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手数料が下がるとアプリは安くなるのか?

 Google Play StoreやApp Storeに代表されるモバイル・プラットフォームの手数料は、ニュースなどでもよく話題にのぼります。収益(売上)の30%という手数料率が高過ぎる、と考える批判者たちからは「アップル税」と揶揄されることもあるようです。【注1】 手数料をめぐる議論では、プラットフォーム側とアプリ事業者側との対立に焦点があたりがちですが、アプリを実際に購入・利用する消費者に与える影響も無視できないでしょう。【注2】

 というわけで、突然ではあるのですが、今回は「手数料はどのくらいアプリ価格に転嫁されるのか?」という問いについて考えてみたいと思います。この問題は、僕の専門分野でもある、産業組織論で登場する「垂直的取引」という枠組みで分析することができます。詳細は割愛しますが、垂直的取引の代表的な取引形態には卸売モデルと代理店モデルがあり、今回のプラットフォーム手数料は「代理店モデル」の一種として解釈することができます。(小田切先生のテキストの図がわかりやすいので紹介されて頂きます↓)

『産業組織論』(小田切宏之)257ページより引用

 少し裏話をすると、実はちょうど先日、大学で担当している「応用ミクロ経済」で垂直的取引について講義を行ったばかりです。その内容にインスパイアされて記事を書いてみようと思った、というのが今回の背景です(笑) せっかくなので、そのときの講義の板書も載せておきます。

「応用ミクロ経済」講義板書その1
「応用ミクロ経済」講義板書その2

 「手数料はどのくらいアプリ価格に転嫁されるのか?」という問いに戻りましょう。結論から先に言うと、アプリ市場のように限界費用(追加で1単位だけ生産・販売するためにかかる費用)が非常に小さい商品やサービスの場合には、手数料は価格にほとんど転嫁されません。少なくとも、理論上は「価格転嫁はほぼ起こらない」ことが示せます。特に、限界費用がゼロの場合には、手数料が何パーセントであっても価格転嫁は起こりません。この性質は、次のような形で直観的に説明することができます。

 いま、いったん手数料のことは忘れてください。限界費用がゼロの場合には、利潤(πとおきます)は、収益(R)から固定費用(F)を差し引いた差額になります。数式で表すと以下のような引き算の形になります。

$$
\pi = R - F
$$

 固定費用(F)は、すでに支払い済みの研究開発費などです。これはアプリの価格や販売量には左右されません。そのため、この事業者にとって「利潤を最大にするようにアプリ価格を決める」ことと、「収益を最大にするようにアプリ価格を決める」ことは同じであることが分かります。少し経済学っぽく表現すると、利潤最大化と収益最大化が一致するのです。

 次に、手数料を導入します。事業者は収益の一定割合(γとおきます)をプラットフォムに支払わなければならない、としましょう。このとき、利潤はγの関数となり、次のように表現することができます。

$$
\pi(\gamma) = (1-\gamma)R - F
$$

 たとえば、γが冒頭で言及した30パーセント、すなわち0.3だとすると

$$
\pi(0.3) = 0.7R - F
$$

となり、事業者の利潤は収益の70パーセントから固定費用を引いたものになります。

 ここで注目したいのは、たとえ手数料が課されていても、やはり「利潤最大化と収益最大化は一致する」という点です。たしかに、事業者がアプリ販売によって受け取る(1−γ)Rはγの値に依存します。しかし、この水準はプラットフォーム側に決められている定数で、事業者は直接コントロールすることができません。そのため、利潤であるπ(γ)を最大にするためには、収益Rを最大にするしかないのです。言い換えると、プラットフォームに課されるγが変わっても、(利潤最大化を行っている)事業者が選ぶ価格自体は変わりません。これが、価格転嫁が起こらない理由です。

 以上の議論は、手数料が定率、つまり収益の一定「割合」である、という点に強く依存している点に注意が必要です。収益と関係なく一定の「金額」を支払う定額制の場合には利潤最大化と収益最大化は一致しなくなります。たとえば、アプリが1件ダウンロードされるたびに事業者がプラットフォームに100円を払うような定額制の契約をイメージしてみましょう。アプリの販売量をqとおくと、この事業者の利潤は次のように表現されます。

$$
\pi = R - 100q - F
$$

 ここで、利潤はもはや収益と固定費用の単なる差額ではなく、そこからさらに「100q」という変動費用を引いたものになる点が重要です。qを追加的に1単位増やすごとに100円の費用が発生することから、この事業者にとっては、プラットフォームに支払う100円が実質的に限界費用となってしまうことが分わかります。【注3】

 一般に、限界費用の水準は企業が設定する価格を決定的に左右することが知られており、限界費用が下がれば価格も安くなります。さきほどの議論で手数料が定率の場合はアプリ価格に転嫁されないことを確認しましたが、もし課金方法が異なり、定額だった場合には価格転嫁が起こるのです。

 モバイル・プラットフォームの手数料をめぐる議論では「定率か定額か」といった違いが話題にあがることはほとんどありません。プラットフォームが定率型の手数料をチャージしていることから価格転嫁が起こりにくい、すなわち消費者に負担がしわ寄せされにくい、という現行の手数料ルールがもたらす特徴は、もう少し注目されても良いのではないでしょうか。

 P.S. この数日バタバタしていたら、投稿が12月24日になってしまいました…😅 というわけで、みなさんメリー・クリスマス🎄


【注1】Appleは、前暦年の合計収益額が100万ドルを超える事業者に対しては30パーセントを課している一方、100万ドル以下の事業者に対しては半額の15パーセントを手数料として設定しています(詳しくはこちら)。ちなみに、無料のアプリに関してはそもそも手数料を取っていません。Googleも同様の手数料率を課しているようです(詳しい情報はこちら)。

【注2】手数料の引き下げが消費者にもたらし得る影響として、アプリ価格の低下(価格転嫁)というプラスの効果の他にも
・プラットフォームの収益が悪化しセキュリティ対策などが疎かになる
というマイナスの効果も生じる可能性があります。今回の記事では、前者の価格転嫁のみに焦点を当てますが、セキュリティ対策も重要な論点ですので、いずれ別の記事で取り上げてみたいです。

【注3】定額の手数料が及ぼす影響については、代理店モデルと並ぶ垂直的取引のもう一つの代表的なモデルである「卸売モデル」を使って分析することができます。興味のある方は、本文で紹介した小田切先生のテキストなどをご参照ください。

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