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【短文レビュー/邦画新作アニメ】『ふれる。』長井龍雪監督・・・最近のアニメ映画は登場人物たちを異空間に飛ばさないといけない決まりでもあるのか
トップ画像:(C)2024 FURERU PROJECT
監督:長井龍雪/脚本:岡田麿里
配給:東宝、アニプレックス/上映時間:107分/公開日:2024年10月4日
出演:永瀬廉、坂東龍汰、前田拳太郎、白石晴香、石見舞菜香、皆川猿時、津田健次郎
「ふれる」と呼ばれる謎の生物(?)の力によって、身体に触れることで相手の考えていることがわかるようになり親友となった3人の男子小学生。月日は過ぎ、成長して大人になって上京してもまだ、同じ家で暮らすほど親密なままでいる(「ふれる」も一緒)。その関係性は強固なままで、夕飯を何にするかなど、ことあるごとに手を触れ合わせて本心を伝えている。
この導入部に薄ら怖さを感じない人はいないだろう。互いに心の内がわかってしまう相手と仲良くなれるのは、単に彼らが子供だったからだ。その関係性のまま成長しているのならば、本音と建前を使い分ける訓練の機会も無いまま、「他者とは本質的には理解できないものである」という事実を知らない未熟な大人が出来上がったという意味である。それをなんだか尊いもののように描いているのは、あまりにグロテスクだ。
もちろん部外者によって、その気持ちの悪い関係性は否定されるし、詳細は省くが「ふれる」によって都合よく創造されていた偽りの友情なのだと後に看過される。そうして、本来の真っ当な人間関係を改めて構築するに至るのだが、それは単に通過儀礼のタイミングが遅かったってだけの話だ。そんなものに、はたして物語としての価値はあるのか、甚だ疑問である。
しかし最近のアニメ映画は、最後に登場人物たちを異空間に飛ばさないといけない決まりでもあるのか。本作も御多分に洩れずそれまでの文脈無視で唐突に異空間へと飛ばされるのだが、特に映像がすごいわけでもなければ、別に独創的な空間でもない。雲が綿飴になるとか、さすがに発想が貧弱過ぎる。必要ないのなら、無理にやらなくてもいいのに。