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小説「杉治は及ばざる籠とし」④

4 将器
八甲館は蜂の巣を突いたような騒ぎになっていた。
長山自らが陣頭に立ち、礼物の準備に奥女中から厩番まで総動員し、蔵からの運び出しや積み込み、飾り付けに追われているようだった。

今朝方に返書を携えて戻ってきたのは、稲原将監と同行した小者の一人で、すこぶる付きの健脚の持ち主だった。

将監その人は同行したその他の部下と共に接待を受け、一晩を因幡山城に過ごしたらしいが、返書を一刻も早く届けるため、この小者だけを夜通し走らせて先行させたらしかった。

返書の内容は至って簡素で、「輸送を許可する」という旨の高圧的とも事務的とも取れるものだったと言う。宗清が苦笑と共に家老である稲原源四郎に返書を渡し、一言、

「傲慢であるな。」

と呟いたらしい。

世は戦国とは言え、自らの父を誅して政権を簒奪するほどの男なのだから、これほどのことは驚くうちには入らぬが、そのいかにも高慢で偉ぶった性格が、この一事をとってもおよそ計り知れようというものである。

治直は、宗清が執務室として使っている大広間奥の居室で稲原からその話を聞き、やはりこれからの美濃国を治める器ではない、と思わざるを得なかった。

この美濃国と言うのは、関東からでも、上越や中部からでも、帝のおわす京の都を手中に収めようとするならば、絶対に外せない要所である。

関東管領の要職を引き継いだ越中の植杉、その植杉と実力で拮抗している甲斐の竹田、そして急激に力を増しつつある尾張の尾田。

美濃国を取り巻くこの三大勢力が、虎視眈々と狙っているのが上洛であり、その後顧の憂いを断つためにも、補給連絡のためにも絶対に必要な土地となるのがこの美濃国なのである。

現在、植杉は竹田と、尾田は今河と、それぞれが国境を挟んで小競り合いを繰り返し、美濃周辺国では緊張状態が続いているが、その緊張が解かれれば、次に狙われるのはこの美濃だ。

恐らく義辰も、この周辺国の動きを見、今ならばどこからも父の援軍が来ないと踏んだ上で事を起こしたに違いない。

しかし、その老獪さで美濃国を運営し、巧みな戦ぶりで「美濃の蝮」と恐れられた斎藤道山がいてこその、美濃の平穏だったのである。自らの手でその父を斃した義辰に、美濃を守り切る器量はない。つまり義辰は、父を弑して自分の命脈をも断ち切った格好だった。

だが、義辰にはそこのところが理解できていない。
既にこうしている間にも、関東に基盤を伸長したばかりの植杉は別にしても、既に軍を動かしている尾田家や竹田家では、軍を返して美濃を狙ってくる可能性すらあるのだ。

そこに割って入ろうと言うのが、八柄家である。
家格も石高も三大勢力に比すべきものは何一つないが、地の利を生かし、時を味方につけ、一躍表舞台に飛び出そうとしている。

そしてその目論見が、後世に英断と取られるか無謀と取られるかは、まさにこれからの数日間に掛かっていた。

「杉谷様、春日様がお見えです。」
「あいわかった。」

侍女の一人に声を掛けられた杉谷は稲原に一礼し、大広間へと移動する。
そこに、副官となる春日が座し、杉谷を待っていた。

「おお、早、ご出仕でござったか。」
「春日様も、お早いですな。」

春日重兵衛は治直よりも一回り年上の、血気盛んな武将だった。
元々は甲斐生まれの山師であるが、その膂力を買われて足軽頭に抜擢されると、戦場でめきめきと頭角を現し、八柄家戦闘集団の一翼を担える位置にまで上り詰めた。

柄まで鉄製の重い金槌を振るい、立ちはだかる敵を文字通り「叩き潰す」という戦法を得意とする、六尺余の大兵である。

性格は至って温厚で、無類の子供好きでもあり、自身も六男三女に恵まれながら、近在の子供らを招いて遊びや狩りの仕方を教えたりもしていると言う。

「いよいよですな。御館様にとっても、我々にとっても、まさに一世一代の大勝負となりましょうな!」
「その通りにござる。春日殿には、是非にも手柄を立てていただき、八柄家の柱石となってもらわねば。」
「お心遣い、忝く。命懸けで、励みまする。」
「おう、その意気や好! 昨日の手筈通りに掛かれば、一揉みにござる!」

二人はそう言うと、莞爾と笑い合った。

「おっ! 御両所! 何やら愉し気ですなぁ!」

そういって大広間に姿を現したのは、もう一人の副官、堀三九郎である。
この誰にでも気さくで剽軽な振る舞いを見せる姿とは裏腹に、戦場では鬼神の如く暴れ回る刀術の達者だった。

達者とは言っても、誰かに師事をして技を磨いたわけではなく、ただひたすらに戦場で刃を振るって築き上げた介者剣法であり、平時には大小の刀を差しただけでふらつくような歩き方をする。

そのあまりの頼りなさに、「三九めは役者にでもなるために生まれてきたのであろうよ」などと同僚から軽口を叩かれる始末であるが、戦場での堀三九郎を知る人間は誰一人として笑わない。

「おお! 堀殿! ちょうど二人で意気、込んでいたところでござる! 堀殿も、お一つ!」

重兵衛は三九郎の戦場働きを見たことがないらしく、その言にはどことなく侮蔑的な響きが感じられた。しかし、三九郎はそれを意に会することなく微笑み返すと、

「されば、ここはひとつ義辰殿の首級でも挙げてご覧にいれましょうず!」

芝居っ気たっぷりにたたらを踏みながら言ったものである。治直は戦場の三九郎を知っているだけに、膝を打ってその意気を褒め称えたが、話を振った重兵衛の方が逆に面食らったように固まってしまった。

「ははは! ま、お互い死なぬように努めましょうぞ! 奥方様にはご懐妊のご様子、誠におめでとうござる!」

着座しながら重兵衛の肩を気安く叩き、巧みに話題を変えてしまう。このあたりの気の回し方も三九郎のしたたかさを示す一面であり、治直はこの気のいい二人と共に戦場に立てることに満足を覚えて頷いた。

ここでようやく我に返った重兵衛が、それこそ満面の笑みで照れ始める。

「いやはや、お耳が早い。来春には十人目の子供が生まれまする。」
「おお、もしやすると因幡山城で生まれる最初の子になるかも知れませんな!」

すかさず合いの手を入れる三九郎の言を聞いて、重兵衛の顔が引き締まった。言われて初めて気が付いたのだ。しかし、そうなれば非常にめでたいし、生まれてくる子にとっても幸先がいい。重兵衛にとって、因幡山城を攻め落としたいもう一つの確固たる理由ができた。父として、生まれてくる子のために城を獲る、と言うのはいかにも武人らしく、誇らしい。

三九郎が目配せしてきたのを見て、治直が語を継いだ。

「うむ。そうなれば、まさに二重にめでたき事。どうであろうか、御館様にその子の名付け親になっていただく、と言うのは?」
「ま、まことでござりまするか!?」
「おお、それくらいのことは致しましょうず。いずれにしろ、まずは無事に城を落とすことが肝要にござる。懸命に立ち働きまするが、まだまだ未熟の治直にござりまする。軍令に付き上役ということには相成り申すが、御両所のお力が、何よりの不可欠。よろしゅう、お願い致しまする。」

そう言うなり、治直はきっちり三つ指を揃え、深々と頭を垂れた。三人だけの席ではない、忙しく立ち働く者たちが行き交う大広間での出来事である。当然、この行為は二人の感動を呼んだ。

「ややっ! どうか、頭をお上げ下され!」
「おお! まさに、杉谷殿の手足となって立ち働きましょうず!」

こうして治直は、戦場において何より頼りになる、開襟の部下を得ることとなったのであった。


5 
最後の軍議が開かれ、明後日の早朝に開戦という決が下された。
当初の予定通り、第二軍となる治直の部隊が夜陰に紛れて進発することになる。

途中で道を逸れ、因幡山城からもほど近い大塚森に埋伏し、中山率いる偽の荷駄隊が城内に入るのを合図に攻め掛かる手筈であった。

治直から遅れること約一刻、早朝に進発する荷駄隊は青葉山にて夜を過ごし、明後日の早朝に因幡山城に入城することになっている。

中山からさらに遅れて宗清率いる本隊が進発する。道が細く険しい山間の道をあえて進み、できるだけ人目につかぬようにするのだ。道先案内には山師上がりの小物が当たる。

この三部隊の連携をより確実な物にするために、農民に扮した兵が因幡山城を中心とした道沿いに散らばり、それぞれに合図を送り合うことになっていた。

敵方の不審を呼ぶ狼煙や太鼓は使えないので、呼子と呼ばれる笛の音を使う。美濃や甲斐では鉱山堀りの山師たちが日常的に使用しているので、不審を抱かぬだろう、ということであった。


軍議が終わると早々に屋敷に引き上げた治直は、戦支度を整えて待っていた二人の小者と、見送りに集まった近在の農民たちに出迎えられた。軍議が始まる前に、人をやってあらかじめ知らせておいたのだ。

屋敷の前庭に、治直の愛馬早矢鹿毛はやかぜが彦次郎の口取りで佇立し、その隣には七尺の剛槍を立てた伊佐次。どちらも頭に鉢金を巻き、大きな行李を背負い、厳重に足拵えを固めている。腰には瓢と替えの草鞋、火口と火縄の入った小袋、薬籠などを付けていた。

反対の腰には太くて短い、頑丈一点張りの山刀と、首落とし用の短刀が一振り。

この時代、「手柄の証明」には敵方の首が必要となる。
主人が倒した首を切り落とし、無事に運搬するのも小者の重要な役目の一つであった。だが、この首落としに掛かっている時こそが、一番危険な瞬間となる。

実際に小者が一番命を落とす確率が高いのが、この時なのである。敵も、味方の首を持ち帰らせまいと必死なるからだ。相手の名が上がれば上がるほど、その危険性は増していった。

そのため、儀礼用に短刀は持っているが、実際は鉈に近い山刀で即座に叩き落してしまわねばならない。後は髷を解き、髪の毛を結んで首に掛けて持ち運ぶのである。

もっとも、今回の戦は必ずしも首が手柄とはならない。いかに早く城を陥落させるかが何よりであり、一同はこぞって城の天守を目指す。そこから八柄家の紋である「八角片喰はっかくかたぐい」が染め抜かれた旗を、最初に翻すことができた者こそが一番手柄である。

このことは、軍議の席でも既に宗清本人から一同に申し渡していることであり、いわば明確に保障された手柄だったからだ。


代表して総名主からの激励を受け取った治直は、集まった人々に笑顔で礼を述べると、一度屋敷に戻って着替えを済ませ、また皆の前に姿を現した。

臙脂に金糸で蓮の花が刺繍された陣羽織、柿色の装束に黒の乗馬袴。
総髪を水引で後ろに結び、額には陣羽織と同じ臙脂の鉢巻きという出で立ちは、まさに平安鎌倉の頃の武者姿と言ってもいいほどに美々しいもので、その場の全員が息を飲んだ。

嘉助が厩から背に三人分の鎧櫃を乗せた荷駄を引いて来ると、手綱を伊佐次の手に渡す。途端に拍子木が鳴らされ、臼ひき歌が始まった。この地域では誰かを戦場に送り出すときに好んで歌われる唄である。

治直一行は笑顔で手を振りながら通り抜け、晴々と八甲館へと向かって行った。

その場に籠としがいないということは、誰も気にしていなかった。


「杉治は及ばざる籠とし」④
了。



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