【蓮ノ空感想文】他人事なGott ist totと私たちの"いま"について
こんにちは。れんかと申します。
大仰なタイトルを付けてしまいましたが、別に難しい話をするつもりはありませんので気軽に読んでいただけると嬉しいです。たった2単位の講義だけでニヒリズムと現代宗教学について論じるのは無謀が過ぎますからね。最後の方に例え話でちょろっと出てくるだけです。
注意事項パートも終えましたし、そろそろ本題に入っていきましょう。始まります。
先日公開された活動記録第18話において、沙知先輩の卒業が描かれました。
スクールアイドルクラブの活動を影から支え、メンバー達に道筋を示してきた沙知先輩の卒業は、遺されるメンバー達にとって非常に大きい出来事でした。これは、私たち蓮ノ空のこと好き好きクラブのみなさん(以下、私たち)においても同様でしょう。
また、活動記録18話や3月度Fes×LIVEをはじめとした沙知先輩の卒業に関する一連の出来事は、私たちにもう一つの意味で衝撃を与えたことと思います。
それは、【卒業】が逃れようのない現実であると改めて突き付けたことです。
Link!Like!ラブライブ!はリアルタイム「スクールカレンダー」連動プロジェクトである。
これは最初期も最初期から言われ続けていたことですし、皆さんも蓮ノ空を追っていく中で一度は【卒業】というワードが脳裏をよぎったことがあるでしょう。けれども、深く考えたことはあるかと問われると、Yesと答えられる方は意外と少ないのではないでしょうか。
なぜなら考えようがないから。
学園モノのストーリーを現実の時間と連動させる、というコンセプトを少なくとも私はリンクラ以外で聞いたことがありません。ましてや、そこで卒業がどのように扱われるか、など私には想像がつきませんでした。
そして、先日ついにその答えが与えられたのです。
正解は、【卒業とは卒業である】でした。
スクールアイドルクラブの現メンバーとの関わりや蓮華祭など特別な要素はあるものの、大枠としては私たちのよく知る卒業と何ら変わりのないものでした。3年以上在学し、学校が定める条件を満たした者は3月末に学校を去る。それだけです。
私は、この事実をとても恐ろしく感じました。
メンバーに、物語に、私たちに絶大な影響を与えた沙知先輩が、当然のように去っていく。ならば、来年の今頃には102期生も。そう考えてしまうのは必然でしょう。
この点だけでも充分ですが、私が最も恐ろしいと思ったのは、これらの出来事が私たちの意志の産物である、と考えたからです。
急に飛ばしすぎちゃいましたね。ここからタイトルの仰々しいセリフも交えて、順序立てて説明していきましょう。重ね重ねにはなりますが、哲学的な小難しい話にはなりませんのでご安心ください。
Gott ist tot(神は死んだ)とは、哲学者のニーチェが著した小説内での発言が初出とされる言葉です。発言がなされた経緯をギリギリ原形が残ってるくらいに丸めて叩いて説明すると、
「科学の進歩で色々と世界のこともわかってきたし、人間の力だけで大体のことができるようになってきたから、みんな無批判に神様を信仰してるなんてことはないよね。じゃあ、神様って死んだも同然なんじゃない??」
といった感じになると思います。実際にはもっと複雑な過程を経てますし、ここから派生した議論もとてもためになるものばかりなので、興味がある方はちゃんと調べてみてください。
で、僕が話したいのは神様を殺したのは誰か、という話です。これについてもちゃんと小説内に書かれています。何なら、"神は死んだ"の直後に。
犯人は、私たち全員です。
最初から神様の存在を信じていない人はもちろん、敬虔な方であっても近現代において神の存在を一切の疑念も無く信じるというのは困難を極めるでしょう。そうした全ての人々の疑心や無関心が神様を殺した、というのがニーチェの主張です。
しかし、このことに自覚的な人はどれほどいるでしょうか。……まあ、ほとんどいませんよね。普段は宗教的な行事なんてしないのに、大事な時にだけお寺や神社に参ったり、心の中で神様仏様なんて祈っちゃったりしますもんね。Gott ist totは有名なのに、後に続く部分の知名度が異様に低いこともその根拠になるでしょう。
長々とこんな話をしたのは、今のリンクラ、特に卒業に対する私たちの意識が、この話と真逆ではあるものの似通っている、と感じたからです。
まだ抽象的ですね。具体化のために1つの問いを用意しました。
蓮ノ空のメンバーは、なぜ毎年リアルタイムの3月に卒業してしまうのでしょうか。
なぜって、そういう企画だから。……本当にそれで良いのでしょうか。
私たちは、昨年4月から103期スクールアイドルクラブのメンバーと時間を共有してきました。撫子祭を、夏合宿を、竜胆祭を、ラブライブ!地区予選を、オープンキャンパスを、ラブライブ!北陸大会を、全国大会を、花咲いていくスリーズブーケを、スクールアイドルになっていくDOLLCHESTRAを、世界中を夢中にさせていくみらくらぱーく!を、同じ時間の中で見守っていたい、共に過ごしたいと願ったからこそ、私たちはここにいるのだと思います。
それならば、卒業を迎えてしまうのもまた必然なのです。
さらに言えば、彼女達の輝きに卒業という終わりを決定付けてしまったのは、私たち一人ひとりの同じ時を過ごしたい、という願いであるとは言えないでしょうか。
以上が私の考えです。
102期生卒業まであと1年。これを長いと捉えるか短いと捉えるか、じっくりと向き合うのか意識の隅に追いやって過ごすのか、全ては私たちの自由です。私は、最高の"いま"を積み重ねて、後悔のない1年にしていきたいと思います。
終わります。