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大人こそ夏休みが必要
学生から連絡がきて、明日からまたネット授業開始らしい。
いつのまにか終わっていた夏休み。
まあ、今日は朝起きて朝ごはん食べて、洗濯して昼ごはん食べて、夕方まで昼寝して、畑に行ってトンボと遊んだ。
一分ぐらい、トンボの前で指をぐるぐるして指を近づけたら、目が回ったトンボががしっと指につかまってしもべとなった。
なんて夏休みらしい夏休み。トトロの世界。実際そんな感じの瀬戸内海の島。コロナ疎開みたいなもので、日常がソーシャルディスタンス。
トンボと遊んでたら畑のボスが「トンボなんて珍しゅうない!」と相手にしてくれなかったけど、人間慣れると感動薄れていくもんなんだよなー。
それこそ北海道の農家で農業実習生としてヤドカリ生活していた時は、見るものすべて目新しくて、満天の星空も天の川も生まれて初めて見た。
毎日18時までの仕事が終わったら急いで住処に戻り、2階のベランダから夕日が沈むのを眺めてた。
「夕陽なんかがそんなに珍しいかい?」
と農家のおばちゃんに言われたけど、空の端は夕暮れで反対側はまだ青空で一番星が輝いている広い空は、言葉にできないぐらい美しくて感動だった。
夜は真っ暗で、街灯もビル灯りもない夜はこんなに暗いのかと新鮮で、月だけが明るくて、ビニールハウスの屋根に流れ落ちる月が甘そうな蜜みたいにとろりと輝いて、まるでおとぎ話の世界だった。
見上げれば満天の星。流れ星がヒュッヒュッと何度も落ちた。願い事は常に心の中で願ってる人じゃなければ叶わないと思った。それほど流れ星は突然で速い。手を合わせてる時間もなく瞬間的だ。
月にかかる虹も初めて見た。月光が花みたいに降り注ぐような幻覚をみた。私は月虹花の花を想像の種として脳裏に植え付けた。それはあの光景と共に思い出の中で開花する。
農作業が日常になって、小屋でのジャガイモ選別にも飽きて、「おら、サボるんでねー」と芋をぶつけられるようになってきた頃にはすっかり生活にも慣れていた。
それでも季節が変われば黄金の稲畑に感動した。農家で精米してる混じりっけのない米を塩むすびにして、黄金の稲穂が風に揺れるのを眺めながら食べた。こんなおいしいものはない、こんな美しい光景はない、トンボが跳んでるのを見てるだけで幸せだ!と思った。
幸せはとは個人が感じる幸福感であり、内的、主観的なものだ。
そういやこの頃は自分の好きなものを小さいノートに絵と共に描いてた。人生辛いと思っても幸福感が蘇るように。黄金の稲穂や虹やプリンの絵を描いていた笑
あの黄金の稲穂の幸福感を誰かにも届けたくて、広大な北海道の畑の風景と空の写真をある出版社の営業の人に送った。
私はその頃、ヴァチカンで降りてきた童話を書いて本を出版したんだけれど、今でも記憶に残るのはその営業の人のこと。私の送った写真をいつもデスクに飾っていると手紙をくれた。あなたの本が少しでも人の目に触れるように一軒一軒本屋を回ってますと書いてあった。ほとんどが返品になったけれど、あの時の感謝と心のつながりは忘れてはいない。
同じ出版社の人が「あいつにそんな力はない、そんなことしたところで無駄だ」みたいなことを言ったけれど、数字以上に大切なものを残してくれたし、その人がいなければその出版社なんて大嫌いになっていた。
きっとあの人にも夏休みが必要だったに違いない。数字数字の世界で疲れてたのかもしれない。あの頃デスクの写真からトリップしていたのかも。
どうして日本人は大人になると夏休みも冬休みもなくなるのだろう。子供の時みたいに自然の中をただ駆け回って感動して、そんな時間は大人こそ必要なのに。
一休さんじゃないけれど、人生自体が本当は「うろじ(この世)からむろじ(あの世)へ帰る夏休み」かもしれない。世界を体感して感動して味わって、本当はそのために地球体験ツアーに参加してきた私たちは夏休みの子供なのかもしれない。
どこにも行けないのならば、せめて過去の思い出にトリップ。
夏休絵日記はいつも心の中に。