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外見至上主義

私は外見至上主義ですなんて、人前で豪語する人はそうそういないだろう。

実際に、外見至上主義、いわゆる面食いだと人前で言ったとしてそれで周りの人にどう思われるだろうか。

面食いというのを否定しているわけではない。私もそういう人間のうちの1人である。

だが必ず面食いの裏には、内面軽視という印象がつきまとう。

私達は性格だけ見てその人を好きになることは基本的にはできない。(日常的に顔を隠しているわけではないのだから)

ならまずは、外見という第一ステージをクリアした人物のみ、その内面を知ろうとする。
だから、私達は根源的に外見至上主義なのだ。

これを否定する例として、恋人にするなら性格の良いブスと性格の悪い美人などと言う例が良くあげられるがそれは極論であり、実際に否定する材料とはならない。

ここでの性格の悪いはおよそ悪人という意味だろうが、実際そんな人間をまず恋愛対象にするだろうか?実際そういう美人がいたとしても、性格の良い普通顔もしくは美人を探そうとするだろう。なにも性格の良いブスしかいないわけではないのだから。

従って、このような二択など無意味なのである。

美人は性格が悪いという通説をたまに耳にするが、それはブス側の妬みなのだろうか?

性格が悪くなるのだとしたら、美人は小さなころから、周りから可愛がられて大切にされる。ある程度のワガママならば許してもらえる。だから、我慢を覚えない傲慢な人間になる。というながれで他人を慮れない人間になるといったところだろうか。

しかし、ブスもそうなりうると思う。
美人の扱われ方との違いに嫉妬して、美人を恨めしく思う気持ち、自分への自信なさなど性格が歪みうる要素は揃っている。 

現実的には、例に挙げたように美人、ブスともに全員が全員性格が悪くなるわけではない。(だとしたら救いようがない)

性格が一番だと言う人もいるだろう。結婚して、何十年でも経てば、美しさはかつての輝きを失い。ただのおばあちゃんになる。それに、美人は3日で飽きるというし、中身が一番大事なんだ!といったところだろうか?

あなたの恋人、実際にはいない人も想像して欲しい。首から上だけ理想のものにすげ替えても、その人の価値は変わらないか?少なくともマイナスにはならない。では逆に首から上が想像しうる中で最悪の容姿になったとしたら?

性格重視というなら、少しのマイナスだけに留まるのではないだろうか?重視するというのなら、性格70外見30くらいで考えるのだろうから、そうでなくてはおかしい。

さらに、もし盲目だったとしたらどうだろう?
こうなると、相手の顔の良し悪しなともはや意味をなさない。盲目だとしても、その人を知らない状況からまた今と同じように、好きでいれるだろうか?

それでも好きでいれるのなら、本当の意味でその人が大切だということだろう。とても素晴らしいことだと思う。

少なくとも、目が見えていて、外見至上主義の私には無理な話だ。私の好きな外見という「ふるい」にかかった人に恋愛的な興味を示す。

だから、今度どこを重視するかと問われたら、私は外見と答えたい。答えたいが、世間はなんとなく、性格を大事にする人に好印象を抱く気がする。

外見というボーダーを生まれながらに突破できる幸運な人もいれば、整形などをしてなんとか突破した人、それでもなお突破できない人がいる。

ここ最近では二重整形のYouTubeshortsが出だしたりと、整形に対するイメージは以前のように悪いものではなくなってきている。

女性はこぞって、ダイエット・化粧・整形をし、
男性は筋トレ、最近では女性と同様に化粧などをしてできるだけ外見を良いものにしようと努力している。

すっぴんの私と化粧した私どちらを気になる相手に見せたいかといえば当然化粧した私だ。まあ、化粧しないのはむしろマナー違反という価値観もあるので一概に判断はできないが、力の入れ方は違うことは間違いない。

私は周りの目を気にするときは内面が大切でしょと言うが、実際は面食いと言いたいのだ。でもそんなことを言えば異性に怪訝な目で見られることは間違いないだろう。

皆さんはどう考えますか?
もちろんどちらも大切だと言う考えがあることは承知していますが、あくまで外見と内面の二項対立を前提とした話であることはご了承頂きたい。



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