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34年連れ添った電子ピアノ「クラビノーバ」とさよならします。

年末掃除のついでに長年連れ添ったクラビノーバを処分することにしました。

我が家の電子ピアノクラビノーバCVP-65

思い起こすと色々なことがあったなと思い、供養のつもりでここに書き記します。

バブル真っ最中に父が購入

その日は私の誕生日でした。
学校から帰宅するとアップライトピアノがなくなっており、そこにはなんとピッカピカの電子ピアノが!

「いや、待って!アップライトピアノのほうがよくない?」
と思った方。

確かにそうなのですが、我が家のピアノはとっても古く、鍵盤がめちゃくちゃ重たかった
小学生の私は力が弱く、思い通り音が出せないことに苦戦していました。

そんな娘をみて両親がこっそりそのピアノを売り、当時大人気だったYAMAHAのクラビノーバを購入してくれていたのです。

※イメージ

帰宅瞬間、憧れのクラビノーバが家にあり、私は号泣。
嬉しくて嬉しくて、本当に飛び上がるように喜びました。

建設業で働いていた父はバブルを謳歌しており、新居を建てたばかりなのに40万円するクラビノーバを購入してくれました。

ピアノの良し悪しもよくわからない両親は、”ただただ金額が高いからよいだろう”という感じで買ったみたいで「40万したんだぞ!」と父がにやにやしながら何度も話していました(だから金額を覚えている私)。

※調べたところ、46万円で販売しており、1991年にグッドデザイン賞を受賞した商品でした。

私がクラビノーバを弾き、父がギターを弾き、母が歌う。即席家族コンサートをよくやっていました。バブルの幸せ絶頂期でしたね。

フロッピーディスクの伴奏に合わせて演奏したり、音を変えたり、リズムも入れたり。

フロッピーディスクドライブ。自動演奏など楽しめます。

クラビノーバは小学生の私に音楽の楽しさをたくさん教えてくれました。とにかく毎日毎日楽しく演奏していました。

屋久島へ

中学2年生の春に、私は屋久島に引っ越しをしました。
ちょうどバブルがはじけた直後だったため、我が家は多額の借金を抱えてしまい、離散。
父は関東に残り、借金返済生活に入ります。それ以外の家族は新天地、屋久島へ。
借家は狭くて荷物が置けないとわかっていながら、クラビノーバは連れていきました。

4畳半、田の字型の小さな借家には不釣り合いなくらいどっしりと存在感のあるクラビノーバ。
古い家だったので畳に置くと重さで沈み、そのまま落ちるんじゃないかとびくびくしていました。

借家は白アリに侵されていました。紙・木など繊維のあるものはことごとく食べられていく環境で、2日ほど段ボールを畳の上に置きっぱなしにしただけでシロアリが大量発生するような家でした。そんなシロアリの攻撃にもひるまず、島特有の突然の停電にも負けず、クラビノーバは動き続けました。

中学3年生でピアノを辞めてしまった私ですが、よく弾いていたのは「ドラクエ」。町の曲は好きでしたね。
久しぶりに弾いたら半分くらい弾けました。覚えているものですね。
イメージとしてはこんな感じ↓

また、近所のおばあちゃんたちが我が家に集まった時は多重録音した曲を再生して歌を歌ってもらったりもしました。

このころ、コードを覚えました。

転校生で、村はずれに住んでいたので一人の時間が多く、そんなときはクラビノーバを弾いて楽しい時間を自分で作っていた気がします。

大学に進学

屋久島高校を卒業した私は、島を離れ、静岡の大学に。
さすがに一人暮らしでしたのでクラビノーバは連れていきませんでした。

大学を卒業してから、私の家族はシロアリ天国の借家を離れ、新たな借家に引っ越しました。その後も両親はさらに引っ越し。そのたびに「娘の大事なピアノだから(オレが40万払って買ったピアノ!)」との思いで誰にも弾かれないピアノを連れていってくれました。

里帰りでまた弾く

大学4年生の春、私は妊娠をしました。後期から休学をして妊娠7ヶ月くらいから1年間屋久島へ里帰りをしました。

※イメージ

その時もクラビノーバをよく弾いていました。当時よく弾いていたのはジャズ。
Waltz for Debbyを練習しましたが結局マスターできませんでした。胎教にもよいかと思い、自分の弾いているピアノだけでなくCDでピアノジャズを聞かせていましたね。

佐世保に来る

大学生の時に出産した娘が小学校に上がるとき、佐世保に引っ越します。

それを見計らって、両親が「クラビノーバを送る」と言い出しました。
屋久島から佐世保までの送料は8万円かかりました。そんな高い送料をはらってでも両親はクラビノーバを使ってもらいたかったようです。

私も自分が使ってきたクラビノーバを自分の娘に使ってもらえると思うととても嬉しくなりました。
長女は小学2年生から小学5年生くらいまでピアノを習いました。

佐世保でも活躍

長女が弾かなくなってからは、今度は私が弾き始めます。
次女が3歳くらいになったころから、私はママさんコーラスに入りました。

最初は歌う専門だったのですが、ピアノが弾けると知られると伴奏にも携わるようになりました。
編曲も頼まれ、育児と仕事で忙しい中、夜中にイアホンをつけて弾き続けました。

転機

次女もピアノを習いたいと言い出したので小学3年生からスタート。
けれどなかなか楽しめないようで、あまり練習しませんでした。1年で辞めてしまいました。

このころになって、私のクラビノーバの鍵盤がとても重たいことに気が付きました。
たまにグランドピアノで弾くとその軽さに驚くのです。
こんなに重たかったら楽しく弾けないよな……。
自分が中古の重たいピアノを弾いていたころを思い出しました。

私ももっと軽いタッチで弾けるピアノが欲しいな。

そんな気持ちがふつふつと湧いてきてしまいました。

調べるとコンパクトな電子ピアノがたくさん。
私のクラビノーバはとにかくでかくて重たい。比べれば比べるほど新しいピアノが欲しくなりました。

奥行きも幅もあり存在感抜群です

けれど、今は誰もピアノを習っているわけでもないし、緊急性がない。

娘もピアノをやめてしまい、私もしばらくはピアノを弾く機会もないので、思い切って処分することを決めました。

もう二度と電子ピアノなんて買えない、そう思っていた気持ちがありました。
けれど、今ライターとしてお仕事をいただくようになって「また新しいピアノを迎えられるのでは?」と思い始めたところがあります。

けれど、ピアノはあくまでも「娯楽」。最優先事項ではない。でももし、貯金ができるようになったら必ず買いたい。そしてまたピアノライフを楽しみたい。自分の夢ですね。

いつか新しいピアノを迎えるために、今、彼女とサヨナラします。

34年間、長きに渡り、楽しい思い出を作っていただきました。
本当にありがとうございました。お疲れ様でした。
ちなみに、取引料2万円かかるとのことでした…。供養代ですかね。


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