史記2 五帝~殷

 黄帝、顓頊、帝嚳、尭、舜は五帝と称される。舜の後継者である禹から夏王朝がはじまる。

 ニコロ・マキャベリは、君主には二つの資質が必要だと説いた。ライオンの気質とキツネの資質である。黄帝はライオンの気質を多く持った君主であり、顓頊はキツネ型の君主だ。

 ライオン型の初代、キツネ型の二代目というパターンは歴史上よく見られるパターンだ。ライオンはその武威によって古いものを破壊し、新しいものを作る。キツネはライオンの創ったものを受け継ぎ、定着させる。

 存在感の薄い帝嚳を挟み、儒教で理想の人物とされる二人、尭と舜が続く。

 尭の時代、禹の父親である鯀が治水工事を行った。しかし失敗したため、辺境に流される。
 禹は流罪となった父の悲惨を見て育ったのだろう。強い強迫観念に追い立てられるように、身をすり減らしながら治水工事を行い、家にも帰らず、工事道具を手に持って中国中を駆け回り、工事を完成させた。
 舜は禹の功績を認め、後継者に指名。禹は武力でも徳の高さでもなく、インフラ整備の功績によって帝位に上る。

 禹の息子、啓は民衆に愛されていたため、王位の世襲がはじまる。

 啓の息子の大康は怠け者だったため、羿に位を奪われる。
 羿は中国の神話に登場する英雄だ。十個の太陽が昇り、人々が干ばつに苦しんだとき、太陽を射落とした。史記にはこの話は乗っておらず、帝位の簒奪者としてのみ名を留める。

 夏最後の王・桀は暴君であったため諸侯がそむいた。臣下の湯はその鎮圧に向かう。反乱軍を破った湯は引き返して都を攻撃、桀を殺して自ら王となる。黄帝と同じパターンだ。あるいは皇帝の物語が湯を真似たのだろうか。
 湯は殷の開祖である。

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