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小説「杉治は及ばざる籠とし」①

第一章 開戦前夜

1 事変
美濃の一角に、古くからの豪族として所領を守ってきた八柄家がある。
街道からは離れ、山間の僅かな平地に田畑を拓き、時の有力豪族の合間で細々と生き続けてきた八柄家は、元は平家の落ち武者だったとも言われている。

現代の当主、八柄太郎次郎宗清は自らの居城である「八甲館」の大広間で、家臣団の繰り広げる舌戦に耳を傾けていた。

宗清、このとき数えで十八。病弱だった父に代わり、数年前から執政の一部を担っていた。その容貌は母の血を強く引いたためか、眉が濃く、鼻筋の通った美男であり、体つきも父とは違って見るからに頑健であった。その若い肉体は幼い頃からの鍛錬で、刀槍の術はもちろん、弓術においてもひとかどのものと言われている。

半年ほど前に当代を継ぎ、父である先代の八柄宗高が彼岸に旅立って、八柄家の当主として百ヶ日法要を済ませたばかりのところに、この舌戦の元となる情報がもたらされたのである。

斎藤道山、討ち取られる。

下手人は、息・義辰だと言う。
にわかには信じ難いことではあったが、これも戦国の倣いであり、加えてどうやら裏で義辰を躍らせている「黒幕」とも言える者の存在が怪しまれていた。

祖父の代から斎藤家に従属してきた八柄家は、ここに来て決断を迫られる事態に陥ったのである。宗清にしてみれば、最初の大きな問題に直面したこととなる。

事実上の美濃の支配者たる、道山の息子義辰に従うか、父とともに戦い、からくも虎口を脱して尾張の尾田家を頼った次男義起に、ひいては尾田家に付き従うか・・・。

近江や越前を治める武将を頼る、という案も出されたが、あまりに遠く、付き合いもほとんどないことを考えると、とても現実的とは言えなかった。
そして最大の問題は、「どの勢力に与しようとも、近い将来、必ずこの地が戦地になる」という、目前に迫った確かな危機を、いかにして乗り切るか、だった。

義辰も義起も、このままでは済むまい。それ以前に、尾田家と斎藤家の間にキナ臭い噂もあり、甲斐の竹田、越前の植杉、いずれも虎視眈々と斎藤家の所領に狙いを付けていることは、周知の事実だったのである。

「義辰の後ろには尾田が控えておるに相違ない! ここは今まで通り、斎藤家に与するのがよろしかろうと存ずる!」
そう見るのは、父の代からの家老職、稲原源四郎隆時。

「馬鹿を言うな! 父とともに兄に立ち向かった弟御が尾田家に匿われておるのだぞ! 尾田が義辰の後ろにおるなど、有り得るわけがない! 竹田か植杉が後ろ盾に決まっとるわ! そうなれば、頼るは尾田家のみ!」
こちらは家臣団の中でも最古参の猛将、中山彦左衛門。

およそこのような「斎藤家」に付くか「尾田家」に付くか、の舌戦が、宗清の眼前で右翼と左翼に分かれて延々と繰り広げられている。

双方の話を聞きながら、緊張の面持ちでその白熱した様子を見守っていた宗清は、末座に端座し、涼やかな微笑を浮かべている一人の家臣に気が付いた。

杉谷喜左衛門治直。齢は宗清の四つ上の二十二と若いが、十六の齢から戦場を駆けまわること十数度、そのたびに数多の戦功を挙げ、自身はろくに手傷も負わないという、近在に「槍を取らせたら古今無双」と聞こえの高い、剛の者である。

しかし、その戦功をひけらかすでもなく、昇進と恩賞を頑なに拒み、たまに受けても同僚や小物に全て分け与えるという、およそ武将らしくない控えめな性格で、見た目もひょろりとした長身をこればかりは派手で奇抜な小袖に包み、いかにも楽し気に立ち回る。

その涼やかなること、言われなければ、これが百有余の首級を挙げた武将などとは誰も思わないような優男ぶりなのである。

当然、家中でも人望が篤く、城下でも老若男女問わず人気が高い。
ことに若い娘を持つ父親からは「杉治、杉治」と可愛がられ、「是非にも娘を」と再三迫られているそうであるが、その全てを断り独り身の生活を続けていた。

その声望はいよいよ高まり、家老職にある重臣までもが「八柄家に杉治ある限り、お家は安泰」などと言わしめるほどの「男振り」を見せているのである。

その「杉治すぎはる」が、たまに小袖の埃を払うような仕草を見せながら、議論を聞くとも聞かぬともの体で、その場に佇んでいる。

その様子が、いかにも「どちらでも同じこと、事起これば起つのみ」とでも言わんばかりの頼もしさで、思わず宗清も口元に微笑を浮かべてしまった。

「御館様、お家存亡の重議の最中と言うに、些か不謹慎にございますぞ!」

その様を目ざとく見咎めた教育係の長山兵衛ひょうえが、宗清を鋭く嗜めた。

「うむ・・・。もっともだ・・・。が、結論が出ぬようなら、一度他の者の意見も聞いてはどうか? ・・・ときに、杉谷は何と見る?」

その一言に、満座の家臣たちが一斉に杉谷に向き直った。
杉谷は、これを受けていささかも動じることなく、変わらず微笑みを口元に浮かべつつ、すっとその場で向きを変え、静かに語り出した。

「さらば、愚見を披歴致しまする。稲原様、中山様、どちらの意見ももっとも至極。なれど不確かな伝いのみで事を決しますのは、些か性急に過ぎるというもの・・・。」

「では! 如何にせよと言うのかっ!」

齢のせいか、短気に磨きが掛かった感のある中山が、唾を飛ばしながらそう叫んだ。

「はい・・・。如何にとも、せぬのでございます・・・。」
杉谷は悪びれもせずに、そう言い放った。
沈黙が、座を支配した。

そのまま幾ばくかの時が過ぎ、とうとう稲原が口を開いた。

「・・・その方、気でも触れたか? どちらつかずでは斎藤、尾田、両家から不興を買うは必定。なればこそ、常にどちらかに味方し、素破合戦と相成れば取り成しを受けるか庇護を受けて、今までの世を渡ってきたのだぞ?」

「・・・御意。」

「八柄家に杉治あり、とまで言われたお主とも思えんが、どうしたことぞ?」

平伏したままの杉谷を見やり、宗清が稲原を目顔で制した。

「・・・存念を申せ。苦しゅうないぞ。」

「ははっ。されば、申し上げまする。今この時、このように浮足立った状態にて事を決する必要はございますまい。武の家に生まれたからは、戦乱はいずれ避けて通れませぬ。さすればまずは防備を固め、糧秣を集め、兵馬を養うことこそ、肝要かと。」

「抜かしおったな! 態度を明らかにせず、戦の準備などしようものならそれこそ相手に攻め寄せの口実を与えるだけではないか!」

「これは、戦場に聞こえも高い中山様の言葉とも思えませぬ。口実など、いつでも相手勝手にてつけられるもの。いわば、災厄と同じでござる。今さら論じても始まりますまい。」

ここで一旦言葉を切った杉谷は、ゆっくりと面を上げ、満座の一同を見回した。

その顔から、先ほどまでの柔和な表情は消え、「武人」としての凛とした決意が漲っていた。

誰も口を開かないのを見届けると、杉谷は安坐のままで大広間の中央に進み出て、己が主人に正対し、その両目を開いてひたと睨みつけるようにした。

「杉谷喜左衛門治直、恐れながら御館様にお伺い致す。武門の家に生まれ、一家の大事を他家の動きに任せたままで、よろしゅうござりまするのか?」

大広間に朗々と響く大音声でそう告げると、杉谷は視線をそのままに、主君の言葉を待った。後世になれば不遜の極みとして、即、手打ちにされてもおかしくないような蛮行であったが、戦国初期のこの頃にはごく自然の振舞いの一つであった。家の浮沈が、そのまま自分の浮沈となる時代である。

ましてや国中に群雄が割拠し、その版図を広げるべく野望の牙を研いでいた。主家に属する一武将と言えども、槍一つで国を掠め取ることも可能なのだ。己の主君が非凡ならば、さっさと席を蹴って次の主君を捜し歩くのが当たり前の世の中だったのである。

主君が家臣を試すように、主君もまた、常に家臣に試されていたのだ。

この杉谷の問いは、ここにいる全員の問題でもあった。返答によっては、今後行末を考え直さなくてはならないからだ。

「うむ・・・。我が父は、治の人であった。皆も知っての通り、病がちであり、刀槍の術よりは読書を好まれた。その故あって、この国は平穏に栄え、領民も安寧に暮らすことができたと言えよう。反面、常に付近の他家に気を遣い、様子を窺いながら我慢を強いられたことも少なくない・・・。儂は・・・儂は、そのような暮らしはしとうはない。武門の家に男子として生まれ、主君として皆の上座に端座するからには、領国を増やし、英雄たちと覇を競い、戦いの中でしのぎを削る生を送りたいと思う。たとえ、それで命を落とすようなことになろうとも、それこそ男子の本懐と言えよう・・・。その上で、杉谷。今度はお主に問いたい。他家の動きを気にせずに、己が一存で事を成すために、何が必要か?」

杉谷にも負けぬ眼力で、今度は宗清が見返してきた。杉谷はたちまち破顔して、答えた。

「よう、申されました! それでこそ、我が主君! これより我と我が槍を以て、きっとその道、拓いてご覧に入れましょう! されば、申し上げまする。直ちに戦に備え、まずは斎藤義辰を攻めるべし!」

宗清が目を見開き、大きく息を吸うのが見えた。
大広間にどよめきが起こった。意を得たりと拳で膝を打つ者、のけぞって天井を仰ぐ者、仏頂面で杉谷を睨みつける者、それぞれの思惑が大広間の天井で複雑に絡み合っているかのようであった。

「簡単に申すな。我が軍は斎藤軍と比して、数で五倍は劣っておる。さらには天下にその堅なることを知られた、因幡山の城に守られておるのだぞ?」

稲原が噛んで含めるように、杉谷を制した。これを受けて杉谷は、視線は宗清に向けたままで語を継いだ。

「斎藤軍は先の内乱で疲弊しておりまする。加えて君主が骨肉の争いにて入れ替わったばかり。その規律も軍令も行き届いておるとは思えませぬ。数がいかに多くとも、烏合の衆を相手に遅れを取ることは、ございますまい。さらには弔問を兼ね、恒例の上納として通知の上で部隊を発すれば、城まではなんの障害もなく一直線にござる。」

さらに稲原が開きかけた口を、宗清が手にした扇で制した。

「騙し討ちにて城を獲る、と申すか?」

宗清の問いは、若さゆえの愚かしい問いである、と言えよう。命のやり取りをしようという時に、騙すも騙されるもないのである。こちらが騙さなければ、いずれ誰かに騙されることになるだけだ。だが、杉谷はこの問いを好もしく受け止めた。宗清の純で真っ直ぐな、戦に対する憧れにも似た思いが、この言葉を生んでいることは想像に難くないからだ。

「されば、騙し討ちには相違ございませぬが、道理の通った騙し討ちでござる。討ち取られましたる斎藤道山殿は八柄家にとっても大恩人。父上と道山殿の交誼は、御館様もご存じのはず。この春に大殿様が病に臥せりたる時にも、道山殿から医薬の贈り物を頂戴したところではございせぬか。その道山殿を誅して起こった家を、八柄家の若き当主が討ち取る、という事実は、付近の諸侯にも好もしく受け取られるはず。義起殿のおられる尾田家などは、この手の武勇が大の好物でござる。」

「む・・・。もっともだが・・・。その後はどうする? よしんば尾田家が
好もしく取ってくれても、甲斐や越前が黙ってはおらぬぞ?」

「御館様には、因幡山の城に引き移っていただき、まずは斎藤家の旧臣を慰撫するところから始めなければなりますまい。古くからの家臣にも、兵の中にも、道山殿に恩義を感じ、嫌々仕えている者も多いことでございましょう。これらを味方に引き入れ、因幡山の剣に守られれば、そう簡単に落ちることはございませぬ。加えて、これより冬に入り、甲斐も越前も雪のため、来春まで大きな軍は動かせませぬ。それまでに八甲館との連携を密にし、鷲山、大桑、川手などの城とともに事に当たりますれば、甲斐越前方面の守りは盤石となりましょう。その間に、尾田家と誼を通じるもよし、甲斐もしくは越前とでもよろしいでしょう。いずれ北、東、西、一方向からの襲来にさえ備えれば良い状態を作ることが肝要かと存ずる。その後は兵を養い、いずれかの方面へ進出して版図を広げるのでございます。」

杉谷の長広舌に、大広間は再び水を打ったような静寂に包まれた。ここにいる全ての人間が、その話に引き込まれ、因幡山の大天守を思い浮かべていた。そこにて務める自分の姿を描き、それが大それた夢ではなく、手を伸ばせば掴み取れる現実として脳裏に浮かんでいたのである。
その静寂を、最初に破ったのは中山だった。今度は猛獣の唸り声にも似た低い声で、静かに杉谷に真意を問うた。

「聞いておると、なにやらすでに詳細な絵図面ができておるようだが・・・。」

杉谷が自分の左に座っている中山を振り返り、ニカッと笑った。春の暖かさを待ちきれず、一人咲いた桜の花のような、いい笑顔だった。

「実は、これに。」

そう言って胸元をわずかにくつろげると、懐から一巻の巻物を取り出し、宗清に差し出すようにして床に置いた。すぐに長山が宗清の隣の座を降りて巻物を取ると、恭しい手付きで宗清に手渡した。

宗清は紐を解いて、巻物を広げながら読み進めていく。一同の見守る中、宗清の顔が徐々に紅潮し、巻物を持つ手が微かに震え出したのが末座からでも見て取れた。一通り読み終わると大きく息を吐いてから巻き納め、長山の手を通して家老の稲原に手渡され、同じことが繰り返された。さすがに稲原は表情に出すここそなかったが、時折「むっ」や「うっ」と言ったような小さな唸りを上げ、巻き納ながら杉谷を穴が開くほどに睨みつけていた。
こうしてその後、中山、長山へと手渡され、最後に再び、宗清の手に戻された。

「・・・源四郎、どう見る?」

宗清は家老を見た。普段は公の場では呼ばれぬいみなで呼ばれた稲原は、そこでようやく杉谷から視線を外し、宗清に正対すると深々と頭を下げた。

「まことに結構な作戦でござる。某から申し添えること、ございませぬ。」

無言のまま大きく頷いた宗清は、そのまま顔を右に振り、目顔で中山の意を問うた。同じように宗清に正対して平伏した中山は、梁を揺るがさんばかりの大音声で一言発しただけであった。

「結構でござる!」

先ほどよりさらに大きく頷いた宗清は、居住まいを正すと、ゆっくりと大広間を見渡して宣言した。

「八柄家は、これより長年の厚誼に報いるため、軍を起こして斎藤義辰を攻めることとする! 各々屋敷にて軍令を待て! 本日はこれにて解散!」

「応っ!」

静かな熱に浮かされつつあった大広間の一同は、当主の命令を受けて気勢を上げると、我先に大広間を後にした。それぞれ屋敷に引き取り、武具の整備を始めとした戦支度に取り掛かることとなる。

ほんの数舜のうちには、大広間には宗清の他、稲原、中山、長山、そして杉谷の五名が残るのみとなった。

こうして、八柄家の一大事を決する評議は開戦決起の軍議へと形を変え、風雲急を告げる美濃国の情勢に一石を投じることとなる、最初の波紋を生み出したのであった。


「杉治は及ばざる籠とし」①
了。





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八神 夜宵 |小説家
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