一息入れて、また修行の日々。
「創作大賞2024」で検索「新着」で絞込み。
最近、これが日課となっています。
ええ、そうです。
中間選考結果の出た、あの日から。
そこには、悲喜こもごも、様々な「人間の織り成すドラマ」が描き出されています。
通過を喜び、全てに感謝をする方。
落選で落ち込む方。
次に向けての決意を表明する方。
審査方法の疑問を投げかける方。
そうですよねー。
皆さんそれぞれに、夢を描き、願いを込め、その他にもたくさんの思いを込めて、送り出した作品たちです。
そのどれもが、日常に追われながら時間を見つけ、途切れとぎれの時間と記憶の中で書き上げた、「子供のような存在」でしょう。
当然、その結果についても、さらに様々な思いが交錯しているのが、読んでいて切なくなるほどに伝わってきます。
私は、と言うと・・・。
おかげさまで、ミステリー部門で「オツトメしましょ!」が中間選考を通過することができました。
とても、光栄なことですし、非常に嬉しいです。
実際に発表記事を読んだ時は、人目も憚らず、電車の座席で小躍りしたくらいですからw
しかし、その陰に、落選してしまった「私の子供たち」もいるのです。
長編3本、短編(エッセイ等含む)14本。
その全てを、もう一度自分で読み返しました。
自分で見る限り、「どれも素晴らしい作品だ!」と思うのですが、これは完全に「親バカ」の一つなんだろうと思いますw
いずれにしても、私は変わらず「残った子供」のために祈ることしかできない。
いや、果たしてそうなのかな・・・?
発表前後の私。
「9月中旬」が近付くと、私はなんだかおかしなテンションになり、不安な気持ちをとりわけ明るくしようとしていた「雰囲気」が、記事からも感じられます。
様々な記事やつぶやきから、自分でそれが読み取れますw
終わってみるとヒジョーに滑稽なんですが、当時の私は大真面目に「そう考えていた」のです。
で、肝心の、実際の発表には全然気が付かず、「うたすと2」でお世話になっているsoundws様からの祝福メッセージでようやく気が付く、という始末。
ちょうど、帰宅中の電車の中でした。
『ええっ!!』(声はかろうじて抑えた)
と思いながら発表記事を見つけて、スクロール。
あった! 自分の名前!
で、小躍りしたところを向かいに座っていたご婦人に見られ、バチコーンと目が合った後で、お互いに作り笑いで会釈をして場を誤魔化すという、こっぱずかしい状態に。
家に着いて、PCでもう一度確認して、スクショして。
その頃には、続々と「創作大賞2024」のタグに、「新着」の記事が増えていて・・・。
「そうだ、私も何か書かないと!」
とは思ったものの、いざ書き始めるとテンションをどこに持っていけばいいのかとても迷い、書いては消し、書いては消しを繰り返した挙句、あの小芝居に辿り着いたというわけです。
バカバカしくもありますし、ふざけたような感じもありますが、「小説家」としては、「アリ」の報告の仕方かな、と思っています。
あくまで、個人的には。
その後もタグの付いた記事を読み続けてみて。
皆さんそれぞれの、思いの詰まった記事がどんどん増え続けています。
ほんとに、どの記事もとても興味深く読ませて頂いております。
その中で、私が「!!!」と感じた記事は、応募作(もしくは過去作)と思われる作品にも目を通させていただきました。選考通過したかはどうかは別にして、20名様くらいの記事は両方を読ませていただきました。
そこで、私からの提案なのですが、皆さん一度、ご自身の作品を読み比べてみて下さい。
中間選考発表前の自分の記事
と
結果報告の記事、あるいはその後に書いた記事
で、です。
何か、違いを感じませんか??
これはあくまで、私が読ませていただいての感想ですが、
記事の内容(文章)が、格段に良く
なっていませんか??
もしかしたら、ご自身では気付きにくいかも知れませんが、例えばご家族の誰かに、「これとこれ、どっちがいい?」って聞いてみて下さい。もちろん書いた時期は伏せて。
私は、すごく感じました。
感情がストレートに伝わってくる、と言うか「思い切って書いてあるなあ」「何かが吹っ切れたようだなぁ」という感じがしたんです。
あ、でも自他共に認める「いやんべでほでなす(テキトーで愚か者)」の感想なんで、そんなマジには受け取らないで下さいね?
あくまで私の「感覚的」なものですからね!
それが良くなってると判断するかしないかは別にして、少なくても私の心は動かされているわけですから、私と同じように感じた方は少なからずいるんじゃないかな、とは思うんですけれども・・・。
私も、もしかしたらそうだったのかも・・・。
私が「3年」と期限を決め、小説家を目指してnoteを始めたのは、2年ほど前。ですが、「公募の方がより近道なのでは?」と考えて、去年1年は公募に応募しまくりました。
長編6作品、短編20作品。
リファインして使い回した作品もあるので、応募数は40件を超えて、50件近くになったと思います。
結果は、全滅。
何の手応えも得られないまま、4月にnoteに戻って来て、いわゆる「大物noter」の皆様や、日々の投稿、創作大賞を通じて交流を深めたnoterの皆様の影響を受けて、創作大賞に作品を送り出しました。「送り出させていただいた」という方がより正確だと思います。
一人だったら、おそらくここまでの応募数にはならなかったでしょうし、そもそも「今年は創作大賞に応募しよう」とも思ってなかったはず。
さすがの私でも、それくらいには凹んでいたんです。
それくらい、「仲間」とか「同士」の存在は、大きかったんです。
もしかしたら、私が皆さんの記事に感じたように、去年の「思い出したくもない」苦い経験が、noteで皆さんから受けた影響を経て、「私の作品」を「良く」してくれたのかも知れません。
「苦い経験」でも積み重なり、「時間と影響の化学反応」によって「栄養」になり、今回の中間選考通過に繋がったのではないか、と思うのです。
もちろん、まだ何も「実績」は出せていませんが、「実績を挙げられるかも知れない」ところまでは進めた。
ちょっとだけですが、前に進めたわけです。
結局、全員が「修行」を続けるしかない。
例えば今、小説界で成功を収めている「売れっ子作家」も、日々弛まぬ努力を続けて新たな作品を世に出したり、文章力や構成力を磨いていることでしょう。
もしかしたら、たった今、何かを目指して文章を書き始めた方もいるかも知れない。
共通しているのは、結局、何かを掴みたいのなら、何をするにしてもそれぞれの立場で「修行」を続けていくしかないということだと思います。
プロであろうとアマチュアであろうと。
小説家だろうと漫画家だろうと。
芸能人だろうと会社員だろうと。
中間選考の結果が、どうであろうと。
だから皆さん、一息ついたら、また一緒に、修行を始めましょ?
どちらにしても道は続いているし、歩き続けなければならないのなら、たとえつまずきながらでも、
「途中で何かを拾い」
「その時の景色を楽しみ」
進んで行きましょ?
疲れたら、また一息入れたらいいんですよ。
疲れが取れたら、また自分のペースで歩き出せば。
その方が楽しいし、ゴールも「より良いもの」になるはずですから!
おわりに
創作大賞の中間選考結果の翌日、交流を深めたnoterの方々と「うたすと2」というイベントを始めさせていただきました。
正確には、「課題曲の発表日だった」のです。
そして、その繋がりが新たな「繋がり」を生み、「カラオケバトンリレー」というイベントにも参加させて頂いております。
そういうわけで、今の私は
音楽色に染まっている!
わけです!
と、いうことで、自分と皆さんのために、私のオススメナンバーをご紹介させて下さい!
個人的に、大声で歌うと「やる気」が溢れ出てきますッ!
合いの手があれば、なおさらにッ!
去年は、良く歌いました! 一人カラオケにも行きました!
それでは、どうぞッ!!
みんなー! がんばるぞーーーっ!!!
ハイっ!!
(※ 合いの手)
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