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「マタイによる福音書」第5章33〜37節「真実を語り、真実に生きる」

11月17日における尾久キリスト教会の広瀬邦彦先生による説教。テーマは「マタイによる福音書」第5章33〜37節「真実を語り、真実に生きる」。

「マタイによる福音書」第5章33〜34節
「マタイによる福音書」第5章34〜37節


 今日取り上げた箇所の主題は「誓い」である。「誓い」とは意外に身近である。結婚式の愛の誓い、裁判の偽証しない誓い、運動会のスポーツマンシップの誓い、取引における契約の誓い、洗礼における誓い。イエスは34節で誓いを禁じている。では教会の結婚式における愛の誓いと矛盾しているのか? これは明らかに誇張表現である。33節ではレビ記第19章12節や民数記第30章など、旧約聖書の引用を取りまとめている。ここでは、偽りの誓いを禁止しているだけである。しかしイエスは一切の誓いを禁止している。
 「誓い」とは「聖書辞典」を引くと「重大な宣言や証言の真実性が快く受け入れられない状況にある時、その主張の真実性を誓いという行為で表す」とある。この状況とは、人が誓う時というのは、ふだんの発言は誤魔化したり、嘘をつくこともある。しかし「これから言うことは信じて欲しい」という時には、神さまを持ち出す。ということは、ふだん言っていることは真実だけとはあり得ないということ。37節の「しかり」はYES、「否」はNOと言えばいいだけ。ちなみに「エルサレムに誓う」という意味は、例えばお金を借りる時に「エルサレムにある神殿にかけて誓う」という意味。返済期が来た時に「神殿には誓ったが、神さまには誓っていない」と債務を免れる人もいる。
 ところで、とんでもない誓いをしてしまった人がいる。それはペトロである。「マタイによる福音書」第26章31節以降には、イエスが十字架に架けられる前に「あなたを知らないとは決して言いません」と誓った。しかし69節以降に3度「そんな人は知らない」とイエスとの関係を否定した。これに先立ってイエスは「鶏が鳴く前に、あなたは3度私を知らない」と言うだろう。実際にペトロが偽証した後で鶏が鳴いて、彼は号泣した。そんなペトロに、イエスは復活後に3度「私を愛するか?」と問うて救った。そんな不親切な私たちを、イエスの誓いは救って下さっている。

イエスを裏切ったペテロとユダ

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