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短編小説「太陽の色」

「せんせぇ! チエちゃんが、変な絵を描いてまーす!」

夢中で絵を描いていた後ろでいきなり名前を呼ばれて、私は飛び上がらんばかりに驚いた。

声の主は、クラスでも人気のかわいい女の子。
でも、その見かけとは裏腹に、陰では結構ひどいことをしてくる。

私はその頃、今でいう「陰キャ」で、友達らしい友達もおらず、いつも教室の片隅で本を読んでいるか、ボーっと外を眺めているかの時間を過ごしていた。

だからという訳ではないと思うが、成績だけは優秀で、なんとなくクラスを牛耳る「陽キャグループ」から目をつけられているな、と気付いてはいた。

そのグループの筆頭、リーダーで学級委員も務めるヒナちゃんがあげた声に、みんなが私の周囲に群がって、薄笑いを浮かべながら口々に言った。


「ほんとだ、変な絵!」
「空しかないの? それに、お日さまが白だって! おっかしいの!」


真っ向から自分の絵を否定され、それがまるで自分を否定されているようで、私は小さく、小さく縮こまるしかなかった。

極めつけは、騒ぎを聞きつけて現れた、副担任の一言。
今日の写生の授業を任された、若い男性教師は、ぬけぬけとこう言った。

「どれどれ・・・。あー、ほんとだねぇ。空しかないけど、ここからは森も草原も見えるよね? そういうのも描かないと、ダメだよ!」

そう言って、みんなで笑った。

その時に、私は漠然と、「大人でも、力のある子供には忖度する」ということを学んだような気がする。

外に出る前の教室で、この男性教師はこう言った。


「目の前に見える自分の一番の景色を、絵にしよう!」


だから、私は私の「目の前に見える一番の景色」を絵にしたのだ。

それに、太陽はどう見ても白い。
色が付いているとするならば、とてもとても淡い黄色だと思う。

朝日や夕日でさえ、薄いピンクかオレンジで、「白はおかしい」と言った男子の描いた「真っ赤な太陽」など、写真でしか見たことがない。

私からすれば、「見えてないのに赤く描くこと」の方が、よほどおかしいと思う。

だけど、私の周囲で笑っているみんなの絵に描かれた太陽は、どれも赤かオレンジだった。

『と、言うことは、おかしいのは私の方なのか。』

赤いクレヨンを手にした私は、私の太陽を、真っ赤に塗った。



あれから14年経って、私は21歳になっていた。
他の人には幼い頃の些末な出来事で、覚えている人間などはいないだろうが、私は「あの日の出来事」を、未だに忘れられないでいる。

なぜなら、「他人の意見に初めて屈した日」だったから。

一番許せないのは、自分自身だった。

周囲の嘲笑と、先生の裏切りとも取れる絵の否定。
その圧力に屈して、私は自分の目で見たこと、心で感じたことを曲げた。

その事実が心のトゲになって、ふとした時に、膨らんだ心をしぼませてしまう。



「どうしたの? なんか元気ない?」


軽快に車を走らせながら、チラチラと心配そうな視線を投げ掛けてくるのは、つい最近までは「知らない人」だったが、驚くほどの短期間で、お互いを認める仲になった人。

由乃よしの

夜中に突然、自室に忍び込まれた時に交わしたのが、最初の会話だった。
普通なら警察沙汰だし、今その人が運転する車の助手席に座っていることが異常なのは、自分でも何となくわかる。

だけど、最初に名前を呼ばれて、そして私も名前を呼び返した時、なぜか「この人は大丈夫」と思ってしまった。

「感じ取ってしまった」という方が、より近いかも知れない。


「あ・・・うん。大丈夫。ちょっとボーっとしただけ。」
「そう? あ! わかった。タバコでしょ? 吸っていいのに。」
「え、違うよ?」

そう言った時には、車は左にウインカーを出し、峠道につきものの見晴らし台の駐車場へと向かって進んでいた。


「おおー! いい眺め! 標高が高いからかな、涼しいよね?」


車から降りると、由乃はそう言いながら両手を天にかざすようにして伸びをした。

袖の部分がシースルーになった白いブラウスから見える、スラリと伸びた腕の曲線が、その先の、とても繊細な動きをする水晶クラスターのような手指を支えている。

あの、大理石からベールを見出したジョヴァンニ・ストラッツァでさえ、この由乃の腕を再現するのには苦労をするだろうと思う。

私はソフトパックの上辺を軽く叩いて、マルボロを一本、親指と人差し指でつまむようにして抜き出した。

タバコを口に咥え、自分の手を眺めてみた。
由乃の手に比べると、まるで幼い子供の手のように見える。

『小さい太陽みたいね』

初めて二人の手を重ねた時、由乃はそう言った。


サービスライターで、マルボロに火を点ける。

吸った煙を口の中で転がしてから、鼻からゆっくりと吐き出す。
その時、頭の中のモヤモヤも一緒に吐き出せるような気がして、私はタバコを吸い続けているのかも知れない。


「ねぇ、由乃。太陽は、何色?」


なんでその時、その言葉を口にしたのか、自分でも分からない。
「何か」を確かめたかったのかも知れないし、「答え」を探していたのかも知れない。


「え? そんなの、決まってるでしょ。白よ。白。」


私の漠然と抱いていた不安を、由乃は軽々と吹き飛ばした。


「そうそう、太陽と言えば子供の頃にね、写生の授業があったのよ。みんな、太陽を赤とかオレンジで描いててね・・・。」

そこで、由乃はさもおかしそうに、口元に手を当てて笑った。

「私は、真っ青な空に、太陽だけを描いたの。しかも、真っ白で! そうしたらみんながおかしい、って、笑うのよ! だから言ってやったの。『ほんとにあれが赤やオレンジに見えるなら、目の病院に行った方がいい』って! みんな、キョトンとしちゃって!」

思わず私は、口からタバコを落としそうになった。
唇の湿り気がなかったら、間違いなく落ちていたと思う。

「おっかしいでしょ? 変な子供よね? 普通に、みんなと同じにすればいいのに、やたらとムキになっちゃって! 大真面目な顔で『病院に行け』なんて言われたら、そりゃ、キョトンとするわよね!」


何かが、肩からすとんと滑り落ちた。
まるで背中に羽でも生えたかのように、身体が軽くなった。


そして、私は涙を流した。


「え? え? ちょっと、千英! なんで泣くのよ!」


驚いた由乃が、ちょっとオロついてこちらに近付いてきた。
私は顔を伏せて、笑っているように見せかけた。


「だって・・・そんな・・・大人げない! ・・・みんなの顔を思い浮かべたら、もう、おかしくって!」

「あ、ああ! そっか! もー、驚かせないでよ! やっぱり、おかしいよね? はは、自分でもおかしくってさぁ・・・。」


うまく誤魔化せたかどうか。

勘のいい由乃のことだから、たぶん、何かに気が付いていて、それでもあえて知らないフリをしてくれてるんだよね。

そんなところが、たまらなく好き。
あっけらかんとしていて、時々イジワルで、とっても優しい。


そして何より、とっても強い。


今日から私の太陽の思い出は、由乃の笑顔に変わった。
子供の頃の辛い記憶は、その笑顔の眩しさに、照らし出された闇のように消え去った。

眩し過ぎて、白にしか見えない太陽と同じ明るさで。


太陽の色は、やっぱり白だった。


「太陽の色」
了。




※ こちらの作品は、文字数の都合で描けなかった長編小説「オツトメしましょ!」のエピソードを、短編用にリファインしたものです。

お時間に余裕のある時で構いませんので、こちらもお楽しみいただけると幸いです。








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