自分がHSPだと認識したときのはなし
それはコロナ禍だったと思う。
世間では”繊細さん”なんて言葉が浸透してきたとき。
たまたま見たのはネットニュースだった。
なんとなく読んだその記事は
まさにわたしのことが書いてあった。
次の日
すぐに”繊細さんの本”を買いに行った。
読んで自然と涙が出た。
ああ、だから生きにくかったんだ。
みんなこうじゃないんだ。
今までのつらかったことやもやもやしたことが
全て言語化されて飲み込めた気がした。
そして
わたしだけじゃないんだ。
わたしが悪かったわけじゃないんだ。
と思えて、なんかほっとしたような
許されたような気持ちになった。
そして同時に
“わたしって、わたしのことなんも知らないんだな”
と気づいた。
30年一緒に生きてきたのに。
なんか不思議な感覚だった。
そこから
”自分にあった無理のしない生き方”について考え、
“わたしを知る”ことを始めることになる。
(今思うと、こういう思考と対策になるのも
なんとも自分らしい、と思えて微笑ましい。笑)