【筒井八恵_自己紹介】助産師→BizDevキャリアを経て、今感じる社会課題とアンラーニングしてきたこと
私は何者か
2021年11月末、KDDIグループ会社のコネヒト株式会社を退職し、
12月、XTech株式会社の傘下のXTalent株式会社に事業開発担当として加わりました。
●ワーキングペアレンツのキャリアサポート(withwork)
●女性社外取締役の就任サポート(withwork executive)
●DE&I(ダイバーシティ・エクイティ&インクルージョン)を経営戦略に位置づける企業等との新規企画
●新規事業開発 …etc.
をしています。
入社してすぐの現在時点、ワーキングペアレンツの方々のキャリアコンサルタントをしながら、パートナー企業様を増やす動きもしています。
ファーストキャリアは助産師で、当時年間3,500人の分娩件数があった日本赤十字社医療センターでハイリスク妊婦の方を中心に多くのご家族の方と関わらせていただくことから社会人生活をスタートしました。予測だにしないことが突発的に起こる産科病棟で、女性・パートナーの就労環境や様々なバイアス(ジェンダーギャップ等)に社会課題を感じたことをきっかけに、ビジネスパーソンへ転身し、シンクトワイス株式会社での新卒中心のキャリアサポート(CA)、人事コンサル・採用支援(RA)を経て、出産する女性の3人に1人が利用する「ママリ」を運営するコネヒト株式会社に参画しました。ナショナルクライアントを中心に妊産婦や家族を対象としたブランドコミュニケーション・デジタルマーケティングの企画等を経て事業開発部署へ異動し、「社会課題 × IT」をテーマにママリという強大なオンラインコミュニティを活用した自治体共創事業や家族をテーマにした社会事業の0→1を立ち上げる経験をさせていただきました。
振り返ると、20代はいつも「私は何者か」と自分自身に問うことの連続でした。
助産師という人の生死に深く関わるプロフェッショナルな仕事を経て、感じた社会課題が私の20代のキャリア選択の意思決定軸になりました。コネヒト株式会社に入社してまもない時期に書いたブログに当時の課題意識を記載しています。
どんなキャリアを積むか?という視点だけじゃなく、「社会課題の解決 × 自身の問題解決スキル向上」というテーマ軸で意思決定してきたので、女性のキャリアをテーマとしたときに問われがちな「ロールモデルはいますか?」という質問には「いません」としか答えられません。でも、私の周りには医療従事者からスタートアップへ転職したり、起業したりする人がたくさんいたので、そんな方々からいつもエンパワーされてきました。
今感じているIssueを言語化してみる
Issue、社会課題っていうと広すぎてぼんやりしてしまうんですが、今私が働きかけようとしているものは、この2つかなと感じています。
# Issue1:出産・育児・疾病・介護等を表面的な理由に添えた退職を「個人の事情だからしょうがない」と課題視していない
日本女性の労働市場退出の最大要因は、育児や親の介護(プル要因)ではない。仕事への不満や行き詰まり感(プッシュ要因)のほうが大きい
※出典:Japan Portfolio Strategy ウーマノミクス5.0:20年目の検証と提言
▼日本の生産年齢人口の減少
※出典:国立社会保障・人口問題研究所
あらゆる組織の登用・昇進・評価軸が「立ち止まることなく、走り続けている」ことを前提としがち
「子育て支援」だけ存在し、「キャリア形成支援」が伴っていない。
期待を上手に伝え、個人をエンパワーメントできるマネージャー・組織カルチャーが育っていない。
出産・子育てによって、キャリアへの考え方や優先順位が揺れ動く女性が多い中、そういった方々にマネージャーへのチャレンジを促すには「やりがいや意義」「会社や直属リーダーからの信頼と期待」これら双方を本気度をもって組み合わせる仕組みが必要だと感じています。
例えば育児を理由とした中抜け等をする場合、それを受け入れる会社のカルチャーや制度や機能的なチームがないと本人が必要以上に罪悪感をもってしまい、能力が十分にあるのに管理職になることを早々に選択肢から外してしまう、休職等を理由に「自分自身の過小評価」をしてしまう、高パフォーマンスの若い優秀社員がそんな一歩先の先輩世代をみて離職する等、今の日本はこれら事象が未だに多くの企業で頻発しています。
「マネージャーを目指して当たり前」と考える層からすると、自身を過小評価してチャレンジしないメンバークラスを引き上げることのサポートをすることは理解し難い、ジェンダーバイアス等の背景でそもそもそこに意識が向いていない、人事も忙しくそこまで手が回しきれていないというのが実情です。
# Issue2:年齢、ジェンダー、キャリアへの根強いバイアス
バイアスがあると指摘されることを不愉快に感じる等を背景に、
「女性のみを掲げた施策は逆差別だ」と唱えてしまう人の存在
これもまた、根深い課題です。捉えている課題の階層が異なる場合、この歯車の掛け違いが起こると捉えています。これら事象があらゆる企業で起こっている限り、「女性は管理職になりたがらない」という手前の解釈だけで思考停止してしまったり、「女性登用のために別施策をつくるのは逆差別だから特に取り組まない」と唱える企業は減らないだろうなと。
女性役員を登用することについて、目的と手段が入れ替わってしまう企業
最近、社外取締役として名前があがる人の中に多いのが、弁護士などの士業、有名人等です。それら報道をみていて思うのは、女性役員登用に対して、本質性をもって取り組もうとしている日本企業がどれくらいあるのか?ということです。
株式市場からの強い要請、世界的なESG投資ブームを背景に急先鋒的に外資系の機関投資家が「女性の取締役ゼロ」の企業に対して株主総会で反対票を投じ始めていますが、そういった強靭な外圧があってはじめて日経企業へもその力学が働き始めていて、ジェンダー格差解消、取締役のダイバーシティ確保等の議論が進んできています。それら動きに本質性をもって取り組む企業を増やしたいなと切に思う今日このごろです・・。
そのクラスに着任できる女性を育てることを目的に、多くの企業が計画的に取り組むことができる仕組み作りは今後私がやりたいことの1つです。
「そろそろ起業?それとも出馬?」と度々問われてきたけれど、何故Employeeを選ぶのか
佐賀大学医学部を卒業して、就職のタイミングではじめて佐賀を出た私なのですが、実は上京した1番の理由は「日本で一番厳しい病院で助産師スキルつけたあとに起業するぞ!」というものでした。
助産師1年目のときから、東京都助成の女性起業家の集まりに顔を出す等していたのですが、そういうものに参加する度に助産師という自分が病院の外に出た時にビジネスをやろうと思っても、スモールビジネスしかできないだろうなという感覚があり、スモールビジネスをやるなら趣味で十分だなと思いました。それなら起業するよりもサービスやプロダクトが事業会社で「〇〇事業 × ウィメンズヘルス」を立ち上げたり、推進したり、成長に貢献するほうが最終受益者となる生活者、そして社会にとってポジティブなインパクトがあるだろうなと思ったのです。そこから大きなキャリア転換をして現在にいたります。
助産師をやめてすぐ起業するまでの自信はなかったですし、起業はあくまで手段だからと事業の成長戦略を明確に描けるまではビジネスパーソンとして信頼されるレベルになるまで実績を積もうと冷静に考える自分もいました。
助産師起業家たちに学ぶこと
嬉しいことにここ数年で助産師の起業家は増えてきています。
僭越ながら、私が大好きな助産師起業家の方々をここにご紹介します。みなさん助産師を経て直接起業されている方々です。
●株式会社With Midwife 〜すべての会社に顧問助産師という選択を〜
岸畑 聖月 さん
●株式会社じょさんしGLOBAL Inc. 〜いろんな出産。さよなら不安。〜
杉浦 加菜子 さん
●株式会社Private Midwife 〜ママと助産師をつなぐ〜
鉾之原 佳代 さん
●株式会社 nicomama 〜おうちからスマホで相談できるかかりつけ助産師〜
江釣子 千昌 さん
助産師にも様々な専門性があり、みなさんは自身の助産師経験や原体験等をもとに独自の事業に取り組まれています。
おこがましい表現かもしれないですが、私は助産師時代の原体験を大事にしているビジネスパーソンとして、助産師起業家のみなさんの事業グロースに寄与する動きをする、助産師キャリアの多様性を体現していく等、今後も伴走していく相手になれたらと心から思っています。
ITスタートアップで働くということ
コネヒトは優秀なエンジニアがたくさんいる技術集団でもあり、Bizサイドの私が学ばせていただいたことは本当にたくさんあったなと思っています。
出産する女性の3人に1人に利用されるママリは、機械学習の技術を用いて熱量の高いユーザー同士のコミュニティを健全な状態に保ったり、ユーザー体験をよりよくしたりしており、これはまさに高い技術基盤があってのものです。SQLを用いてデータベースから様々なデータを引き出せるので、広告事業においても社会事業においてもいつもデータドリブンな議論ができました。マスアプローチをする上でデータは非常に意味をなします。日本全国のあらゆる女性の声をママリを通じてみることができ、助産師時代とはまた違った対象者のリアルを捉えることができ、さらにはそのリアルなデータを元に様々なステークホルダーとの協業で社会実装への活用、アプリ内の新機能開発等、テクノロジーの力を最大に活用した仕事をさせていただきました。
2019年からはKDDIの子会社として、大企業の資本やネットワークの活用をしつつも創業以来のスタートアップらしい気質や文化は強く継承されています。Slackから派生した声がすぐプロジェクトになったり、裁量のある環境で新しいことへもトライできたり、役員やマネージャー陣とも肩を並べてフラットに議論できたり、本当に素晴らしい環境でした。
ITスタートアップで働くということは、テクノロジーの力を駆使してより多くの人に届く事業をつくるチャレンジがしやすい環境で働くということです。チャンスを生かすかどうかは個人の努力ありきの話ですが、技術の力って本当にすごい。
社会性事業の事業開発を行う中で、自治体・企業との共創事業を立ち上げたのですのが、その中でもママリの技術基盤を生かした地域コミュニティ事業として実現したのがこちらです。
多くの妊産婦やご家族の相談基盤として、自治体のもつ既存システムではもはや限界がきていると思います。時代はDX、Saasに向いていますが、基礎自治体が独自でアプリをつくったりオンラインコミュニティをつくろうとすると莫大なコストを投じる必要があり、そこにオペレーションや継続投資を伴わせる余裕はありません。そこでママリというひと気のあるプラットフォームを活用することで機能実装は最小のコストで、かつ高難易度の自然言語処理などの技術をフルに駆使した形態で、その自治体独自の場所を設けることができるのです。
助産師→BizDevキャリアでアンラーニングしたこと
「郷に入れば郷に従え」的に20代を過ごしてきたなと思います。
助産師時代は日赤の助産師・医師をはじめとした医療のプロフェッショナルに囲まれながら、ハイリスク妊産婦や家族の方々が安全な妊娠生活をし、無事出産ができるように日々、産科知識を常に最新化してきました。シンクトワイス時代はtoBプレゼンス向上、ベンチャー文化で成果を出すということに向き合う中で、スピード感や多様なメンバーマネジメントのあり方、数字へのコミット等を学ばせていただいたなと思います。
そしてコネヒトでも多くのことをアンラーニングしました。病院→10年目人材ベンチャーの私は、人とのコミュニケーション、仕事の進め方はこうあるべきというのがあったんですが、ITスタートアップ独自のエンジニア文化の中でのテキストコミュニケーションやリアルの融合など、スポンジのようにいろんな色の水を吸ったり出したりすることで学んだことはたくさんあります。
助産師のときは、いわゆる医療的知識に紐づけて事象を捉えて「観察→助産診断→ケア」という現在起点の思考ルートをたどることが多かったのですが、BizDevの場合は「構想→アセット想起→戦術立案」という未来起点の思考ルートをたどることが多いので、仕事を進める性質が全く異なるなと感じています。仮に社会課題の解決というゴールがあったときに、AとBの手段があった時に、医療従事者視点だと理論に当てはめてAを選ぶのですが、ビジネスの視点では他事業とのシナジー効果や経営指標やステークホルダー間の関係性によって、Bを選ぶほうが中期的に結果が良い、というケースがあることは大きな学びでした。
●Special thanks:高橋 恭文 さん(コネヒト株式会社 執行役員)
3年間たくさんありがとうございました!
29年間を振り返る
本章は詳細すぎる私の自己紹介ですので、
さらっと読んで(or 読み飛ばして)いただけたらと思います。
【生まれ〜幼少期】
1992年5月1日佐賀県唐津市生まれ。「働かざるもの、食うべからず」が口癖だった高校教師の厳格な父と栄養士の母がおり、幼い頃から父に「人って何のために生まれてきたと思う?」と問われ「人のためになることをするため!」と答え「人のためになる→人の生命を救う人→医師を目指したい」いう思想を小1の頃から強く持つ。学校から帰ると「声に出して読みたい日本語」を2時間ほどかけて毎日妹と音読(般若心経やら平家物語やらを今でも暗唱できます…)。塾には一切通わない中でも「何事も1番手にならないと意味がない」という父の教えを着実にインプットし、プレッシャーを感じつつも愚直に勉強。そしてなぜかゴリラのモノマネばかりしていた。
【中学校〜高校】
汗と涙ともに有り、な青春時代。佐賀県佐賀市の学校で中高ともに剣道部の女子キャプテン、ポジションは大将。クラス単位では度々学級委員長をした記憶あり。周りは文武両道なメンバーが多くすごかった。医師になるために医学部を志した。(そして父が怖すぎて私に反抗期という時期はなかった・・)
【大学】
佐賀を出てはダメ&浪人は許されなかったので親の言葉を守り、佐賀大学医学部へ。それまで敷かれたレールの上しか歩いてこなかった反動がここで来た。大学1年生の時にインド、コルカタでホームステイをしながら「死を待つ人の家」でボランティア、ネパールの小学校で日本文化の授業等をし、ここでやっと視野が開く。帰国後は中高生向けにジェンダー・セクシュアリティテーマのピアカウンセリング活動やファシリテーション研修企画、九州地区で看護学生団体の立ち上げ、コメディカル学生との企画。気づいたら看護師実習中も、病棟実習終了後にほぼ泊まり込みの研究室で、自分主催のイベントの企画書作成、登壇打診、メディア連携等をしていた。助産実習中は24時間体制のオンコールだったので、夜中の2時でも電話がかかってきたら即ナース服に着替え、病棟の階段を5階まで駆け上がり、完全装備で陣痛のきた産婦さんを迎え、分娩介助。10名の事例を経験できないと国家試験の受験資格がもらえないので、5ヶ月間死にものぐるいだったなという記憶有り。あだなはPTA。
【大学卒業〜現在】
職歴は上述しましたが、プライベートだと病院敷地内の生活だったので佐賀→渋谷区広尾住まいへ。大使館が周りに沢山あるので、自称大使館勤めの外国人の方と仲良くなったり、夜勤生活のリズムの関係で西麻布・六本木・青山・恵比寿出没率高めな生活をしたり。助産師生活における刺激が強すぎた分、閾値がとても高い状態になっていたなと今は振り返る。新卒は忘年会で体を張って一芸しないといけない伝統があり、そこで披露したチアリーディングのダンスのみ新卒1年目で唯一褒められた体験。でもなぜか貫禄だけは顕在で、他病棟にいくと「師長さん!」と呼び止められた経験が数回あり。
そして大学時代は一番結婚が遅いor一生結婚しないであろうと言われていた私が、同級生の誰よりも早く25歳で結婚。パートナーも私も新しいことを学ぶことが好きで、私はヨガのライセンスを取得したり、中小企業診断士の勉強をしたり(現在一次試験の科目合格どまり)しています。リカレント教育の時代なので、折を見て大学院、海外のビジネススクールにいきたいなと思っています。
20代のテーマは母子保健、これからは?
大学時代からずっと、母子保健やウィメンズヘルスをテーマに活動してきましたが、30代を目前にしたこれからは下記テーマを据えて挑んでいきたいと思います。
●ワーキングペアレンツ
●ダイバーシティ・エクイティ&インクルージョン(DE&I)
●エンパワーメント
よろしくおねがいします!