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真似はイノベーションするか? #1

以前に、真似について書いたので、その思考を少し進めてみようかと思いました。

これって、今の自分にも、重要な要素を含んでいることと、これからの自分の将来にも結び付きそうな「予感」がするから、ですかね。

真似という、ネガティブ側面の事柄ではなく、ポジティブ側面の学習ということで、考えてみましょう。

今回は、その1ということで。

真似とは何か(基準点の設定)

真似の先を観ようとするなら、真似を定義しておく必要があるでしょう。
goo辞書によると、

[名](スル)
1 まねること。また、形だけ似た動作をすること。模倣。
2 行動。ふるまい。

真似って、そのままの意味なんですね。

形だけ似た動作をする、ということは、本質的な部分は「似ていない」ってことですかね。

そして、「動作、動き」という記述があることから、基本的には「行動」を指し示していると思われます。

例えば、イラストや絵の似たもの、というのは、似せて描いた絵が似ているのではなく、似せる行為自体が「真似」ということらしい。

つまり、主体者としての行為者の存在が、「真似」の本質のようです。

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例えば、「猿真似」といったとき、「猿のように、何も考えずに、ただ真似る」と意味づけされることから、主体者に焦点があることは自明と言えます。

これは、私自身も「興味をもって調べる」ことが無ければ、知らなかったことです。

なかなか、ポジティブ思考って、面白いですね。

真似の本質は人間にある

真似って、本質は人間の側にある。
結果としての生産物には、重きが置かれていないのではないか。

というのが仮説です。

これはつまり、真似を考察する場合は、人間に連動してすべてが語られる、ということです。

ベクトルが、人間に向いているってことでしょうね。
これが、学習的な真似を考える上での、重要な要素であるとわかりました。


だから、真似に価値が存在するとすれば、それは、その主体者の価値そのものであるということです。
主体者の人間が、ポジティブに考えるか、ネガティブに考えるかによって、決定されているんですね。

長くなりそうなので、ここまでで、その1としておきます。

次回以降、下記を考察します。

真似ることが閾値を越えたとき、イノベーションに至るか?

どういう状況になったら、イノベーション判定か

真似の進歩とクウォンタムジャンプ的進化

真似の発展段階を定義する

所作を真似ると発生するエネルギー


ついつい深みにはまることも考えられるし…。
うーん、時間があるだろうか…。


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