帯市場の制度設計である。1994年よりスタートした FCC(連邦通信委員会)による電波周波数帯オークションでは、米スタンフォード大学のミルグロム、ウィルソン両教授らが考案した「同時競り上げ式オークション」という方式が用いられている【補足2】。

 オークションでは、個々の入札者が自分の評価額に応じた適切な入札を行うことで効率的な配分が達成される。複数の周波数帯を同時に売りに出す電波周波数帯オークションではこの評価額の計算が難しく、適切な入札行動をいかにして導き出すかが課題であった。マーケット・デザインは、この問題を解決する現実的な手段を提供することに成功し、効率的な電波の配分と莫大 な収益という果実をもたらしたのである。

 マーケット・デザインが扱うのは、電波周波数帯のように価格が中心的な役割を果たす伝統的な市場だけにとどまらない。臓器移植や学校選択制といった、金銭の授受が法律的・倫理的に禁止されている市場においてもその成果がいかされている。

 価格メカニズムの働かないこういった市場では、価格ではなく参加者の選好や性質に関するデータを集計して機械的にマッチングを行う、中央集権的な「マッチング・メカニズム」を運用することで、需要と供給をマッチさせる。

 米ハーヴァード大学のロス教授、米ボストン大学のソンメズ教授、米ピッツバーグ大学のユンベル助教授が04年に提案した腎臓交換メカニズムもそのようなマッチング・メカニズムの一つだ。米国では七万人を超える患者が腎臓移植を希望しているものの、実際に移植を受けることができる患者は年間一万強に過ぎず、毎年数千人もの患者が移植の願いが叶わず、命を落としている。腎臓移植が難しい最大の要因は血液型に代表される適合条件にある。

 ロス教授達のメカニズムは、適合条件がそろわなかった不幸な患者―ドナーのペアを集めて新たにペアを組みなおすもので、できるだけ多くの患者の適合条件が揃う、つまり多くの患者の命を救うという最も望ましいマッチングの達成が可能になった。この腎臓交換メカニズムは現在、米国東部で実際に導入され始めており腎臓移植の可能性を劇的に広げ、人命を救うのに大きく貢献している。

 臓器移植と並んで近年大きな注目を集めているのが学校選択制である。学生が自分の学区域に縛られることなく幅広い選択肢の中から公立学校を選ぶことができるこの制度は、米国のみならず日本においても2000年の品川区(小学校)を皮切りに広がりを見せている。

 03 年、米コロンビア大学のアブドゥルカディログル助教授 (現デューク大学准教授)はソンメズ教授との共同研究で、メカニズム・デザイン理論がこの学校選択においても有用であることを初めて指摘した。そして、当時実際に用いられていた代表的な学校選択制(これを「ボストン・メカニズム」と呼ぶ)に代わる代替案を提示した。

 実際ボストン市とニューヨーク市では、学校選択制を彼らのアイデアに基づく新たなメカニズムに変更した。ボストン・メカニズムでは、希望校が定員オーバーで抽選に外れた場合、既に定員が埋まっている学校に応募することができない。この場合、本当は行きたいのに抽選に外れるリスクを嫌って、あえて人気校に応募しない学生が出てくる。

 一方、新メカニズムは抽選に外れても自分がまだ応募していない希望校にいつでも挑戦することができるものだ。そうなると、各学生は自分の希望する学校のランキングを正直に申告することが最善となるため戦略的に嘘をつく必要がない。この戦略的な虚偽表明はボストン・メカニズムの抱える大きな問題と考えられていたため、制度変更の決め手となったのである。

 著者はアブドゥルカディログル助教授と米コロンビア大学のチェ教授とともに、望ましいと思われていた新メカニズムにも欠陥があることを発見した【補足3】。「学校に対 する相対的な好みを偽ることが得にならない」という新メカニズムの利点は、裏を返せば「どんなに “絶対的な” 好みが違う学生も “相対的な” 好みに応じたランキングを提出せざるを得ない」という制約を意味する。

 例えば、学校Aの方が学校Bよりも圧倒的に望ましい学生も、学校Aが学校Bよりもほんの少しだけ望ましい学生も、同じようにAをBの上にランクするしかない。この選好表明に対する制約は、学生と学校の効率的なマッチングを妨げる危険性がある。我々は、新メカニズムで生じたこの問題を改善するため、学校の相対的なランキング提出のほかに、(ひとつだけ)選んだ学校に対して抽選における優先順位をあげることができる指定校オプションを加えた修正版メカニズムを考案した【補足4】。我々のメカニズムは理論およびシミュレーションテストの両面から新メカニズムをしのぐ高いパフーマンスを示しており、現実の学校選択制への応用が期待される。

 以上、駆け足でマーケット・デザインの現状を展望してきた。マーケット・デザイン研究はまだ日が浅くその本格的な実践は米国においても始まったばかりだが、急ピッチで研究成果が蓄積されている。そこで得られた知見は是非とも日本の市場制度改革にも活かすべきである。上述した学校選択制は既に日本でも始まっているし、医学部研修医の病院への配属には、米国をはじめ各国で成功を収めたマッチング・メカニズムが実際に用いられている。これらの市場以外にも、ゼミや研究室の割り当て、企業内での人事配属、空港の発着枠の販売など、マーケット・デザインが応用できる分野は幅広い。

 電波周波数帯に代表されるいわゆるライセンス使用に関しても、現行の政府主導による不透明な認可制からオークションに切り替えるという発想が必要になるだろう。実際に、欧州で00年および01年に行われた第三世代携帯電話の電波割り当ての際に、多くの国でオークションが採用された。そして英国やドイツといった成功国では、大きな収益を国庫にもたらしたが、オークションをどうデザインするかで収益は大きく異なる。

 もちろん日本において成功国と同様の結果が得られる確証はないが、財政再建が急務である現状をかんがみれば、十分に検討に値するといえるのではないだろうか。


【補足1】ハーヴィッツ教授については、ノーベル経済学賞に関する次のnote記事でも言及している。
ノーベル経済学賞って何だろう?

【補足2】2020年のノーベル経済学賞は、ミルグロム、ウィルソン両教授に授与された。受賞理由や関連情報は以下のnote記事(2020年10月14日公開)をぜひご参考頂きたい。
完璧なオークションを求めて

【補足3】この研究は、2011年に以下の論文として刊行された。
Resolving Conflicting Preferences in School Choice: The "Boston Mechanism" Reconsidered, American Economic Review, Vol.101, No.1, pp.399-410, 2011.

【補足4】この研究は、2015年に以下の論文として刊行された。
Expanding "Choice" in School Choice, American Economic Journal: Microeconomics, Vol.7, No.1, pp.1-42, 2015.

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