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反逆の灯
私が初めて髪を染めたのは、中学校2年生のとき。
それまで、特に目立った存在でもなければ、「目立ちたい」などと思ったことすらなく、どこにでもいる、どちらかと言えば地味な存在だった。
それは中学校の生活でも同じで、特に勉学に励むわけでも、部活動に力を入れるわけでもない、「ただの日常」を繰り返すだけの日々。
そんなある日、授業が終わり、部活へと向う人、遊ぶ相談をするグループ、教室の掃除を始める人、それぞれの放課後を過ごしている頃、帰宅の準備をしていた私は、担任から全校放送で職員室へと呼ばれたのだ。
「なんでアイツが?」と言うような目つきを向けられながら、思い当たることもないまま職員室へ向かうと、掛けられたのは思いがけない言葉だった。
「生徒会長の選挙に出てみないか?」
40代の、人として脂の乗り切った数学担当の担任教師は笑顔でそう言った。
今度は、自分自身が「なんで私が?」という目つきになっていたと思う。
数舜の逡巡ののち、私は一言、「出ません」と答えた。
当然だろう、生徒会どころかどこの委員会にも所属したことがなく、もちろん立候補したことも、冗談で推薦されることすらなかったのに、いきなり「生徒会長」とは。
その言い方が気に食わなかったのか、担任教師は一瞬で能面のような無表情になり、
「ただでさえ、いるのかいないのかわからないような存在なんだから、こういう機会を生かさないと内申書の書きようもないんだよ。」
と、吐き捨てるように言い放った。
瞬間、私の身内がカッと熱くなった。
おそらく顔にも出ていただろう。
自分の中で、何かが爆発したようだった。
怒りだけでもなく、悔しさだけでも悲しさだけでもなかった。
ありとあらゆる負の感情が入り交じり、津波のように襲ってきた、というような表現が一番近いかも知れない。
「わかりました、出ます。」
答えると、担任教師は満面の笑顔になり、用意していた立候補用紙を手渡しながら、
「良かった!じゃあこれ、本人が書くところと保護者が書くところがあるから、親御さんにも見てもらって、来週の水曜日までに持ってきてくれるか?」
「再来週の月曜に全校集会で立候補者の紹介もあるから、何か話すことも考えておいてくれ」
どういう返事をしたかは、覚えていない。
半ば放心状態というか、ひどく虚ろな感じだったが、頭だけはブンブンと音を立てているかのように回っていた。
その日、私は家に帰り、普段は母親にしか話さないような学校の話を、両親が揃うのを待って話した。
担任教師から言われた言葉、その時感じたこと、これから「やる」と決めたこと。
母はひどく心配し、思いも掛けない娘の決心に動揺しているようだった。
父は無言で話を聞いていたが、私が話し終わると、
「お前の好きなようにやりなさい。ただし、結果、自分では手に負えないと思ったら、すぐに私たちを頼ってくれ。」
と力強く請け負ってくれた。
全校集会のある月曜日の朝、私は頭髪を燃えるようなオレンジにして登校した。
前日、気乗りしない様子の母が、それでも丁寧に洗面所で染めてくれた。
染め終わると上機嫌で、「思った以上に似合う」と二人で笑いあった。
学校へは、わざと遅れて行くことにした。
全校集会が始まって、生徒会長選の話になるまで、体育館の裏で待つ。
目的さえ果たせば、別に目立ちたいわけでもないし、風紀を乱したいわけでもなかったから、それでいい。
パーカーのフードを被り、体育館の裏口で待つ。
ここから階段で放送室を経由して直接ステージ裏に行くことができる。
待つ間、自分でも驚くほどに冷静だった。
校長の話が終わり、校外活動の表彰伝達が終わった。
いよいよ、次が出番だ。
私は大きく息を吸いこんでから、裏口からステージ裏に向かった。
各立候補者の名前が呼ばれ、それぞれクラスの列から送られて壇上に向かう様子が見えた。
学校祭準備委員、風紀委員、書記、副会長・・・。
最後に生徒会長候補3名の名前が呼ばれ、他クラスの生徒2名がステージに立ち、私の名前も呼ばれたが、遅れている旨を司会が話している途中で私がステージ裏から現れ、何食わぬ顔で列に加わる。
一瞬の静けさの後、どよめきが起こった。
私は教師に止められる前に、茫然とする司会からマイクを取り上げてこう言った。
「2年〇組の〇〇です。このたび、担任から『いるかいないかわからない』という理由で生徒会長選に出るように言われ、立候補しました。何ができるかはまだ分かりませんが、教師の心無い一言で傷つく生徒がいないような学校を目指したいです!」
体育館は、それこそ蜂の巣をつついたような大騒ぎになった。
思い当たるフシのあるような生徒から、ただ単に騒ぎたい生徒、上着を抜いて振り回す生徒もいた。
私は自ら壇上を降り、生徒の制止に加わっていない教師の列に軽く頭を下げて体育館を後にした。
教室へと向かう廊下を歩く靴音さえも、軽やかに感じるくらい、体も心も軽かった。
自分で思っていた以上に上手くやったことに興奮してるんだ、と気付いたが、こみ上げてくる笑いを抑えることができなかった。
これから起こるであろう、呼び出しや説教までが楽しいことのように思えたし、何も怖いことなどない、「無敵感」に包まれていた。
その後のことは、ここで書くまでもないと思う。
私はその日のうちに立候補を辞退し、騒ぎを起こした謝罪をし、髪の色も戻したが、「いるかいないかわからない存在」ではなくなった。
今のところ、髪を染めたのはあれが最初で最後となったが、今後も何か「高圧的な理不尽」が自分の身に降りかかったなら、私は髪を染めるだろう。
私にとって「髪を染める」とい行為は、「戦う姿勢」を世間に知らしめる、「反逆の灯」なのだ。
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