【成長戦争】担当編集・川戸崇央さん(雑誌『ダ・ヴィンチ』編集長)をインタビュー。
新著『オードリー・タン 母の手記「成長戦争」 自分、そして世界との和解』(KADOKAWA)2021年11月18日、無事発売されております。
ご購入いただいた皆さま、読んでくださった皆さま、興味をお持ちいただいた皆さま、本当にありがとうございます。
駆け出しの無名で、しかも海外在住ですから、刊行記念のイベントも何から何まで手弁当でございます。
それをいいことに、自分がやりたいことをやらせてもらえるという自由を謳歌したいと思います!
というわけで、担当編集の川戸崇央(かわと・たかひろ)さんをインタビューさせていただきました!
今回この成長戦争本の編集を担当された川戸崇央さんは、実は雑誌『ダ・ヴィンチ』の現役の編集さんであり、ノンフィクションライター・北尾トロさんの人気連載『トロイカ学習帳』を長年担当されている方なんです。
北尾トロさんが『オードリー・タンの思考』を川戸崇央さんにおすすめしてくださったことがきっかけで、『ダ・ヴィンチ』2021年6月号(5月発売)の誌面上でインタビューしていただきました。(当時の様子はこちらの過去ブログをご参照ください)
その取材でインタビューを受けていた際、「次は『成長戦争』を書きたいけれど、出版社を決めかねている」と悩みを打ち明けたところ、北尾トロさんから「川戸は信頼できる編集者だよ」とおすすめいただいたのでした。
(この件についてはまた別途、きちんと書きたいと思います。)
そんな川戸崇央さん、この12月からなんと『ダ・ヴィンチ』の編集長に就任されていらっしゃいます!すごい! パチパチパチ!
『ダ・ヴィンチ』編集長に就任された川戸崇央さん(右)と、川戸さん担当編集で『47歳、まだまだボウヤ』を出版された、鬼滅の刃の冨岡義勇役でおなじみの大人気ベテラン声優・櫻井孝宏さん(右)。
(出典:お二人のYouTube対談集『RPG外伝』より。)
『オードリー・タン 母の手記「成長戦争」』の担当編集として、コロナ禍でずっとずっと伴走してくださった川戸崇央さんに、このnoteのためにオンラインインタビューをお願いしました。
川戸崇央さんの近影(撮影:干川 修さん)
以下、ほぼ書き起こしでお届けします。ぜひご覧いただけたら嬉しいです!
ーー今日はありがとうございます。編集長にご就任されたばかりで、お忙しいですよね?
「いえいえこちらこそ、ご出版おめでとうございます。そうですね、さすがにバタバタしています。笑」
ーーでは30分一本勝負で。すごくお聞きしてみたいと思っていたのが、川戸さんが「成長戦争本を制作することは、『ダ・ヴィンチ』のコンセプトに通じるものがある」とおっしゃっていたのが気になっているのですが、そのあたりについて、詳しくお聞きしてもいいですか?
「そうですね。成長戦争本ができた時に、『ダ・ヴィンチ』で北尾トロさんにインタビューしてもらったじゃないですか。そのインタビューの記事を作ろうと思ったときにハッと気が付いたんです」
雑誌『ダ・ヴィンチ』2022年1月号(2021年12月発売)にて、北尾トロさんに著者インタビューしていただきました。
「オードリーさんのお母様の李雅卿さんが書かれた『成長戦争』を、日本語で日本向けに紹介するという本を作ったわけで、それをさらに本を紹介する雑誌である『ダ・ヴィンチ』で紹介するっていうのは、メタな構造といいますか、『ダ・ヴィンチ』自体が本を読み手に届ける、繋ぎ目を目指している雑誌ですから、両者の基幹、根っこの部分が近いなと思ったんです」
ーーそれは最初にこの企画が出た時から感じられていたんですか?
「いえ、最初は気付いてなかったですね。
単純に『自分が読んでみたい』と思ったのが動機です。
『オードリー・タンの思考』を読んで『成長戦争』がどんな本なのかにすごく興味が湧いていましたし、近藤さんという書き手に対してもすごく未来を感じるというか、一緒に仕事してみたいって思いました。その二点ですかね」
ーーありがとうございます(照)。ちょっと失礼な聞き方になりますけど、「わざわざ自分で作らなくても、誰かが作ったものを読めばいい」という考え方にはならなかったのでしょうか?
「言い方が難しいですけど、自負みたいなものはありましたね。
編集者という仕事の中でも、本を取り上げる雑誌の編集者という性質上、毎日たくさんのものに触れさせてもらっているので俯瞰するような目線になっているのもありますし、『オードリー・タンの思考』を読んだ流れもあって、近藤さんにできるだけ好きなように泳いでもらった方がいいだろうなという考えがありました。
それを一番近いところで見ていたいっていう、編集者の性癖みたいなものもあったかもしれません(笑)」
ーー川戸さんは私の『オードリー・タン 母の手記「成長戦争」』の出版前月に、声優・櫻井孝宏さんのご著書『47歳、まだまだボウヤ』も担当されています。普段から雑誌『ダ・ヴィンチ』の編集をしながら、書籍編集もされているんですよね。
「そうですね。うちの編集部がけっこう自由な雰囲気なので、雑誌を作りながら書籍も作るというのは、この編集部に来た頃からずっとやっているんです」
ーー雑誌編集出身の私としては、雑誌以外に自分で書籍も作るなんて、ちょっとすごすぎる…と思ってしまうんですが、いくら大変でも「この本は自分が作りたい」と思う時の共通点のようなものはあるんでしょうか?
「そのテーマに興味があることや、『これぞ』と思うということはあると思いますが、共通点はやっぱり、自分が読んでみたいかどうかということでしょうね。
櫻井孝宏さんの本もそうで、『声優さんの話を年下の男性向けに届ける』というのがコンセプトだったんですけど、声優という世界でプロフェッショナルとして活躍してきた櫻井さんの言葉なら、僕たちも素直に聞けると思ったんですよね。
同じ会社の先輩とかだと何だか素直に聞けなくても、違う世界のプロフェッショナルの言葉だと、すんなり入ってくるようなことってあるよなと。そういう意味で、櫻井孝宏さんの考え方を他の世界でも活かせるんじゃないかなと思ったのが原点ですね。
『オードリー・タン 母の手記「成長戦争」』も同じで、国や時代が違うものを現代の日本にコンバートすることによって、伝わりやすくなることってあるよなと、今回改めて実感しました」
ーー私のことを「好きに泳がせた方がうまくいく」と思ってくださったとのことですが、『オードリー・タン 母の手記「成長戦争」』を作って良かったかどうかの判断はどういうところでされるんでしょうか。売上とかですか?
「実は、売上は営業に聞かないと分からないんですよね(笑)。
やって良かったと思っていますよ。めちゃくちゃいい本できたなって思いますし、自分としても知らない世界を知ることができました。
近藤さんは台湾在住というのもあって、ハブになる存在ですよね。
僕、トロさんとの付き合いが長いのもあると思うんですが、ライターさんたちのことがすごく好きなんですよ。その中で近藤さんは、仕事の仕方が誠実というか、嘘のつけない人ですよね。こういう人がいるんだなってことを知れたのも嬉しかったです。
他の編集者のことは分からないですけど、僕はけっこうそういう感じです」
ーー今回、この表紙をほめていただくことが多いんですが、デザイナーさんやイラストレーターさんなど、関わるスタッフさんを集めてくださるのも編集さんの大きなお仕事ですよね。
編集:川戸崇央さん(雑誌『ダ・ヴィンチ』編集部)
装画:平井利和さん
監修:片倉佳史さん
翻訳協力:高譽真さん
装丁:渋井史生さん(PANKEY)
校閲:向山美紗子さん
地図制作:尾黒ケンジさん
DTP:小川卓也さん(木蔭屋)
「そうですね。今回は普遍性があるファミリーヒストリーの本が作りたいというのがあって、デザイナーの渋井史生さんに相談したら、ほかのオードリーさん関連書籍は表紙が軒並み写真だし、この本はファミリーヒストリーだから、イラストレーションがいいよねという話になりました。
それで渋井史生さんにイラストレーターさんの候補を挙げてもらって、近藤さんも含んだ満場一致で平井利和さんに決まったんですよね」
ーー平井利和さんのイラストも本当に素敵ですし、それを渋井史生さんがすごく上手に活かしてくださったと思っています。すごくタイトなスケジュール内でこの分かりにくい本に輪郭を持たせてくださった渋井史生さんはすごいなって、デザイン拝見した時は震えました。
「決して分かりやすい本ではないですもんね。
制作の過程でもお話しした気がしますけど、オードリーさんのタン家の皆さんがすごく残す才能があるというか、何かを伝えていくことがとても上手な血筋だとは思うんですが、『家族の歴史を含んだ、社会の歴史を残そう』という積極性が祖父母の代まであるというのは、すごく特徴的だと思っていました。
そして僕個人にも、『こういうのが残っていったらいいな』っていう考えがありました。
日本語で綴られた図書として日本に残っていくことが必要というか、何十年後かの未来でも今の子どもたちが大人になって図書館などでこの物語に触れられるように、『形として残しておきたい』っていうのは頭のどこかで考えていたと思います。
そして、せっかくやるなら、できるだけ純度の高い状態でやれたらいいなと思っていました。
普通にやると「天才!」「IQ180!」ってなるかもしれないんですが、そういうのは趣味じゃなくって(笑)」
ーー私もそうなれたら最高だと思います。ただその一方で、普通に会社の経営目線ではそうした本作りってちょっと難しいのかなとも思うんです。作ってすぐに利益を回収しなければらないっていうのはありますよね。もしかして、川戸さんが雑誌『ダ・ヴィンチ』をされているからこそできるっていうことなんでしょうか?
「それはめちゃくちゃありますね。ありがたいことにある程度実績も積んできましたし、『ダ・ヴィンチ』をしっかりやれていればという前提ありきですけど、好きにさせてもらっているところはあると思います。
それに、元々の自分の価値観として『残ってこそ意味がある』っていう、大げさですけど『人類に貢献したい』みたいなものはありますね(笑)」
ーー『人類に貢献したい』?
「『お天道様理論』と勝手に呼んでいるんですけど(笑)。
『人間はいつか死んで、残るのは思念だけだ』って、同じようなことが『サラリーマン金太郎』だったり『鬼滅の刃』でも言われてますけど、世の中が良くなるようなことを積み重ねて行けばいい、お天道様が照らす方向に自然と草木は伸びるのだから、それで十分だと思っているところがあります。
自分は編集者の立場としてそれをやっていけば良いのかなと」
ーーそれは初耳でした。コロナ禍で一度もお会いしないままご一緒させていただいた仕事が終わって、今こうしてやっと川戸さんのことをお伺いできるような状況になったと思うので、その価値観についてもう少しお伺いしたいです。
「こんなんでいいんですか(笑)。でも、そういう価値観は割とずっと前から持っていましたね」
ーーずっと前というと、どのくらい前のことですか?
「世のため人のためっていうか、世の中に貢献したいっていうのは、大学生の頃から思っていたかもしれません。
僕の出身は、岩手県の野田村っていう、ドラマ『あまちゃん』の舞台から10キロほど南の方にある人口3千人くらいの村なんですけど、そこから岩手の盛岡一高っていう進学校に入ったんですね。そこで出会った筋骨隆々な先生に「お前は東大に行け!」と肩をものすごい力で叩かれながら言われて(笑)、そんなもんかと思って目指すことにしたんです。そんな感じで田舎に生まれ育ったバックグラウンドがあるから、『自分の力を人のために使うのは当たり前だ』っていう価値観を持ったまま東京に送り出されているんですよね。
大学に入ったばかりの頃には、教育関係の仕事に就きたいなとか考えていました。
そこから色々な出会いがあって、今の会社に入っているんですけどね」
ーー聞いていてちょっと思ったんですけど、川戸さん、オードリーさんのお父様に似ていませんか? オードリーさんのお父様も、暮らしていた地域で二番目に国立大学に入学して、台湾のためにジャーナリズムを実践されたり、今も青少年に哲学を教えていたりしますよね。
「それはちょっとおこがましいです(笑)」
ーーここで、ちょっとだけおさらいしてもいいですか? 川戸さんは新卒入社なんでしたっけ?
2010年にメディアファクトリー(注:2013年にKADOKAWAに吸収合併された総合出版社)に新卒で入りました。
半年間は必修で営業研修があって、その後の半年間は書籍編集部に配属されました。
2011年の震災直後、二代前の編集長が退職するのを機に4月から『ダ・ヴィンチ』に異動してからずっと編集部に在籍しています」
ーー震災の年だったんですね。
「そうですね。2011年は、9月に長男が生まれた年でもあります。
震災の頃はちょうど高校野球に関するノンフィクション本を作っていたので、3月4日から岡山に出張していたんです。
出張前夜に妻から妊娠を告げられて、まだ新卒1年目の若造ですから『おおお、そうか』ってなって、『でも明日から出張だから、とりあえずちょっと行ってくるわ』ってなったんですけどね。
八日間の出張予定だったんですが、その間に父になる気持ちの整理もできてきたところで、出張七日目に震災が起きました。
岡山は揺れがなくて地震の影響もなかったんですが、東北の実家が大丈夫かどうかも不安だし、何より東京には身重の妻もいるので、東京の友人に自転車で家まで行ってもらったりしました。
それで、震災の直後に『ダ・ヴィンチ』への異動を言い渡されて、4月からは雑誌やりつつ書籍も作るっていう生活が始まりました。
そのうえで9月に子どもが産まれたので、最初の数年は家庭も仕事もめちゃくちゃ大変でしたね。
夜中の2時3時、忙しい時は4時5時まで会社で仕事して、帰ってから子どもを保育園に送って、ちょっと寝てから出社してっていうのを繰り返してました。あの頃はめちゃくちゃしんどかったです(笑)」
ーー普通に雑誌を作るだけでもきついのに、書籍も、そしてお子さんもとなると、本当に想像を絶します。雑誌の編集長になられた今、編集者や編集長として、世のため人のためにやれることがあるという実感はありますか?
「そこはたとえどんな仕事をしていてもブレないと思います。ボランティアとか違うアプローチもあるかも知れないですけど、今は編集長の職に就いたばかりで変化の真っ只中にいて、いろんな観点から物事を見させてもらっているので、またこれから先も変わっていくのかなとは思います」
ーー確かに、今月編集長になられたばかりですものね。(インタビューは12月8日に実施)
「今は、『ダ・ヴィンチ』にしても会社にしても、ものすごく蓄積がある場所なんだなっていうのを感じる日々ですね。
ちょうど、再来年で創刊30周年なんですよ。
(注:雑誌『ダ・ヴィンチ』は、1994年にリクルートが創刊。その後、メディアファクトリーに移管している)
バックナンバーを1号から見直そうと思って積み上げるところまではやって、これから読むところなんですけど、長い歴史のある雑誌ですし、元々リクルートが出していた情報誌が、今は小説や漫画を中心にエンターテイメントを幅広く扱う媒体になっているという世の中の流れもそうですし、この媒体に関わってくださった方ってとても多いんですよね。
『ダ・ヴィンチ』を作り続けていた方たちがいるから今があるし、本を作る人がいるから『ダ・ヴィンチ』が続けられたわけだし、その両者のことを、ものすごく応援したいっていう気持ちが自分の中ですごく強いです。
『ダ・ヴィンチ』というと、小説のイメージが強いかも知れないんですけど、僕自身は本の虫ということもなくて、アニメも観ますし、ノンフィクションも好きです。
これから編集長としてどのようにこの媒体を受け継ぎ、作っていくのかというのはまだ考え中ですが、個人的には『本の雑誌』としてフラットな目線で出版業界を応援し、元気にしていきたいと思っています」
ーーとっても素敵なお話がお伺いできて嬉しいです。川戸さん、ありがとうございました!