亡父と上司の墓参り
◆お正月に父親の墓参。BC級戦犯だった父の眠っている久保山霊堂は横浜市の運営で祝日や年始三ヶ日がお休みなので行くのに苦労する。そういう時こそ行きたいのに。ともあれ父には家族の動向を報告。曽孫までできたことを天国で喜んでくれていた。父の特徴を5つ挙げてみる。父は写真の向かって右から2番目。
1️⃣とにかく謹厳まじめ(一度だけお茶碗に煙草の吸殻を捨てたのを妹に注意されたら「お父さんはいつもまじめだから、たまにはいいだろ」と言っていたくらいだった)
2️⃣美男子だった(禁欲的な生活だったが、寄ってくる女性もいたようで、母がヤキモキしていたと父から聞いた)
3️⃣囲碁好きだった(持っていた碁石は最高級品だった)
4️⃣勉強家で記録魔だった(総務課長だったので労働法の本が本棚にビッシリ)
5️⃣子煩悩だった。会社から戻ってきたら必ずお土産を手にしていた。持っていない日に「今日はお土産ないの?」と訊くと慌てて外に買いに行った。
◆上司の墓参りは一週遅れに、同僚だった女性陣と行ったものの、京浜急行が人身事故でストップしてしまい、お墓のある三浦霊園に行けず。公私に渡って引き立ててくれた上司だったが、命日に奇人変人ぶりを紹介したので、今度はリスペクトできると思ったところを列挙。
1️⃣知らない人の資質を測る時は、相手の詳しい分野でなく、自分の得意なフィールドで行うこと。相手がより詳しいジャンルでは、相手の発言が正しいか深いかわからないから。実践してみたら、教わった通りだった。
2️⃣J出版社のM &A案件が常務会で形勢が良くないので相手先に返事できなくて、相手が焦れて乗り込んで来た時に「ユダヤ人のように裏切れ、今は逃げろ」と諭された。副社長時代に本人が受けたA書店のM &A案件でも、都合が悪くなって逃げ回っていて、特販担当役員に「A書店が返事を聞きに来たんだけれど、鶴田さんは何処に行った? お前探して来い!」と怒鳴られたりした。結局は逃げ切って、その書店は別取次に買われていった。「三十六計逃げるに如かず」を身を以って教えてくれた。
3️⃣若い頃に会議でI役員に反論して「(左田野が)無礼で生意気だ」との報告が課長時代の上司に行った時に、夜遅くに同じフロアの上司の上司であるA役員の机の鍵がかかっていない引き出しを開けて「ほら、A役員はいつもM課長をすごく褒めているけれど、査定ではこんなに低く採点しているんだぞ」と考課表を見せてくれて世の中の裏を教えてくれた。それが慰めになったかどうかわからないが、息を飲まれて憂いがすっ飛んだ。
4️⃣部下である女性が課長に昇進して、お祝いに食事に連れて行ってくれた。その場所が浅井慎平の写真が飾ってある蛍光色のトンネルを潜るとプールに出て、その周囲がイタリアンレストランになっている場所だった。お祝いの対象となった女子の感激は最高潮に達した。上司曰く「食事にはサプライズが必要。ハトバスが行くようなお店だけではダメ」。他にも虎のペニスや百足で漬けた白酒を出す薬膳料理店や神楽坂のお座敷天ぷらに連れて行ったりもしてくれた。
5️⃣来年に流行ることなどをピタリと当てた。電通や博報堂の人との交流も多かったので、彼らから日々情報を収集していたのかもしれない。
6️⃣コミュニケーションへの努力を惜しまなかった。例えば藤子不二雄Ⓐ先生との宴席では映画「トキワ荘の青春」(この映画は日販が出資)のDVDを持参して話題作りををされていた。
7️⃣大胆不敵な行動が見られた。例えば日販の歴代最高権力者であった3代目社長の杉浦俊介氏にCCCの増田社長を紹介する宴席途中で「会話がつまらないから出よう」と言い出して、増田社長が「えー、そんなことして平気なの?」と心配しても「平気、平気」とトンヅラ。ふつうならそんなことしたら杉浦社長の逆鱗に触れるだろうに、そうはならない愛嬌があった。
8️⃣出版界に限らず、いろんな業界の方と交流があった。三菱重工の方とか資生堂の方とか他業種の方をドンドン連れて来た。
9️⃣みんなに慕われた。上司にも部下にも取引先にも。敵と呼べる人は思い当たらない。死んだら直ぐに忘れ去られることが多いが、亡くなって13年の今も墓参りの方が絶えない。
🔟「七つ行動指針」を社員に発表。特に②は多くの人を救った。
①仕事をなくすことが仕事
②悩むな、考えろ
③迷ったときは一点突破
④得意に徹しろ
⑤強い思いが場面を変える
⑥絵になる仕事をしろ
⑦理屈は消費者にあり