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相撲博物館の再開「白鵬展」
初場所中に再開した相撲博物館。コロナ禍でずっと閉館していた。初場所期間中は特別展「第69代横綱・白鵬翔」(以下「白鵬展」)で再開。平常は誰でも無料で自由に入場できるが、いつもとは違って、場所開催中は相撲博物館の入口は閉鎖されており、国技館の内側からしか入れなくなっている。つまり大相撲の観戦チケットを買っていないと入場できない仕組みになっている。この期間は抽選で白鵬だけでなく、栃煌山や嘉風など直近の引退力士公開インタビューもあって、自分が知った時には全て満席だったのが残念だった。その「白鵬展」の展示物は白鵬の写真パネルと装束展。写真パネルは入門当時の体重62kgだった頃や初土俵の姿、そして十両や幕内そして大関横綱への昇進時、あるいはそれを決定づける一番の光景が並んでいる。そして廻しや化粧廻し。化粧廻しは複数の三つ揃いがあり、太刀も展示。さらに日本人としての衣装とモンゴル人としての装束の両方が比較展示されている。いずれも豪華絢爛である。圧巻は優勝回数分の天皇賜杯模杯の立体展示。
白鵬展には多くの人が観覧していたが、非常に若い女性の姿が目立った。退館時の混雑緩和を避けるためのプレゼント抽選会でのプレゼンターとして出口に立っていた時も「キャー、白鵬❣️」という嬌声が飛び交っていた。『白鵬って、こんなに女性に人気があったっけ?』と訝しく思う反面『みんなあんなに取り口や土俵態度を非難していたのに』と割り切れない思いもした。白鵬の引退後に多くの特番が組まれた。放送の中で白鵬が自宅で家族の声援を受けてながらトレーニングに精を出したり、膝の治療を受けたりしていた光景は涙なくしては見れないものだった。そういう報道に、特に女性たちは大きく感情を揺さぶられたのではないだろうか。「家族思い」「今の奥さまが初恋」「土俵を降りれば優しい」「知的で深い洞察の解説」。土俵の悪鬼が、そんなプラスイメージに置き換わった気がする。今や白鵬こと間垣親方は、一時の稀勢の里こと荒磯親方(現二所ノ関親方)や貴乃花親方並みの人気である。
もっとも引退前の白鵬を非難していたのは年配の男性が多かった印象がある。数々の特番を観ながら総括したいことは、晩年の白鵬を手荒い取り口に追い立てたのは「外国人の孤独」であり、モンゴル人力士隆盛の最中で、特にvs.稀勢の里で日本人横綱を期待する日本人(稀勢の里勝利での万歳三唱など)との精神的葛藤から「優勝しかできない」「日本人に好かれない」「休場したら日本人は喜ぶかな」という呟きと、「勝つためには(出来ることは)何でもする」(猫だまし、仕切り線から下がって立ち合い、張り手、かちあげ)という土俵となった。その流れの導火線となったのが先輩大横綱・大鵬の「横綱は負けたら直ぐに引退」との白鵬へのアドバイスだったことも皮肉だった。休場を繰り返して引退しなかったことは、貴乃花と稀勢の里の前例(を横審が黙認)によるところが大きいが、白鵬の場合は亡き偉大な父・ムンフバトへの「東京オリンピックまで現役でいる」という約束を果たすためだったのだろう。そういう意味でも、日本相撲協会の看板としての存在と、家族を大切にする白鵬の生きる姿勢が相克して、世間に大きな賛否を生んだ。今後の角界は実質理事長と言われた尾車親方が定年退職で引退。その後は年齢的に伊勢ケ浜親方や芝田山親方が繋ぐかと思われるが、さらにその後は稀勢の里ことニ所ヶ関親方と、白鵬こと間垣親方が引っ張ることになってゆくだろう。どちらも優秀な人材だが、白鵬には外国人力士としての苦悩を身に染みて感じてきたし、世界の子供たち向けに白鵬杯を開催してきた実績がある。稀勢の里は白鵬の苦しみを反対の立場から最もリアルに見てきた力士だから、今後二人が理事長レースで争うこともあるかもしれないが、お互いを深く理解し合って助け合っていって欲しいというのが、私の願いである。