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「サイテキカイ」 第5話

その夜、時郎はベッドに入って那美が眠りに落ちたのを確認すると、すぐにBBに思念通話を送り、ダウナップを実行して人格を入れ替えた。
それまでの数時間、BBはVQのモニターと、VQが人間社会で生きている時の「桜井萌々」についての調査を行っていて、既にいくつかの事実を突き止めており、その中で特に気になった部分についてAJに情報共有を行った。
「彼女は6歳・・・つまり3年前に、事故に巻き込まれて大けがを負っているんだけど、その回復の仕方がちょっと普通じゃないの。」
AJとしてNSRに着くなり、なんの前置きもなしにBBが話を切り出してきた。
調査の中で、何か大きな疑問点にぶつかり、先ほどのやり取りのことなどは頭から消えてしまったようだった。

「急にコントロールを失った車が歩道に突っ込んできて、彼女は車と電柱の間に挟まれた。状況から見て、即死でも全然おかしくないような事故。実際、彼女は全身に27か所の骨折、肝臓、脾臓、肺に重大な傷害を負っている。手術回数は合計17回、入院は合計で597日に及んだ。」
「それだけ聞くとかなりの重症に聞こえるけど・・・。」
「そうね。でも、普通これくらいの重傷を負ったら、体の機能が完全に回復するなんて考えられない。しかも、3年という短い期間に。実際に担当した医師全員が、この回復の速さを『奇跡』と表現してる。」
「その事故か、事故後の回復過程に、『何かあった』と睨んでるんだね?」
BBは深く頷くと、言葉を継いだ。
「そのどちらか、あるいは両方にVQが絡んでる可能性は、かなり高いと思う。これを見てみて。」
そういって、BBはモニターの一つに新たな画像を呼び出す。
そこには、一人の男性の生涯データが表示されていた。
「これは、その車を運転していた人間。名前は『加藤健一』。彼はこの事故で亡くなったけど、身元を特定する人が現れずに合祀墓地に葬られてる。データでは両親と、弟がいることになっているのに。」
確かに、データ上は家族がいて、ごく当たり前の人生を送っている人物に見えた。高校大学共に地元の中堅程度の学業を修め、市役所に勤務していた。これといった業績があるわけではないが、悪い噂もない。人付き合いも悪くなかったようで、同世代の人間たちとフットサルのチームを組んで大会に出場していたりもしたようだ。
「このデータだけだと特に不審な点はないように見えるけど、逆に何もないってのも気になるな。経済状況も問題なければ交通違反歴もなし、か。」
「そうなの。それなのに、事故当日、彼は業務中にも関わらず無断で職場を離れて車を盗み、猛スピードでどこかへ向かうところで事故を起こした。市役所の監視カメラにはひどく動揺して焦っている様子が映ってる。」
「それまでの素行とのギャップがすごいな。論理的に破綻してる。」
「そうでしょ?それに、事故の現場写真を見てみて。これ、おかしいと思わない?」
そう言われて事故の写真を見てみる。車は高級外車だった。とは言え、今の日本では珍しい車種ではなくなっているが。
車はフロントを中心に激しく破損しており、電柱に突っ込んだ左前部はタイヤを支えているサスペンションごと外れていた。ボンネットは3分の2ほどまで潰れて、電柱が食い込んでおり、フロントガラスは粉々になって飛び散っている。さらに途中から折れた電柱が車の屋根を圧し潰すように倒れていて、引っ掛かった電線のおかげでかろうじて斜めに立っているようだ。
この事故で車と電柱に挟まれた6歳の女の子が生きているというのは驚きだ。
道路には多数の部品や液体が飛び散り、規制線の外にはたくさんの野次馬が見える。
だが、電柱にフロントから突っ込んだのなら、左前のタイヤがここまで破損しているのは不審に思えた。
「この車は、電柱にぶつかる前にもどこかにぶつかったのか?」
AJの問いに、BBは首を振って答える。
「どこにも。目撃者の話だと、猛スピードで走っている最中に、突然車体の左前が沈んで、コントロールを失った車が電柱に衝突したということみたい。でも、この手の車でそんなこと普通に起こり得る?タイヤが外れた、っていうのはよくあると思うけど。それで、三次元スキャンを掛けて調べてみたんだけど、左前のサスアームの一部、2cmくらいだけど、明らかに足りなくなってる。散乱してる部品の中に、該当する破片はないの。」
「つまり、どういうこと?」
「そもそもが一つの部品だから、例えば金属疲労や過度な衝撃で折れたり曲がったりすることは有り得るんだけど、これは完全に『切れてる』のよ。しかも切った部分はどこにも見当たらない。だから長さが足りなくなってることになった、ってこと。」
「捜査当局はどう見てる?」
「そこまでの捜査はしてないみたいね。衝突の衝撃で外れた、っていう認識で終わってる。確かに縁石にぶつかってるし、気付かなくても無理はないことだけど。それと・・・。」
「それと?」
「どうやってエンジンを掛けたのかが不明なの。スマートキーは持ち主が持ってた。車に細工したような跡もないし、事故時、『その手の機械』も発見されなかった。決定的なのは・・・。」
そういうとBBはモニターに新しい画像を呼び出す。若干遠目ではあったが、駐車場で加藤がキョロキョロと何かを探しているような素振りで動いている。時折、周囲を警戒するように見回しながら、次々と車を縫うように進んで行くと、あの事故を起こした車の前で立ち止まり、おもむろに運転席のドアを開けた。車はすぐにエンジンを始動し、ドアミラーが開き切らないうちに駐車場を後にしていた。
「車泥棒にしたって手際が良すぎるな。というか、これじゃ鍵を持ってるのと変わらないじゃないか。」
「そうなの。調べてみたら、この車はドアロックと同時にドアミラーが自動で格納されるタイプだから、ドアはロックされてたと見ていいと思う。それに、始動までに3秒と掛かってない。いくらなんでもおかしいでしょ?」
確かに不自然なことが多かった。数多く駐車されている中からなぜこの車を選んだのか、警察ではこの点についてどう考えているのか、そもそもこの加藤という男は何者で、なぜそんな不可解な行動を起こしたのか。疑問は次々に浮かび上がっていった。
「この他に、この事故とか加藤についての資料はないの?」
AJがモニターからBBに視線を移す。
「調べてるけど、このほかには何も出てこない。少なくても普通の方法ではね。これだけの事故で、小さな子が被害者な上に奇跡の回復を遂げていたら何か一つは追跡記事なんかもありそうだけど、それもなし。そもそも、司法機関に記録が残ってない。そして、その事実に誰も気が付いていないみたいな感じ。」
AJの中で、一つの仮説が形作られ、それが徐々に確信に近くなっていった。BBもその仮説が頭に浮かんでいるであろうことは、表情で読み取れた。
「・・・ほぼ間違いなく、この一連の流れにVQが絡んでいる気がする。」
AJは、それをあえて口に出した。BBもうなづいて賛同を示す。
「萌々ちゃんに聞いてみるのが、一番の早道かもね。もっと調べるか、あるいは過去に赴いて、実際にこの目で見てみるか。」
BBはそう言ったが、AJはどちらも気乗りがしなかった。
まず、過去に戻って直接調査をした場合、その時点でこちらとVQが接触してしまう恐れがあった。こちらは現在までVQの存在に気が付くことなく活動をしてきたが、お互いの存在を知ってしまえば、お互いが立場的に相手を無視するわけにはいかなくなる。つまり、時間軸が大きくブレてしまう可能性があった。VQもAJたちも、この世界に及ぼすことのできる力の大きさを考えれば、それは破滅的な未来に直結する懸念をはらんだ出来事と成り得る。
また、萌々(=VQ)に直接この事故についての質問をぶつけた時の、VQの反応が読めない。それに、VQが干渉してこの事故を管理しているとすれば、VQが萌々として生活しているのには何か「理由」があるはずだった。その「理由」が分かれば、それを逆手に今後のVQとの交渉を有利に進められるはずだ。それをみすみす手放すような動きは、こちらをますます不利にするように思える。
結論として、今はこの事実に目を瞑り、何食わぬ体でVQに接するのが得策のような気がする。VQの方でも、「桜井萌々」として姿を現した以上、こちらがそれなりの調査をするのは織り込み済みだろう。それについて、こちらが何もアクションを起こさなければ、不審に思うはずだ。その不審が不安になり、心理的優勢をこちらにもたらすかも知れない。
「この件については、一旦これで止めておこう。」
そう言って、不審そうな顔をするBBに自分の考えを話す。
話を聞きながらBBも考え込んでいるようだったが、AJと同じ結論に至ったようだった。
「確かに、その方がいいかも知れない。VQの態度から見ても、こちらにすぐに何かしようとしているワケではないみたいだし。そうなると、今度はVQの話していた『人間に興味を持っている存在』の方が気になるわね。」
「それなんだが、それこそVQに直接当たってみようと思うんだ。こちらがわざと下手に出て、『助けてくれ』と頼んでみる、というのはどうだろう?」
「それで、『はい、わかりました』となるかしら?」
BBは眉間にシワを寄せ、怪訝な表情を浮かべて言った。
「正直、わからない。だけど、VQはVQなりに人間になんらかの思い入れがあるように感じるんだ。那美と恵那をあの場から立ち去らせたこともそうだし、精神攻撃のビジョンもこちらの弱点を突いていた。言ってみれば『人間としての弱点』をね。裏を返せば、それがVQの弱点である可能性もあるんじゃないか?」
「・・・なるほど。自分の弱みであるからこそ、AJにも同じ攻撃が効果があると考えた、と言うことね・・・。確かに、有り得るかも知れない。」
「そうだろ?明らかに敵対してくるわけでないなら、懐柔の余地はあるように思うんだ。」
「うん。万全の対策を整えた上でなら、アリね。他にアイデアも浮かばないしね・・・。」

そこから二人は、来るべき桜井萌々との接触に備えての準備を始めた。
まずは、戦いになった場合を考え、「対集合体監察官」用のボディにバージョンアップをすることにした。
物理的、精神的にあらゆる攻防に耐えられるよう、制御やリミッターを見直し、キャパシティをアップさせる。これにより、常人では考えられないような反射運動能力が手に入るほか、介入用ボディでは著しく制限されていた「高位」の能力を、より高度に行使することが可能になる。

また、VQの話していた「人間に興味を持っている存在」についても、多角的に調査を行うことになった。
これを、どちらもBBがメインで同時に行うこととなる。その間、AJはVQに気取られないよう、今まで通りの生活を行う。BBの存在を知らないVQからしてみれば、こちらが何もしていないように見えるだろう。
もっとも、これが楽観的な見解であることは、AJもBBも承知の上だった。
VQがすべてを見抜いた上でこちらの出方を窺っている可能性も、多分にあったが、それを気にし始めるとキリがなくなってしまう。
だから、「とぼける」ことにしたのだ。より正確に言うなら「気付かないフリをする」と言ったところだろうか。

一旦動き出すと、二人は黙々とそれぞれの作業に没頭していく。
AJはNSRの蓄積データを使い、「人間に興味を持っている存在」についての「調査をするための情報の洗い出し」を始めた。
BBは介入用ボディの製作に取り掛かる。バージョンアップとはいうものの、どちらもほぼ全てのパーツが新造に近いため、設計から見直す必要があるのだ。

こうして、NSRの存在するブランクスペースでは時間が経過していった。
AJはそろそろ時郎に戻るべき時刻となる。
疑似人格がボロを出す前に、時郎に戻る必要があったのだ。
それに、すぐ近所に敵性存在が現れた以上、那美と恵那の側から長時間離れているのは、不安で、とても辛かった。

第5話 了















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