私の好きなものは私だけのもの
12年付き合ってきたメガネ君と私だが
その中で私が価値観を変えたところがある。
それは「私の好きなものは私だけのもの」ということだ。
私は誰が何を好きでも、それを全て受け入れることのできるタイプだ。
例えば、お付き合いした人がヘビメタ好きだったとして
私は残念ながらあまりヘビメタに興味がない。
だからといって、相手の好きなものを否定などしない。
「そっか、ヘビメタ好きなんだね。どんなところが好きなの?」
と、相手が「何を好きか」よりも「どのように好きか」を考えると、相手の熱量や知識の深さに感動できるのだ。
オタクも好きだ。私は尊敬の対象だと思っている。
好きなものへの情熱、探究心が並大抵ではない。
【好きならとことん】それくらいがちょうどいい。
話を戻そう。
「私が好きなものは私だけのもの」ということに関してだが
何かに夢中になっているメガネ君は可愛いし、私も一緒に好きになれたら最高だが(苦手だな、好きになれそうにないな)ということは下手に興味を示さないようにしている。
そうすることで
「おや、やえはあまりこれがお好みではないようだ」
と感じ取ってくれて、無理強いはしてこないようになった。
メガネ君も、私がおすすめしたものに対して同様の態度を示してくる。
昔の私と言えば
「私、〇〇が大好きなんだ! ライブのDVDも持ってるよ! 一回見てみて! 絶対好きになるから!」
なんて具合に、自分の好きなものを相手に布教しまくっていた。
好きなものを共有して、一緒に好きになるのは当然だと考えていたのだ。
しかし、今考えると、これは強要だ。
<私が好きなんだから、あなたも好きになってよ>というなんともワガママな無理強いだ。
これに気づいたのは、メガネ君が私にホラー映画を見ようと言ってきた時だった。
(ホラーって苦手なんだよな~)
と想いつつも、メガネ君がこの映画の良いところを熱弁するものだから、勢いに負けて見ることにした。
結果、苦手なものはやっぱり苦手だった。
3日間、お風呂に入るたびにビクビクする羽目になった。
相手が好きなものを共有してくれるのは嬉しいが、苦手・好きになれそうにないことはちゃんと言葉にして言わなければいけないなと感じた出来事だった。
それは私から誰かに布教することに対しても同じことが言える。
相手がそこまで興味の無いことを布教することは、結果的に相手の負担になることもあり得る。
それがわかってからは、相手の反応を見て熱弁するようになった。
私が好きなものは知ってほしいけど、仮にそれが相手に刺さらなくても、それはそれでいいのだ。
「ほら、やえの好きな〇〇があるよ」メガネ君にこう言ってもらえるだけで、なんとなく嬉しくなる。
「相手が私の好きなことを知っている」
ただそれだけで十分だった。
そんな当たり前のことを……という人もいるかもしれないが
案外相手が迷惑していることに気づいてない人も多いものだ。
誰かを変えることなどできないのだから、自分だけはそうならないように心がけようと思っている。