史記1 黄帝
史記は全八巻。一巻には皇帝から武帝までの歴史が記されている。今回は本紀を読みながら、頭に浮かんだことを徒然なるままに書いていく。
黄帝、姓は公孫、名は軒轅。神農氏に仕える。
時の皇位は神農氏の手にあったが、手綱が緩み、反乱が頻発。
軒轅は将軍として、反乱の鎮圧にあたった。炎帝の子孫をうち、蚩尤をうったあと、民衆に望まれて自ら帝位についた。
黄帝は武将あがりの人間、尚武の政策を行うのが自然だ。
しかし、そうはしなかった。
黄帝は帝位についたのち、諸侯を平らげると、矛を収めた。暦を正し、平和を是とする尚文の政策を行ったのだ。
黄帝は後継者に顓頊を指名して崩じる。
司馬遷は史記の先頭に黄帝の記述を置いた。中国では黄帝を中国人の祖先とする、一種の信仰も生まれた。黄帝こそ、中国人にとっての理想の王者像なのだろう。
黄帝は優れた武将だ。自身の野望ではなく、民衆に望まれて帝となる。政治は武よりも文をたっとび、優れた人間に帝位を譲った。
この理想像にもっとも近い人物は趙匡胤だろう。彼はすぐれた武将であり、部下たちに推されて帝位に上る。武官よりも文官を重んじ、言論の自由が保障された。
跡を継いだ弟の趙匡義は、即位の際には先帝を暗殺したという噂が立つも、軍事政治ともに優れ、趙匡胤の政策を踏襲した。
逆に正反対の人物は毛沢東だろう。
毛沢東には軍事的才能がからきしなかった(ヒトラーと同じで、部下の手柄を使って自身を軍事的天才と飾り立てることはした)。権力を握ってからはアメリカの軍事力を抜くために無理のある政策を強行。反対派は粛清し、文化を破壊した。言論の自由など言うまでもない。
陳舜臣いわく、歴史は繰り返さない。しかし、パターンは存在する。黄帝は理想の君主のプロトタイプであり、パターンの源流だといえよう。