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エルナを偲んで

私がエルナ・ワイツリヒと初めて出会ったのは、大学生の頃。
クラスは一緒だったが、彼女の方が2歳上で、「知的で洗練された女性」というイメージがぴったりの印象だった。

私とは仲の良いグループが違うこともあり、話したことはなかったが、とても流暢に日本語を話すのを耳にしていたで、もしかしたら日本で生まれ育ったのかも知れないなー、と漠然と思っていて、いつか機会を見つけて話し掛けてみようと考えてはいた。
最初は、それくらいの存在だった。

ある日、たまたま隣の席で講義を受けることになり、何とか話すキッカケを見つけようとしていると、エルナの方から話し掛けてきてくれた。
「そのザック、素敵だよね、兄が色違いを使ってるの」

彼女は、私が通学用に使っていた、山登り用のリュックサックを指してそう言った。
「あ、そうなんだ? 重い荷物を持ち運ぶんだったら、山登り用がいいかもと思って試してみたら、とても楽だよ」
「確かに、トートバッグじゃ教科書だけで腕がちぎれそう!」

それが最初の会話だった。
それから、学校の話、住んでる部屋の話、使ってるパソコンの話など、いろいろ話したが、物事の考え方や価値観に似ている部分が多くありながら、違うことは全く逆方向の考え方をするのが面白くて、あっという間に親友と呼べるような存在になっていった。

特に考えが違う方向だったのは、宗教のこと。
彼女は敬虔なキリスト教信者で、私は日本人の御多分に漏れず、特に宗教を意識していない、どちらかと言えば自分信者。

この話題では、かなり激論が繰り返された。
神や宗教の大切さを何とか理解させたいエルナと、ほんとに困った時だけ神頼みの私は、何度も何度も意見を衝突させた。

彼女は言う。
「日本には家に仏壇があって、神棚もあって、昔からの家なら庭に稲荷の祠まであったりするのに、外でも道を歩けば10分間に一つはお寺か神社を見つけることができるくらい近所に宗教施設がある。これだけいろんな神様を見かけるのに、日本人が宗教に理解がないのが不思議でならない!」

私も言い返す。
「日本人はそれだけ神や仏を生活に取り込んでるから、特に宗教と意識していないの。むしろ宗教を意識しすぎている他の国々より、進んでいるってことじゃないの?」

私は表向きは柔らかいが、自説はほぼ絶対に曲げないので、「うん、そうだよね、でもー」のような感じで切り返し、最後にはエルナの方が音を上げて、「OMG!」で終わりになる。

「あなたはグミキャンディね! 柔らかいけど簡単には噛み切れない!」
いつしか、それがエルナの口癖のようになっていた。

そんな日々が、今でも懐かしい。
彼女がドイツに帰り、公務員としてのキャリアを始めてからもやり取りは続き、私がドイツへ行くこともあれば、彼女が日本に来ることもあり、こんな風に年齢を重ねていくんだろうな、と考えていたある日、その知らせは突然に舞い込んだ。

エルナがバイクで通勤途中、信号無視のトラックに衝突され、亡くなった

エルナの携帯で、エルナの父親からの連絡だったが、私の片言のドイツ語の理解がおかしいのだと思い、何度も何度も聞き返した。
それでも信用できず、すぐにドイツの別の友人に連絡して新聞記事を調べてもらい、事実と確認が取れるまで、ずっと嘘だと思っていた。

連絡をもらった時点で葬儀も終わっていたので、その時の私にできることはなかったが、せめてエルナのために祈ろうと、私は生まれて初めて近くの教会を訪れた。

エルナが信じていた神に、エルナがそちらに旅立ったことを伝え、迎えが早すぎたと抗議し、せめて絶対に魂を救うように願った。

願いが聞き届けられたのかどうか、知る由もないが、もしもエルナの魂が救われていなかったなら、今度こそ、二度と神など信じるものか。

エルナ、あれからもうだいぶ経ったけど、今でもまだ会いたいと思ってる。
あなたの教えてくれたビール、今でも好きで飲んでるよ。
っていうか、今、飲んでる。
あなたから作り方を教わったザワークラウトと一緒に。
いつでも、いつまでも想っているからね。

6月3日、彼女との思い出に。
魂に安らぎのあらんことを。




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