さらば、相棒。
8年間、お疲れさまでした。
2002年式、トヨタノア。型式番号AZR65。
犬を飼うことになって「ケージが積める車」が必要になった際に、知り合いから冬タイヤ付きで20万円で譲ってもらって、早8年。
昨年末に、180,000kmを突破したばかりのところだったが、とうとうギアが「R」に完全に入らなくなった。
連動してパワステが効かなくなり、いわゆる「重ステ」状態になってしまった。
入庫の結果、ミッションを乗せ換える必要性があると言う。
リビルド品(中古を再利用できる状態にした物)でも、本体だけで250,000円くらい。
その他、元々不調のあったデフやパワステ関連のパーツ、工賃などを含めて、ちょっとした中古車なら買えるくらいの修理費を提示された。
車検は半年残っているが・・・。
実は、今年7月の車検満了に向けて、車を買い替える相談をしていたところだった。
デフの不調のせいもあったのだろうが、燃費がガタ落ちしてしまい、夏場はエアコンを使うと街乗りなら6~7km/ℓくらいまで落ちてしまっていた。
昨今のガソリンの値上がり具合を見ていても、外装のサビやシートのへたり具合から見ても、そろそろ限界だろうとは思っていたのだ。
そういえば、リアサスも抜け気味だった。
そういうわけで、車検は半年残っているが、車を乗り換える決断をした。
物にも、魂が宿ると言う。
「付喪神」という言葉を知っているだろうか?
日本では八百万の神が、それこそ万物に宿っていると考えられており「付喪神」は、その中でも長い年月を経た道具などに宿ると言われる魂・精霊の類として、古来から言い伝えられている。
「物を大切にしなさい」
おそらく皆さんも、幼少期にそう言われながら育ったのではないだろうか?
そこには、こうした民間伝承のような話が含まれていたに違いない。
私もそうして育てられてきたので、物は大切にする。
そうしていると、やはり「付喪神」と言うのは実在するのではないか、という気にさせられる。
そう思わざるを得ないエピソードが、そこそこあるのだ。
今回も車の買い替えを検討し始めてすぐの出来事で、もしかしたらノアの付喪神がヘソを曲げたのではないか、などと考えてしまうのである。
8年間、大きな故障もなく、もちろん一度も事故に見舞われることなく、いつも安全快適に「私の家族」を運んでくれた。
それだけで、とても感謝している。
思い出を確かめつつ、車内の荷物を下ろす。
そんなわけで、今日は感謝の気持ちを込めつつ、車内に積んであった荷物を下ろし、物置に移す作業をした。
犬用のクレート、バギー、お散歩セットなどの犬関係用品。
避難所として機能させるためのアウトドア用品や非常持出用品。
ドライブのお供だった音楽関係用品や撮影機材。
充電用のコードやドラレコなども外した。
どれも、思い出のある品物ばかり。
週末には、全体的にクリーニングをする予定でいる。
感謝を込めて、ピカピカにして送り出してあげたい。
新たな「相棒」も決まった。
具体的な修理費用が出てから、そのまま「その価格で乗り出せる車」を探すことにした。
いわゆる「オークション」である。
探す車に求めることは、価格内であること、使い倒せる車であること、災害時に動物たちとともに一時的な「避難所」として機能する広さを有することだった。
最終的に、2014年式のカローラーフィールダーに決まった。
ハイブリッドの上級グレードで、若干距離が伸びている分、価格が安かった。
後席を畳むと、全長2mの奥行きのあるフラットな荷室は魅力的だった。
もはやどの子にもケージは必要がないので、高さも幅もそれほど重要ではないから、十分な広さとは言えないまでも、最低限の生活はできるだろう。
ハイブリッドというのもいい。
ガソリン高騰の時代、燃費は車を選ぶ上で重要なファクターとなっている。修復歴もないし、内外装ともに評価点が高い部類なので、早速入札してもらったところ、あっさり落札できてしまった。
この車についていろいろ調べていると、当時のCMにはSMAPの木村拓哉さんが起用されていたのを思い出した。
その、元SMAPのリーダーが、今日引退を発表した。
最後の一文にある「さようなら」が、なにやら気がかりでならない。
「相棒」ではもちろんないが、ほとんど毎日のように画面を通じて顔を合わせていただけに、一抹の寂しさを感じてしまうという事実が、そう思わせるのだろうか?
この記事を書いていると、とある歌番組で倖田來未さんが「あいのうた」を熱唱していた。そういえば、一時期「噂の二人」だったような??
・・・なんでもかんでも、中居くんに結びつけてしまう。
結局のところ「付喪神」は人間の「執着」が生み出すものなのかも知れないなぁ。
「あいのうた」をハミングしつつ、パソコン画面に映るカローラフィールダーに乗ったキムタクを見ていて、ふと、そんなことを考えた。
やっぱり、私は別れが苦手である。