【体験ルポ】江戸の町人文化が大爆発!400年続く唐津くんちに行ってきた!
こんにちは!長崎のライターやえのです。
11月2、3、4日に開催された佐賀県唐津市のお祭り唐津くんちに行ってきました。
唐津くんちは400年続くお祭りで、ユネスコの無形文化遺産に登録される日本を代表するお祭りの1つです。
この記事では取材で伺ったお話などを織り込ませながらお祭りの様子をお伝えします。
エンヤ!エンヤ!
唐津くんちって?
唐津くんちは佐賀県唐津市で400年続くお祭りです。
くんちって、九州だとあちこちで行われている秋の例祭なんですよね。くんちは長崎だけじゃない。規模は小さいですが佐世保にも亀山神社に奉納する佐世保くんちがあります。
唐津くんちは街の中心部にある唐津神社に奉納されるお祭りです。
唐津神社の口伝によると1663年に神様を神輿に移し、縁起の地とされる西の浜までお連れするご神幸(しんこう)が行われたことが始まりとされています。
西の浜はご神体が上がったとされる神聖な場所。ここに神様をお連れすることを御旅所神幸(おたびしょしんこう)とよびます(唐津くんちだけでなく他の地域にもある)。
唐津くんちの魅力はなんといっても豪華な曳山(やま)と呼ばれる山車の存在。町ごとに14基の曳山があります。
小学生の子どもから大人まで200人以上の曳子が「エンヤ、エンヤ」と掛け声を上げながら2トンほどの曳山を引き、唐津市内を練り歩きます。
曳山がくんちに登場するようになったのは1819年。江戸中期にあたります。
刀町の石崎嘉兵衛という人がお伊勢参りの帰りに京都に立ち寄ったことがきっかけになったそうです。京都の祇園祭を見物したところ、山鉾(やまほこ)に感銘を受け、「唐津くんちでも作ろう!」と始まったとのこと。
それが一番曳山、赤獅子の誕生です。
そこから各町が競うように曳山を作り、現在の14基となりました(もう1基あったが消失したとのこと)。
町人文化の象徴として
取材に同行くださった唐津市の職員で学芸員の黒田さん(地域交流部肥前名護屋城室)にいろいろ教えていただきました。
「江戸時代に武士に抑圧されていた町人たちが、プライドをかけて行ったのが唐津くんちです」
曳山が始まった時期は化政文化といって町人文化が顕著に発展した時期。
とくに唐津藩は海産物、お茶、生糸、紙、捕鯨、唐津焼など豊かな資源を持っていました。それを売り買いしていた町人たちは武士たちよりも豊かな暮らしをしていたそう。
時代は江戸。
「士農工商の身分差別がある時代でしたから、町人たちがどんなに裕福であっても華美な暮らしはご法度と武士に抑圧された暮らしをしていた。町人たちは武士よりもいい暮らしをしていたために、やっかまれていじわるをされていたような時代でもあったんです。」
その抑圧された暮らしを爆発させたのが唐津くんちでした。
「唐津くんちは町人文化を見せつける場でした。豪華な食事や格好、漆や金箔で塗られた曳山など、贅沢を尽くしたんです。ハレ(非日常)の場、しかも”神様に奉納する祭り”となれば武士も文句が言えなかったのでしょう。」
そう思うと、唐津くんちは江戸時代の武士社会に対するカウンターカルチャーのような存在だったのかもしれませんね。
そして時代と共にさまざまな変化があっても、唐津が一番華やいだ時代を、祭りを通して再現し続けているのだなと思いました。
宵曳山(よいやま)(1日目)
祭りの初日は宵曳山が行われます。
それぞれの町から曳山が引き出され、14台の曳山が列をなしながら巡行し、唐津神社を目指します。
暗闇から聞こえてくる笛の音とエンヤエンヤという声。
そしてライトアップされて浮かび上がる曳山。なんとも幽玄です。
小さな子供が見たら泣いてしまうのでは?と思うくらい迫力満点でした。
ちょうど進撃の巨人を見た直後だったため
「4メートル級の巨人が来たらこんな感じなんだろうか……。腰が引けちゃうな……」
と余計な考察をしておりました。
御旅所神幸(2日目)
2日目は唐津神社に集合した曳山が順番に西の浜の御旅所まで巡行します。
西の浜につくと「曳き込み」を行います。
西の浜は砂地のため、曳山の車輪が砂地に食い込みます。そこを曳子たちがエンヤ!エンヤ!と力をいれて曳いていきます。
動画は曳き込みがおわって並んでいる曳山の様子です。
12時ころに曳き込みが終わると神事がおこなわれ、15時からまた曳き出しといって西の浜からまた街へ巡行が始まります。
14基すべて撮影できなかったのですが、いくつかいい感じに撮れた曳山を紹介します。
3番曳山 材木町 亀と浦島太郎 1841年製作
4番曳山 呉服町 源義経の兜 1844年製作
5番曳山 魚屋町 鯛 1845年製作
翌日祭(3日目)
3日目は唐津神社から旧城下町を巡行し、最後は曳山展示場にいく流れで夕方には祭りが終わります。
3日目は行かなかったので、3日目の曳子の疲労感と高揚感を感じることはできませんでした。残念!
人によっては涙を流しながら曳く曳子もいるのだとか。
祭りで大興奮
初日は曳山を探して東奔西走。いかんせん、初めてだったのでどこをどう歩いて、どこで待ち構えればいいかわかりませんでした。
歩き疲れているにも関わらず、初日は興奮してなかなか眠れませんでした。
2日目の取材でも1万2千歩歩いて夕方に帰りましたが、唐津の人間でもないのになぜか寂しい気持ちに。
祭りのあとの唐津っ子たちは心の中にぽかーんと穴が開いてしまうそうで。なんとなく気持ちがわかる気がしました。
でも、次の日から唐津の人たちは来年のくんちの準備を始めるそうです。
街が一体になるそんな祭りがある唐津の人々を少し羨ましく思ってしまいました。
くんちの期間は「くんち料理」といってアラの姿煮やら煮しめやら豪華な食事を唐津の人は食べます。町の人なら勝手に家に上がってたべていくらしい(笑)。
出店もたくさん出ていたのに、今回は何も食べずに2日間取材し続けました。
食いしん坊の私が食べ物にも目もくれず、取材したなんて奇跡ですね。でも、それだけ魅力たっぷりのお祭りだったことの証拠だとも言えます。
来場者は45万人いたとか。唐津市の人口が11万人なのでその4倍近くの人が全国から、海外から押し寄せたわけです。すごい!
また遊びに行きたいと思います。
あ、その前に、長崎くんちに行かねば(まだ行っていない)!
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