ピンクレディとキャンディーズその視線の先にあったもの
友人がピンクレディ「Kiss In The Dark」がアメリカ進出の曲となったというYouTube をSNSでシェアしていた。
【Kiss in the Darkのアメリカ進出】⬇️
https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=a5b7erPit18&feature=share&fbclid=IwAR1J92C6EWKy2aZYx7RQG4iW1Yk9klzQIwv3zFE298wn7lhmQ05x1gO_cRE
この曲は自分も好きだったので聴いていた。その後にピンクレディのシングルカット曲メドレーが流れたので、観るともなしに観ていた。たまたまその画面にはオリコンチャートのランキングとCD販売枚数が出ていたのに気がついた。なぜ気がついたかというと、その数字が劇的に変わっていたからだった。1976年に「ペッパー警部」で衝撃のデビューを果たしたピンクレディ。いきなりチャート第4位、60万枚のセールスを記録した。2曲目の「S.O.S」からはチャート第1位を続け、4枚目「渚のシンドバッド」からはセールスが100万枚を超えた。6枚目「UFO」がセールスのピークで155万枚を記録した。しかし1979年に入ると、人気に翳りが出る。「カメレオン・アーミー」以降、1979年3月の「ジパング」からは一度も1位を取れず、販売実績も27万枚に急落した。「Kiss In The Dark」は14枚目のシングルで、チャートは19位、販売は11万枚。しかし凋落はこれでは止まらない。1980年に出した21枚目「ラスト・プリテンダー」はチャート86位、セールスは1万枚にも及ばなかった。1981年3月の「OH!」で引退となったが、ラストということで、チャート85位なれど、セールスは2万7千枚と持ち直した。3ヶ月に一曲の新曲を歌い続けているピンクレディは、変わらず愛らしく、歌唱力もあり、必死に歌い踊っている。しかし時代が彼女たちを消費して、過ぎ去ってしまったのだ。アイドルでは松田聖子たちが台頭し、ニューミュージックが音楽シーンで取って変わった。
YouTube では、ピンクレディのメドレーの後に「キャンディーズの真実」という、キャンディーズ解散後の番組が出てきた。キャンディーズは自分も大ファンだったのだが、人気の出た後半の活動時期がピンクレディとほぼ重複している。デビュー当時はスーこと田中好子をメインボーカルにしてあまり売れず、2年目の5曲目「年下の男の子」でランこと伊藤蘭をメインに変えてから人気が出た。さらにピンクレディがデビューした1976年には「春一番」のヒットが出たが、それでもチャートは3位、セールスは36万枚と、ピンクレディには及びもつかない。そうこうするうちに、1977年7月17日の日比谷野音コンサート終了間際での「普通の女の子に戻りたい」と引退宣言してしまった。プロダクションの言いなりで意志を持たないはずのアイドルが、自らのことばで掟破りをしたと、社会は衝撃を受けた。ここでキャンディーズは、カウンターカルチャーのような強烈な支持をファンから受けた。そこから引退までの熱狂的な社会現象が始まった。ファンも真剣だったし、3人のメンバーもそれに真摯に応えて燃え尽きた。とうとう最後のシングル「微笑み返し」はチャート第1位を獲得し、83万枚の最高セールス記録を打ち立てた。4時間にもおよぶ1978年4月4日の後楽園球場におけるファイナルコンサートは、今でも涙なくして観ることはできない。
【日比谷野音の解散宣言】⬇️
https://www.dailymotion.com/video/x13foes
キャンディーズとピンクレディは同時代のアイドルとしてライバルでありながら、対照的な動きを見せた。自分がキャンディーズのファンだったから、ピンクレディを貶めようというわけではない。数字は冷酷に語るのだ。はっきり言って、全盛時のピンクレディの市場規模は、キャンディーズなんかとは格が違う。しかしキャンディーズは引退に向けて右肩上がりのカーブを描き、ピンクレディは誰をも寄せ付けないほどのヒットを連発しながら奈落に沈んだ。プロダクションに無断で解散宣言したキャンディーズは世間の支持を集めた。紅白歌合戦を出場辞退したピンクレディは、マスコミにバッシングされた。解散コンサートが満員だったキャンディーズは、私も申し込んだが抽選に外れて券は買えなかった。同じ後楽園球場で荒天の中で解散コンサートをしたが、入場者数は15千人と空席が目立ったピンクレディ。絶対に再結成はせず、それぞれの道を歩んだキャンディーズ。何度も再結成した上に、解散の取り消しまでしたピンクレディ。
ピンクレディはアメリカに打って出て、そこそこの成功をおさめた。全米デビューシングルとなった「Kiss in the Dark」はビルボード総合37位を記録した。米国でピンク・レディーほど活躍した日本人歌手は今のところ他には存在しない。一方のキャンディーズも、コンサートの前半はマニアックな洋楽メドレー。実はピンクレディもキャンディーズも見据えていたのは、アメリカの音楽シーンで、そこの意識は共通していたのではないかと思う。「Kiss In The Dark」は、そんなピンクレディとキャンディーズの高い音楽性と見識を示す一つの象徴だったのではないだろうか。それはメジャーリーグに挑んだ野茂英雄をも想起させる。
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