小説「杉治は及ばざる籠とし」⑭
2 主命
宗清の婚礼から三月ほど経った初夏、八甲館で政務を執る治直の元に、因幡山城から宗清の書状を携えた春日重兵衛が現れた。
春日も今は中山彦左衛門麾下の将として、百名の兵士を率いている。
元々の中山配下の専業兵士団の規模が拡充されて、「中彦組」と言う五百名の専業兵士からなる軍団が新設され、その四番隊の隊長となったのである。
同じように、堀三九郎や羽賀虎三郎も「中彦組」の将となり、それぞれ百名の兵士を率いている。とは言え、あの因幡山城での一戦以来、小競り合い程度の戦すらなく、毎日を鍛錬と調練で過ごすのみで、その実力を試される機会はまだ訪れていない。
その、今では八柄家の中でも「中間管理職」となった春日が使者として八甲館に赴いたのには、訳がある。宗清の婚礼が終わってすぐ、八千田にある無名の山から、金らしき鉱石が見つかった。鋳鉄のための石を掘っている最中に見つかったこの鉱石が、果たして本物の金であるのかどうか、治直は因幡山城に産出した鉱石をいくつか持たせ、鑑定に出していたのだ。
春日は、元は山師として鉱山で働いていた経験がある。恐らくは春日に現地を検分してもらい、真偽や埋蔵量の見当を付けさせようというのだろう。
もっとも、この「あくまで偶然に」見つかったように計らっている鉱石は、輩の者によって綿密に計算された場所を掘り返して見つけたものだ。これは表にはされていないが、甲斐の竹田家では良質の金が大量に算出しているという。それならば、甲斐から山続きになっている美濃の地で金が見つかってもおかしくはない。
そこでまずは治直が治めることになった一角を綿密に調査し、何度も何度も試掘を行い、この発見に繋げているのだ。そしてこの発見は、山で生きることを選んだ漂泊の民である、サンカの助力によるところが大きい。
サンカとは輩の者と同じ漂泊の民であり、主に山中に少数の家族単位で棲み暮らしている部族のことである。
寿や巫華とは完全に別の部族ではあるが、同じような境遇で為政者から追われ、生存のために以前から協力体制を築いていたのだと言う。治直も玄と寿の手引きで、サンカの長であるヤゾオと呼ばれる者たちと面談をしたが、その場に東北や山陰から参加しているヤゾオがいることに驚いた。
玄がそれぞれのヤゾオに連絡を付けた日に間違いがなければ、普通は馬を飛ばして十日は掛かる距離を、僅か三日と半日ほどで踏破したことになる。しかも、移動には馬も街道も使わず、山中だけの移動だと言うのだ。
山中を走るのであれば、サンカの人々に敵う人種はいないと聞いていたが、そのあまりの健脚ぶりには舌を巻いた。だが、話が真実だとすれば、これは大きな戦力になる可能性がある。
その話を玄にしてみたが、玄は静かに首を振った。サンカはどんな場面においても、どこかの勢力に与して戦うようなことはないのだそうだ。ただし、一族に危害が及ぶ恐れのある場合は別で、その時は非常に戦いにくい相手となるだろう、と玄は言った。
姿の見えない山の中から、いつでもどこからでも、こちらを弓矢で狙い撃ちにできると言う。さらに子供のうちに山刀の扱いを覚え、全員が吹き矢の達者であり、ハンミョウやマムシの毒を塗った吹き矢がかすりでもすれば、三日は熱が引かず、場合によっては死に至ることもあるのだと言うから、確かに恐るべき相手となるだろう。そうした敵を相手にするような訓練はしていないし、実際のところどう戦えばいいのか、皆目見当がつかなかった。
全員が屈強な体つきで、顔は煤でも塗ったかのように真っ黒だった。その顔をボサボサの蓬髪と伸び放題の髭が覆っていた。同じような形の蓑に身体を包み、足は冬でも素足だと言う。雪の上を歩くときだけは、特製のかんじきを使うらしい。
そして全員が全員、強烈に臭った。
それはもはや汗や汚れの臭い、などと呼べるような生易しいものではなく、明らかに「山の獣」の臭いであった。つまりは熊や狼の臭いそのものなのだ。
談合の場所に選ばれた山間の洞窟には、この集団の異臭が濃厚に漂っていた。町暮らしの長い人間をここに連れて来たならば、一瞬で胃が裏返るような感覚に襲われるに違いない。
今回の談合は、実際に助力を求めるサンカの一団を決めるためのものだ。サンカは「ヤゾオが二人存在する仕事」を受け付けない。サンカ同士が争いにならないようにするための、生存戦略の一つだと言う。
玄が、それぞれのヤゾオと手を握り合い、お互いの条件を伝え合う。この握手には狼の毛皮が掛けられており、他者からそれを覗き見ることができないが、毛皮の下で激しくお互いの手が動いているのは見て取れた。
こうしてそれぞれと何度かのやり取りの末に、はるばる東北の地から訪れていたヤゾオと条件が合った。それが玄の口から伝えられると、他のヤゾオは無言で一斉に席を立った。夜半だと言うのに、これからそれぞれの住処とする山へ帰るのだと言う。入り口で寿がそれぞれのヤゾオに丁重に礼を述べ、笹で包まれた砂金を渡す。
その後、ナガリと名乗ったヤゾオと詳細を詰め、ナガリが一族を引き連れて戻ってくる日取りや、繋ぎの付け方が決められた。ここでも治直は玄とナガリの間で交わされる異質の言葉のやり取りを見つめるだけで、口を挟むことはしなかった。できなかった、と言う方がより正確だろう。それくらい、交わされる言葉は日常使われる言葉からも、輩の者が使う言葉からも、かけ離れていた。
「これで全て決まりました。まずは八千田近在の山から始めまする。」
玄がそう呟いた夜から二十日の後、あの鉱石の発見となった。ナガリの率いる一団が探索に加わって、三日後の出来事であった。
そうして、今日の日を迎え、八甲館の執務室に春日を迎えての談合が始まったのである。
「ご無沙汰にござりまする。杉谷様にはお変わりなく・・・。」
「お互い懸命に立ち働いておるからのぅ。無理もない。・・・奥方様はご健勝かな? それと清六郎殿は?」
「はっ! おかげさまを持ちまして、皆、息災にござる。清六郎は先日、いよいよ伝い歩きが始まりましてな!」
「おお、それはまた早い。生まれた時から大きなお子ゆえ、今から将来が楽しみですな。」
「はい。あの出陣前のお約束の通り、御館様に名付けをしていただきました上に、その一字を頂戴するなどと言う恐れ多き事態に相成りまして・・・。それもこれも、全て杉谷様のおかげにございます!」
「いやいや、春日殿の働きと奥方様のお力でしょう。帝から城主裁可を賜ったその日に男子を産み落とすなど、まことに天晴れ。私の口添えなどいらぬ世話というもの。」
あの出陣前の約束通り、治直は宗清に名付けを進言はしていたものの、斎藤義起と宗清連名で因幡山城受け渡しのために朝廷に奏上していた書状の返書が因幡山城に届き、その披露が行われているさなか、春日の妻は六男となる男子を出産していた。
これにはあの稲原でさえ満面の笑顔となり、満座の席で扇子を打ち振って春日の妻を褒め称えたのである。そういう意味でも、清六郎は「八柄の子」「因幡山城の子」と見られる向きが強い。節句には、それこそ城中の皆からの引き出物で春日家の蔵が溢れかえる程だったと言う。
また、子宝に恵まれぬ者は春日の奥方が手繕いした守り袋を求めた。最初にその守り袋をもらった者がほどなく懐妊したことにより、「御利益がある」と近在中に噂が広まり、遠く琵琶の海の向こうから守り袋を求めて来た者もあったらしい。
こうして春日の妻「おたい」は「おったいさん」と呼ばれ、死後にはおたいの姿を映した御神体を奉ずる、子宝と安産に御利益があるという神社が作られた。その姿は「布袋尊」に瓜二つだったと伝えられている。
書状を開いてみると、治直の読み通り、春日を現地に派遣して検分をするようにとの内容が書いてあった。当然のように治直も同行するつもりでいたのだが、書状には続きがあり、春日が検分の間、治直は因幡山城にて報告を待つように、と記されていた。
治直はこの一文を怪訝に思いはしたが、明確にそう記されている上に花押まで押されているのだから、赴かないわけには行かない。
伊佐次郎を呼び、酒の支度を言いつけるとともに後事を託す。
その後、二人で軽く酒を酌み交わし、治直は夕暮れまでに因幡山城に入れるように馬をゆるりと歩ませた。
初夏の夕暮れも近い時刻だと言うのに、馬に跨っているだけで汗ばむほどの暑さだった。また、美濃の酷暑が始まろうとしている。
西日に、因幡山城の天守の甍が煌めいて見えた。八甲館の茅葺きの大屋根とは違う威厳が漂っている。
『いずれは儂も、一国一城の主となると言うが・・・果たして?』
三日に一度、夜半に忍んできては諜者からの報告とともに逢瀬のひと時を楽しむ寿が口癖のように言う台詞だが、治直にはいまいちピンと来ない。美濃の一郡と八甲館の切り盛りだけでも驚くほど煩雑な業務であるのに、一国一城の主となった暁には、どのような忙殺の日々が待ち受けていることか。
あの時の「輩の者が住み暮らす国を作る」という約束がなければ、今すぐにでも全てを放り出して、どこかの山で寿と二人、ゆったりと季節を感じながら暮らしてゆきたいほどだと言うのに。
『こんなことを言ったら、寿は怒るだろうなぁ。』
苦笑いを浮かべて、数回首を振る。
寿は怒ると、それこそ目尻が吊り上がり、般若のような顔になって立ち向かってくる。
力でも技でも、治直に勝てる道理があるわけがないのだが、そんなことには一向に構わず、感情をむき出しにして掛かってくるのだ。その様は、まるで獣のそれだった。本能のままに考え、本能のままに生きる。まさしく人間も一箇の獣だと、つくづく思い知らされる瞬間だ。
治直はそんな生き方に、激しく嫉妬を覚えている。
身分の上下も貴賤も関わりなく、自由奔放に生きる。
その方が自然ではないか。
そう言う意味では、寿はまさしく天然自然をその体内に色濃く残した生き方をしている。心底、羨ましいと思う。結局、治直は寿のそんな部分にぞっこん惚れているのだ。
そんなことを考えているうちに、あっという間に城門に着いてしまった。治直を認めた番士が頭を下げ、馬の手綱を取る。
「御館様からのお召でな。これよりは歩く故、馬を頼む。」
天守までの坂道を登っていくと、宗清の小姓が迎えに来ていた。これもまた、普段では考えられないことだった。
「そろそろ杉谷様がお見えだろうと言う御館様の御申し付けで、待たせていただいておりました。そのまま、奥の院まで来て欲しいとのことでございます。」
「そうか。久方ぶりにご家老様にご挨拶を申し上げたかったのだがな?」
「いえ、本日は無用との仰せにございます。」
「? 御館様がそう申されたのか? なんぞ異変でも起こったのか?」
「いえ、どうやら昔に帰って酒を酌み交わしたいとのご意向のようでございますよ。奥方様自ら台所に立たれてお指図をされておりました。」
「左様か・・・。そのようなもったいないことを・・・。よし、それではこのまま向かわせて頂こう。案内は不要じゃ。」
「承りました。それでは、これにて・・・。」
奥の院は、佐江姫を嫁に迎えてから造作した別棟で、天守からは中庭を回り込むようにして作られていた。その渡り廊下へは中庭からも上がれるようになっていたので、治直は天守に入らず、中庭から直接奥の院へと向かった。
奥の院の入り口にも、奥女中が待っていた。何とも念のいったことである。
奥女中は、軽く会釈をすると無言のままで踵を返し、治直の先を進む。
「杉谷様、御到着にございます・・・。」
「おお、来たか。入って来よ。」
障子の前に膝を付き、静かに引き開けて平伏する。
「杉谷治直、お召により参じましてございます。」
「そのような堅苦しい挨拶は抜きにしてもらおう。今宵は儂もお主を小太殿と呼ぶ故な。ささ、入ってくれい。」
「はは・・・。」
そう言われても、物固さを崩さぬ治直を見て、宗清は苦笑を浮かべた。隣には、佐江姫が座していた。
畳を滑るように膝で進み、あらためて礼をする。
「これ、そのようなことは無用と申すに。」
「これは、太郎殿への挨拶ではござらん。奥方様への挨拶にござる。」
「はは! 左様か! む、それならば致し方もない。思うさま、挨拶致せ。」
「まっ! と、殿・・・。」
この、ほとんど兄弟のようにして育った主従の戯れ言に巻き込まれ、佐江姫は顔を真っ赤にして狼狽した。その仕草が、また何ともかわゆげで、その気のまったくない治直でさえ思わず悪戯心がくすぐられるようだった。
「杉谷小太郎治直にございまする。奥方様には、御機嫌も麗しくあらせられ重畳至極に存じまする。」
「は、はいっ! あの・・・佐江でございます! 不束者ではございますが幾久しゅう・・・。」
「おいおい佐江、お主、儂が嫁御でありながら、治直に嫁ぎ直す気かね?」
「い、いえっ! そ、そのような・・・。もうっ、ひどうございます!」
三人とも、口を揃えて笑い合った。その光景は傍から見れば、子供同士がじゃれているような、和気に溢れるものだった。
「いやいや、申し訳もございませぬ。お二人の幸せそうなご様子を見て、治直少々、妬け申した。」
「お? 妬けたと申したな? ならば話も早い。小太殿よ、お主もそろそろ年貢を納めたらどうかね?」
「年貢、でございますか?」
「これ、とぼけるでない。お主も嫁を娶れと申しておるのだ。もはや二十四ではないか。甚左衛門殿の杉谷家を潰す気かね?」
「いや・・・しかし・・・。」
「いやもしかしもない。儂もこうして佐江を迎えるまでは女子のことなど興味もなかったが、嫁御と言うのは、まこと良いものじゃ。嫁を迎えて一人前と言う先人の教えも、あながち嘘ではないと思い知ったわ。子供の頃から兄と慕って共に育った小太殿がいつまでも独り身では、儂も立つ瀬がない。」
「はぁ・・・。」
「誰ぞ、意中の相手はおるのか? 儂が知る者であれば、いかようにも口添え致すぞ?」
「お心遣い、忝のうございますが、一向に・・・。」
「ならば一つ、儂が娶せて進ぜよう。長山のところにも稲原のところにも妙齢の娘がおる。」
「いやいや! それはいかん! いや・・・しばらく!しばらく!」
「なんだ、長山や稲原が岳父では不足かね?」
「そうではな・・・そうではございませぬ。自身の嫁御は、自身で見つけまする故・・・。」
言いながら、治直は寿の悲しむ顔を脳裏に思い浮かべていた。
寿も口では正室を迎えよと言うが、それが本心から出ているものでないことは痛いほどにわかる。
それでなくても悋気の強い女子なのだ。頭では理解ができても、心では理解できまい。治直は何より、寿の心を失うことを恐れた。
「よし。ならば、この一か年の間に嫁御を見つけよ。それが適わぬ時は、儂が娶せる女子を嫁にせよ。良いな? 主命であるぞ。」
先ほどは自分から「今日は昔に返って」と言いながら、肝心なところでは主命と申し付ける。逆に言えば、それほどに治直の身を案じていることの裏返しなのはよくわかるが、これではいかにもひどい。騙し討ちも同然の行いである。
「御意・・・。」
不承不承の体で、絞り出すようにそう言った。
いずれにせよ、いつかは解決せねばならない問題ではあったが、主命として期限が切られた以上、いよいよ本腰を入れて当たらねばならない。
「よし。これで話は終わった。我ながら卑怯の振舞いとは思うが、儂の身が固まってからの長山と稲原の風当たりが強くてな。杉谷に嫁を取らせよとうるさいのじゃ。察しくれい。」
「左様にござりましたか・・・。つまらぬことでお気を煩わせ、申し訳もございませぬ。」
「杉治の嫁取りは前々からの八柄家の大問題じゃ。これまでは他家からの申し入れも含めて、全て儂が断っておったのだ。小太殿にその気がないのを知っておったからな。だが、小太殿に娘を、という話は因幡山に移ってからも少なからずもたらされておってな。儂が佐江を娶る前なればまだしも、こうなっては断る理由を探すのにも苦労しておるのじゃ。その都度返書をしたためる長山や稲原の気持ちも、汲んでやってくれ。」
「・・・はっ。」
どうやら治直、大持てに持てているらしい。
知らぬところで、宗清だけでなく長山や稲原にも気苦労を掛けていたと知らされ、どうにもやり切れぬ思いに苛まれた。
「よし、そうと決まれば酒じゃ。今夜は大いに飲み明かそうではないか。実は佐江もこう見えてかなりいける口でな。相伴させようと思うが、構わぬか?」
「ほほう、それは初耳でございましたな。それでは儂の自棄酒に付き合っていただきましょうぞ。」
「自棄酒か? なんとも正直な小太殿よな! どのような女子を連れて参るのか、今より楽しみだわ! はははっ!」
酒と共に、佐江が指図による料理の数々が運ばれてきた。
岩魚の塩焼き、夏野菜の香の物、川海老の素揚げは山椒の利いた濃い味付けで、酒によく合った。
その夜、三人は深更まで存分に楽しみ、存分に飲んだ。
宗清の言う通り、佐江はほとんどザルであり、どんなに飲んでも崩れることがなかった。さすがに気分が良くなったのか、宗清の笛に合わせて舞を舞って見せたり、実家での暮らしぶりを面白おかしく語って見せたりと、多芸多才なところを見せ、治直も大いに楽しんだ。
いつの間にか寿の悲し気な表情は、脳裏から消え去っていた。
「杉治は及ばざる籠とし」⑭
了。
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