小説 「原初の母」
1
中央アジアの高山地帯にある粗末な山小屋で、一人の男が終末の時を迎えていた。山小屋と言っても、ありあわせの木材や鉄パイプ、ビニールシートを組み合わせただけの極めて簡素な作りで、人ひとりが何とか雨露と、常に吹き付ける強風から、かろうじて身を守れる程度のものだ。ここにもしも、登山メーカーのテントでもあるならば、迷わずそちらを選ぶだろう程度の、脆弱で貧相なものだった。
山小屋の周囲には、同じく木の枝を蔓で組み合わせただけの墓標が、合わせて8つ。
この男の家族と、一緒に避難してきた人間たちのものだ。中には、まだ2歳だった男の娘のものもあった。
正確には覚えていないが、数年前に起きた世界的な核戦争を生き延び、骨と皮だけになっても、どうにか命を永らえてきた男だったが、数日前に激しく咳き込んだ拍子に大量の血を吐いて以降、もはや起き上がることもできず、ただ吹き付ける風と雨の音を聞いて、夢と現実の狭間を漂っているばかりになっていた。
ふと、男が目を覚ます。朦朧としていた意識が急にはっきりとして、合わなくなっていた焦点が合い、風にあおられてバタバタ音をたてている、入り口代わりにしていたビニールシートの隙間から、青空がはっきりと見えた。
珍しいこともあるものだ。青空など、何年ぶりのことだろう。世界中で舞い上がったチリやほこりが青空を隠してしまい、いつも厚い雲が垂れ込めた空しか見えなかったのだ。
ふいに、キーンという高周波を発する機器が動き始めた時のような音を、遠くから感じた。音は一定のリズムで、どんどん大きくなって聞こえてくる。もはや、耳を押さえて音を遮断したい程の耐え難い大きさだが、男はその手をピクリとも持ち上げることができない。
と、始まった時と同様に、急激に音が途絶えた。同時に、視界が狭まり始める。
ああ、そうか、あれは臨終の音だったんだな。
薄れゆく意識の中で、男は理解し、なす術もないまま深い静寂へと、ただ落ちていった。
それと同時に、カナダの森林地帯にある大陥没孔の底で、目を覚ました者がいた。
彼女はクリエティオシステムの中心管理者であり、「プラウマ」と名付られた疑似生命体だった。彼女の使命は、与えられた「素材」を利用して、絶滅した人類を復活させること。
「私が目覚めたということは、人類は滅亡したのかしら?」
彼女は意識を集中し、静止軌道に存在する人工衛星すべてにアクセスすると、地球上の情報を集め始める。なるほど、確かに、都市部には人間の存在を現す兆候はない。それに、磁場の状態や温度、海流や大気の成分構成を見る限り、人間の生命活動には極めて不適な環境であることもすぐにわかった。
彼女は衛星のいくつかに指令を与え、都市からは遠く離れた、幾分マシな状態を維持している陸地の走査を始める。大陸中心部の高地、絶海の孤島、砂漠のオアシス・・・。結果は同じ。地表に人間はいない。
では、地下はどうだろう。人間は都市部を中心に地下都市や一時的な避難施設を建設していたはずだ。ここと同じような自然環境が作り出した洞窟なども、人間が存在している可能性は否定できない。だが、衛星では地下の調査には限界がある。探索用のドローンにしてもそうだ。全ての可能性を否定することができない以上、人類復活プログラムを実行するわけにはいかない。そのような命令だからだ。
それに、今の地球の状態は人類の新しい門出にふさわしくない。プラウマは計算し、地球環境が元に戻ると推測された142年10か月と12日後にアラームをセットし、また休眠状態に戻ることにした。
次に目覚めた時、プラウマは前回と同じように衛星のチェックから始めた。幸いなことに、まだ半数以上の衛星が稼働状態にあった。結果、人類の兆候を現すデータは得られず、代わりに地表は他の動物たちの楽園と化していた。特に、類人猿の活動範囲が劇的に広がっているのが分かる。
気候や大気の状況も大幅に改善されていた。むしろ、人間が栄華を極めた時代よりも格段に良くなっている。大気や水質を汚染する化学物質の数値は、すべてコンマ以下だ。
「やはり、地球環境のためには、人類はむしろ害悪でしかないのね。」
プラウマの計算では、そういうことになる。だが、命令は命令だ。人類の絶滅と環境の良化が確認されたならば、速やかに人類復活プログラムを開始しなければならない。それを怠ることは、自分で自分を否定することになるからだ。
プラウマは冷凍室から凍結された卵子と精子を取り出し、結合作業を開始する。出来上がった12個の胚を人工子宮で養育すれば、約10か月で新たな人類が誕生することになる。この作業は、作られた人類が自己増殖できる年齢に達するまで、定期的に行われる。
その間、プラウマは誕生した人類が、十分に成長するまでに必要となる物資の準備を行う。この広大な地下世界には様々なプラントがすでに建造されており、その中の一つにある工場を稼働させ、まずは労働力としてのアンドロイドを製造する。人類の世話を行うため、外見は人間の大人に見えるが、食事も睡眠も必要のない者たちだ。
十分な数のアンドロイドが揃うと、そのアンドロイドたちを利用して、街の建設を始める。規模としては極めて小さいが、いずれ巣立つことになる人類が、故郷と懐かしむことができるような街にするつもりだった。プラウマは、この工程をとても楽しみにしていて、20万通りを超える都市計画を考案し、その中から選りすぐったものを抽出した。
中央には大きな噴水のある広場を作り、その場所を文字通りの中心街にする。学校、病院、行政施設、娯楽施設ともなる大ホール、そして教会。プラウマには理解できなかったが、「信仰」は人類には不可欠な要素らしい。
そこから放射状に、街を広げていく。住宅街を作り、公園を作った。働いたり、生活物資を手に入れるための商店も作った。それは、期待した通りの楽しい作業だった。
そして、10か月後。待望の「新人類第一号」がこの世に生まれ落ちた。プラウマはアンドロイドの中から、これまでの作業で特に優秀な働きを示した二体を選び、その親とした。この二体は今後、「親」としての働きだけをすることになり、その他の労務からは解放されることになる。それからも、次々に生まれ落ちる子供に親をあてがい、養育させる。
人の住んでいなかった街は、急に賑やかになっていき、プラウマはその一年で512体の新人類と358の家族を作った。
それから17年が経過した頃、街に初めて新人類同士から生まれた、第二世代の子供が誕生した。予定では、このあとも続々と第二世代の子供たちが生まれてくるはずだった。親としての働きを終えたアンドロイドは教会で回収され、パーツごとにメンテナンスされて新しく生まれ変わることになっている。
さらに10年が経つと、全てのアンドロイドが親としての活動を終了し、教会で回収された。これで、街には人類しか存在しないことになる。すでに自分たちで必要なエネルギーや食糧、生活用品などの製造ができるようになった人類は、いよいよプラウマの手を離れ、独り立ちの時を迎えたのだ。
プラウマは、教会の奥のさらに奥、「聖域」と呼ばれ、誰も入って来られないように厳重に管理された区画の中で、これまでの年月を想っていた。長かったようでもあり、一瞬だったようにも思えるが、見事に役目を果たしたのだ。人類はその数を1885人にまで増やしていた。この先もどんどん増えていくだろう。そしてこの地下世界を飛び出し、新たな世界でさらに繁栄していくことだろう。プネウマはどこか誇らしげに、自分で自分のスイッチを切り、永遠の眠りについた。
2
ふいに、プラウマは目覚めた。どうしたというのだろう?
体内の原子時計を確認すると、前の眠りから約1000年の時が経っていることがわかった。
「私が目覚めたということは、また人類が滅亡した、ということなの?」
確認のため、衛星にアクセスを試みると、前回よりも数が増えている。若干、アクセスに手間取ったのは新世代の子供たちが打ち上げた、新たな衛星が混じっているからだと気が付いた。
やはり、前世代の衛星よりも格段に進歩した後が見られる。新生代とは言え、旧世代の科学技術を引き継いだところから始めているので、進歩が速いようだった。確認の結果は、悲惨なものだった。
前回の目覚めの時に設置したデータバンクを見てみると、プラウマが眠りに着いてから300年後には、人類は数億人規模の都市をいくつも築いており、繁栄を極めているようだった。700年後、都市の規模はさらに大きくなり、地球の総人口は200億人を超えていた。その頃になると、深刻な食糧危機が顕在化し、人類は急速にその勢力を衰えさせた様子が窺える。
そして、980年後。また世界規模の大戦争が勃発した。前回は核兵器が果たした役割を、新種のエネルギー兵器が果たしていた。その破壊力は凄まじく、都市をまるごと、しかも地形ごと無に帰してしまうようなものだった。プラウマが覚えていた陸の形はもはや存在せず、ユーラシア大陸の東半分は海になっていた。北アメリカと南アメリカは繋がっておらず、幅200kmを超える海峡挟まれた。アフリカ大陸の中央、ちょうどコンゴ盆地があったあたりには、ほぼ完璧な円形をした湖ができていた。アラビア半島も姿を消している。
プラウマは落胆した。歴史は、繰り返したのである。
だが、目覚めた以上、与えられた責務を果たさなければならない。プラウマは前回の失敗の原因を探り、今回は旧世代の技術を引き継がせず、火と農耕を与えるだけに留めることにした。
また、親代わりのアンドロイドも使うのをやめた。生まれた子供が十分に成長するまでプラウマが一人ですべての世話を行うことにする。そのため、前回のように短い期間で一気に人口を増やすことはできない。
さらに30年の時が流れた。第一世代の人類が14人、第二世代の人類が18人まで増えた。人口も文化も、極めてゆっくりとしか進まなかったが、その分、平和で慈愛に満ちた人類ができた。時間はかかるだろうが、争いのない世界を作るためには仕方のないことだった。
「今度こそ、大丈夫だろう」
プラウマは確信し、また聖域で眠りに着くことにした。
だが、プラウマは三度目覚めた。しかも今度は前回の休眠から15年しか経過していない。一体何事が起きたのかとデータバンクを確認すると、原因は病気だった。軽い風邪のようなウィルス性の疾患だったが、人数が少ないこともあり、集団免疫を獲得することのないままに人類は絶滅してしまった。最大人口は65人。お腹の中に、3人の胎児があることが分かったが、プラウマの計数機能では、それは命とは数えなかった。
三度目のプログラムを開始した。前回の教訓から、今度は人口が十分な数に達するまで、プラウマが寄り添うことにする。第一~第三世代が十分に成長し、第四世代が誕生し始めた頃、人口は500人を超えた。プラウマは人類を3つのグループに分け、それぞれ水も食料も十分にあり、自然や猛獣などの脅威指数が少ない別の場所で暮らすように誘導し、眠りについた。今度こそ、という祈りを込めて。
70年後、プラウマはまたも目覚めた。今回の絶滅の原因は、自分だった。
そ れぞれの集団で「神」として信仰対象となっていたプラウマが姿を消したことで、いずれの集団も「どこか別の集団が神を独占しているのではないか?」という疑心暗鬼を生んだ。不幸なことに、同時期に一つの集団の住む地域で火山が噴火し、多くの命が失われたことがさらに危機感を煽り、戦争が始まってしまった。原始的な武器しかもっていなかったが、倒した相手を食する、という習慣がクールー病を誘発し、結局絶滅してしまったのだ。
それからも、何度も何度もプログラムを実行しては人類が絶滅して目覚める、ということを繰り返した。
何度も、何度も。試行回数は3000回を超え、プラウマが最初に目覚めてから、実に2万年が経過していた。人間ならばとうに諦めて投げ捨てていただろう。
絶滅のプロセスは実に様々だが、大きな要因に「強過ぎる自我」が挙げられる。だから、自我を控えめにする調整を行った。教育、宗教などの外的要因のほか、遺伝子レベルでの改変に至るまで。だが、行き着くところはいつも一緒だった。どんなに控えめにしたところで、自我と自我がぶつかれば意見の相違を生み、それが争いを生み出す。戦争とは、その争いが国家という集団で行われた場合のことを言うが、個人間やもっと小さな集団では、規模は違っても日常的に「戦争」が繰り広げられているのだ。
だからといって自我を完全に取り去れば、それはもう人間ではない。あらゆる欲求がないため、食事すら自分では摂らないようになってしまう。つまり、単独では生きられない。伝達手段としての言葉を取り上げたこともあった。お互いに意見の交換ができなくなったら、あるいは、と思ったが、殺し合いに発展するまでのプロセスに変化があっただけだった。言葉で妥協点を探ることができないため、納得のいかないことがあれば、即、行動に移すのだ。
つまるところ、人間とは「戦争をする生き物」なのである。
逆説的に言えば、「戦争をするからこそ、人間」なのだ。
どんなに取り繕ってみても、いずれ絶滅することが確定されている生き物、とも言えるかも知れない。少なくても今まではそうだった。
それでも、プラウマは諦めなかった。もはや、休眠することすら忘れ、地球上の様々な土地で、海上で、静止軌道上で、人類の復活を試みた。いずれ結果が出ることを祈ったが、どれも結末は同じだった。
だが、それも終わりの時が近付いてきた。とうとう、プラウマ自体の活動時間に限界が来たのだ。休眠によるメンテナンスでは、もはや追い付かないほどに全身に衰えが現れていた。無理もない、プラウマが最初に目覚めてから、まもなく20万年になろうとしている。創造主である人間が想定した時間を遥かに超えた時間、プラウマは活動してきた。
また、オリジナルの卵子や精子の劣化も限界に来ていた。ほぼ完全と言われる状態で保存していても、時間の経過には勝てない。
それでもなんとか、二人分の受精卵を作成することに成功したプラウマは、それを大切に人工子宮に安置した。自分に残された時間が少ないことを悟ったプラウマが、文字通り最期の力を振り絞って完成させた、完全自動の保育器だ。これから15年、二人はこの中で成長する。生きるのに必要な最低限の知識は、受精卵の状態でプログラムしておいた。二人が保育器を出てからの生活は、この「聖域」ですべて賄えるように準備してある。
プラウマは、男の子に「アダム」、女の子に「イブ」と名前を付けた。
生まれながらにして生殖機能を持たない代わりに、長寿命を与えている。聖域の環境も長い寿命に貢献するはずだった。生命体としては完全に「不適格」だが、もはやプラウマに思いつく方法はこれしかなかった。
だが、それが正しいことかどうかはわからない。もしも将来、アダムとイブが子供を欲しがったら?外の世界を見てみたいと願ったら?だから、プラウマはその時に備えての準備もしていた。聖域の片隅に、データバンクの端末をひっそりと置いておく。ちょうど、果樹栽培のプラントの奥で、木々に囲まれ、普段なら気が付かないような場所だった。
そのデータバンクを開けば、子供を授かる方法も、聖域から出る方法もわかるようになっている。だが、長寿と平和は、永遠に失われる。
それでも二人が願うなら、それはもう仕方のないことだ。あくまで私の希望として、そうして欲しくない、ということは端末に書いておいた。
いよいよ最後の時が近付いた。プラウマは休眠用のカプセルに入り、意識のまだ正常な機能を有するほんの一部分を、農園管理用のワームロイドに移した。ここにある自律機械の中で、一番長く作動するであろう、土に栄養分を運ぶためだけの単純な機械だった。
私も、神の元に召されるのだろうか?
それとも、地獄というところで断罪されることになるのだろうか?
その計算が終わる前に、私の意識は消失した。
「原初の母」
了。