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自分が出版業界に進んだのも恩師の薫陶
横浜市立田奈中学校時代の恩師である今野泰男先生(76歳)が昨年末に心不全で急死されていた。クラスメイトと二人でご自宅に焼香に伺った。中学三年生の時の担任だった。僕らはふざけて「こんのじ(痔)」とあだ名で呼んでいた。中学の向かいにあった「珍家」という町中華からラーメンを取って、みんなによく奢ってくれた。当時はずいぶんおおらかな時代で、僕ら男子生徒は騒いだり悪戯したりで、パンチやステッキで今野先生に年中殴られたりていた。でも別に恨むことはなかった。お互いに翌日からはケロッとしていた。ずっと先生は独身だった。寂しかったのか、卒業後の生徒たちのクラス会には必ず顔を出してくれた。お酒が好きで、よくうちの自宅に来て一升瓶を飲み干しながら、酒瓶を抱いて寝ていた。でもコロナ禍で三年くらい会えていなかった。もっと会う努力をしておけばよかった。
僕とは12歳違いで、同じ干支の犬年な上に、誕生日まで同じだった。だからお互いに縁を感じていた。先生の担当教科は国語だった。小学生の頃に山岡荘八「徳川家康(全26巻)を読破していたくらい本読みだった僕は(側室とかの意味はまったくわかっていなかった)、ある意味で可愛がってもらった。中学卒業の時に伊藤整「日本文壇史(今は講談社学芸文庫全6巻で読める)」をもらった。わからないなりに一生懸命に読んだ。黒岩涙香や尾崎紅葉や円本とかを、その本を読んで初めて知った。僕が前職で出版社の社長になった時は、先生は嬉しそうだった。ご自宅で先生の本棚を見せてもらう。意外にも全集や復刻セットが多い。「大漢和辭典」全集があったのは『さすが国語の先生』と思った。今の僕が出版業界に進んだのも、今野先生の影響が大だったと思う。そう思うと何だかつくづく泣けてくる。仰げば尊し、我が師の恩。まだ四十九日前なので、お墓に入ったら、クラスみんなでお墓参りに行こう。
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