西日本新聞「最後の戦犯、つづる不条理」
C級戦犯だった亡父の手記に関する記事が、西日本新聞に「最後の戦犯、つづる不条理」として掲載された。紙面にもあるが、父は「西部軍三大事件」の一つである「油山事件」に関与した。「油山事件」は戦争終結による連合軍の追及を恐れた西部軍幹部が、米軍捕虜たちの処刑を、福岡市油山で密かに部下に命じた事件。父は陸軍中野学校を卒業して、配属直ぐの時期だった。当時は上官の命令は絶対だった。できることなら逃げたかった役目であったが、指名されて前に出ざるを得なかった。そして二十歳前後の若い白人兵士を、日本刀で斬首した。処刑された兵士の身体が前に掘られた穴に落ちる音や、処刑後の日本刀についた血を水でいくら洗っても脂が付着して落ちなかったという下りは、手記を読んでいても、生々しさにゾッとした。ちなみに「西部軍三大事件」とは、遠藤周作が「海と毒薬」に描いた「九大医学部生体解剖実験」、島尾敏雄が小説にした「石垣島捕虜殺人事件」である。父が経験した「油山事件」は小林弘忠氏が「逃亡」という手記を著して日本エッセイスト・クラブ賞を受賞して、その後NHKが「最後の戦犯」として井浦新太主演で2008年にテレビドラマ化した。
亡くなった父は、非常に筆まめで、戦犯時期の逃亡生活を日記や絵画に詳細に残していた。上官に責任が及ぶことを危惧して、作家の吉村昭先生からの資料提供要求にも応じていなかった。それだけの配慮をしながら、後世に戦争の悲惨さを伝える意志があったのか、自ら製本した自伝小説仕立ての手記が複数遺されていた。父が亡くなった後で、私は父の戦犯体験を社会に伝えることが自分の責務であると考え、前職の在職時にたまたま日本フィランソロピー協会に「何か書いてくれ」と求められて書いた記事が、日経新聞に取り上げられ、新聞記事が上記の小林弘忠氏の目に止まり、小林弘忠氏のルポをNHKのディレクターが読むという、わらしべ長者式の情報伝播をした。
これ以外にも断続的に諸方面から取材は入り、その都度に積極的に対応させて頂いている。今回の取材は西日本新聞社の東京支社に席を置いている久知邦(ひさし・ともくに)記者の取材と執筆である。まだお若いが戦争や歴史について、よく勉強されて造詣が深い方だった。狭き門を通ってマスコミ業界に身を投じた方は、やはり勤勉にして優秀。記事の執筆においても、父の手記の行間を読み、血の通う歴史考察となっている。キチンと究めて書いて頂いた署名記事は、もはや一種の学術論文であり、ノンフィクションルポである。自分も一度は父の手記を小説にまとめてみて、朝日新聞社の新人文芸賞に応募してみたが、あえなく落選。ほぼ老境に近づいたが、執筆意欲だけは旺盛なので、久知邦記者の取材や執筆姿勢を参考にしたいものである。