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イースター(復活祭)礼拝は、マルコ伝第16章1〜8節「広く大きなキリストの心」

3月31日の尾久キリスト教会の広瀬邦彦先生の説教。この日はイースター(復活祭)礼拝。題材はマルコ伝第16章1〜8節「広く大きなキリストの心」。

マルコ伝16章1〜8節
イースターエッグ🥚


 今日で年度の最後。多くの人が今日明日で進退を異にする。私たち家族も去年の今日までびわ湖教会に居て、ここ尾久に転任してきた。『もう一年経った』ことに感慨無量。日本ホーリネス教団においても、8年ぶりに家族年会が開かれた。私たち夫婦も、改めてここ尾久キリスト教会の牧師に聖別派遣で任命された。
 今日はイースター礼拝。キリスト教では3つのお祝いがある。1つはクリスマス、次にペンテコステ、そしてイースター。中でもイースターは、キリスト復活のお祭りであるから、最も宗教的に意味がある日と思われる。
 マルコ伝第16章では、3人の女性が安息日明けにイエスの墓に急ぐ。安息日には何もしてはいけないので、その翌朝にイエスの亡骸に香料を塗るためである。当時の墓は、今と違って、洞穴に前室と後室があり、後室に遺体を火葬せずに安置。そして洞穴には直径1mくらいの石を置いた。3人の女性は「どうしたら石を取り除けるか?」と話し合いながら墓に向かった。しかし墓から石はどかされてlいて、そこにいた天使からイエスの復活を告げられた。
 第4節に「目を上げて」とあるが、イギリスのジョン・ストット牧師による有名な談話がある。ちなみにジョン・ストットは米国のビル・グラハムと比肩する有名な牧師である。
「あなたがたの目を上げてください。皆さん方は、もちろん時代の子です。しかし同時に永遠の子でもあるのです。天の市民であって、地上ではよそ者、寄留者、天の都に旅する巡礼者です。ある若い人が道で5ドル紙幣を見つけました。それからというものの、歩くときには目を上げることをしなかった。長年かけて彼が収集した物は、29,415個のボタン、54,172個のピン、12セント。背中は曲がってしまい、惨めな身になった。この若者が何を失ったかを考えてみてください。彼の目はいつも溝に向けられていたので、日光の輝き、星の光、友人の顔にある微笑み、春の花を見ることができませんでした。このようなキリスト者があまりに沢山います。私たちにとって大切な勤めがあります。しかし自分がどのような存在か、自分がどこに行こうとしているかを忘れるほど、それらに心を奪われてはなりません」
 マルコ伝に立ち返れば、天使は3人の女性にイエスからの伝言を伝える。キリストの伝導の起点であるガラリヤの湖での再会を約した。しかしその伝言には多くの弟子たちとは別にペテロを名指ししていた。それはキリストの磔刑を前にして、鶏が2度鳴く際に、ペテロがキリストのことを3度「知らない」と裏切った故。イエスが復活したとしても『どの面下げて会えようか』と煩悶するであろうペテロの心を案じてのこと。現代ではSNSの炎上などによって、匿名で炎上した人をめった撃ちにする。しかしイエスは決して見捨てない。どんなに裏切られても、その広く大きな愛は変わらないのである。

ジョン・ストット牧師

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