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古民家の黒い足跡
これから書く島日記が架空か真実かは捉え方次第。
私が出会った朔太郎さんはイマジナリーフレンドとでも何とでも。
墓場の出会い
私は地元札幌の超ブラック回転寿司屋でのバイトにそれはもう疲れ切っていた。諸々のストレスで腰痛も悪化。そんな時、友人夫婦が所有するリフォーム中の古民家に住まないかというありがたいお誘いが。大好きだった男の子がバイトを辞めて傷心だったこともあってすぐ島へ。ちょうど大学は夏休み。島男子と素敵な恋があるかもなんて思ったけれど、思った以上の超高齢化市場で期待のフラグは叩き折られた。
古民家は昼だというのに中は薄暗く、ゲゲル(水木しげる)先生の世界を感じさせる。土間なんてものも見たことなくて、井戸まであるし、驚いた。
これは元旦の写真。みかんと餅がお供えしていある。
井戸はこんな感じで真っ二つだけど、中はちゃんと使える井戸水で貞子が上がってきそうな雰囲気だ。
で、この真っ二つにしたところの上が新たに脱衣所がとりつけられている。まだ新しい木の床、新しい洗面台、綺麗な脱衣所に私のテンションは上がる、が、なんと初日から怪現象。なぞの黒い足跡が……
これはこの時ついた私の足跡なんだけれども、この場にはこの古民家を管理するお隣さん親子もいた。つまり三人いたのに足跡は一人分。しかも私のだけ。
なぜだ!!!!!
そしてその夜、古民家に一人になると、何やら家の音が気になった。
(まあ、古い家だし、家鳴りってやつだろう……)
そんなふうに思いながら寝ていると、今度は障子に何かがコンコン当たる音……
(いやいやいやいや、空耳空耳。それか虫。虫!虫!虫だけに無視!)
と、ダジャレで心をなだめつつ、その夜は何とかそれでやりすごした。
そして翌朝、歯を磨きに脱衣所兼洗面所へ……
やはり黒い足跡はそのまま……。そうなると、昨夜の物音も思い出されて超気になる。
昼はまだいいけど、夕方になると、なんだかそわそわ落ち着かない。
「よーし、散歩にでも行こうかな!」
日中は暑くて外に出れなかったので、夕涼みがてら外に出た。
薄暗い古民家にいたくないというのもあった。
その古民家は山に向かって上がる坂道の途中にある。坂の下はすぐ海だ。
その時はなんとなく山に向かった。
山の上にはみかん畑がある。そしてなぜかみかん畑の中にはあちこちお墓が点在している。みかんは時期的にはまだで、夕方だからか畑に人の気配はなく、ただの墓場という印象。
高い場所にいくほどお墓があるのは、何かそういう風習だからなのだろうか。でもここまでお墓参りに来るのはたいへんだなぁと思っていると、突然お墓のそばから低い声がした。
「黄昏は逢魔が時……」
人間本当にびっくりすると、声は出るより引くらしい。その時私は明石家さんまの引き笑いみたいな声を出した(というより飲み込んだ)。
「こんな時間にうろついてたら危ないですよ」
そう言って、私の前に姿を現したのは、着物姿の冴えない風貌をした男だった。分厚い眼鏡にぼさぼさの髪で書生コスプレみたいな暑苦しい格好をしている。
「……危ないってなんですか?」
どう見たっておまえのほうが危ない奴じゃないかというのが顔に出ていたと思うけど、男は気に留める様子もなく、どこか飄々とした雰囲気だ。
「この辺はけっこう出ますよ」
男はふいっと目をそらして言う。
「え、出るって何が?」
「猪ですよ」
「え、あ、なんだ、猪か……」
古民家の怪異に怯えていた私は拍子抜けして言った。
「……へえ」
そこで男は初めて興味を示したように私を見た。
「猪が怖くないんですねぇ。それよりもっと怖いものがおありのようだ」
分厚い眼鏡の奥の男の目が一瞬きらりと光った。
「よかったらお話うかがわせてもらいましょうか」
そう言って、男はすたすたと山道を下り始めた。
そして私がついてこないのを振り返り見てさらに言う。
「そこ、出ますよ」
「え、猪ですか?」
「猪じゃないですよ。言ったでしょう?『黄昏は逢魔が時』って。日が沈む前に戻りましょう」
厨二的な登場の仕方をわざとしただけじゃなかったのか……。まさか本当に魔物が出るってわけではないんだろうけれど、お墓のそばに一人残されるのも嫌なので、私は男の後についていった。
男は「望月朔太郎」と名乗った。
年齢不詳、住所不定無職(っぽい)。住所不定というのは、私と似たようなもので、この島が地元というわけでもなく、今は知り合いが所有する古民家の管理人兼留守番みたいな感じで住み着いているらしい。
しかも私がいる古民家とは本当に目と鼻の先のところに朔太郎さんは住んでいた。これで朔太郎さんが私好みのイケメンならば、これこそまさに運命の出会いと思えただろうけど、たとえここが無人島でも間違いは絶対に起きないだろう。
それぐらい男を感じさせないからこそ、さっき偶然会ったばかりの人の家で二人きり、お茶を飲むことにも何ら抵抗も感じなかった。
それよりも、朔太郎さんの住むところは、同じ古民家でありながら、なぜか落ちつくというか、私が住み始めた古民家とは何かちがう。
「へえ、古民家ってどの家も妖怪が出てくるような雰囲気かと思ったら、そういうわけでもないんですねぇ」
私は感心したように朔太郎さんに言った。
「もうここに住んでからわりと経ちますからね。人の住処にするには人が住まないとね」
「じゃあ、人が住んでいない家は何の住処だっていうんです……?」
「人以外の何かでしょうねぇ」
その答えにごくりと唾を飲み込んだ。私は恐怖心からかいつもよりさらに饒舌になり、朔太郎さんに黒い足跡のことや、物音のことをすべて話した。
一通り聞いた後、朔太郎さんはただ一言私にこう言った。
「まずは家の掃除をしたらいいんじゃないですか?」
なんだか拍子抜けしてしまった。
こういう話に興味があるような感じだったし、それこそもっと役立つようなことを言ってくれると思ったのに。
けれど私はこのアドバイスを軽視してしまったことを、後々悔やむことになる。
足跡は古い穢れ
翌朝になってもやはり脱衣所の黒い足跡は消えていなかった。
歯を磨きながらその足跡をじっと見ていると背後から声がした。
「ほう、これですか、その足跡は……」
びっくりして振り返ると背後に朔太郎さんが立っていた。
私は思わず唾液交じりの歯磨き粉をぶっと噴き出した。
「なんで勝手に入ってるんですか! 不法侵入じゃないですか!」
「まあ、いいじゃないですか、土間だし。それに別に侵入者は私だけじゃないようですし」
え?土間だといいの?何その島ルール。まあ確かに土間は半分外だけど……それより、他に誰がいるって????
「侵入者? どこに????」
私がきょろきょろ辺りを見回すと、朔太郎さんはなぜか私を指さした。
「あなたですよ」
「はあ???」
何言ってんだこの眼鏡。ここは確かに自分の家ではないけれど、許可なく住み着いているわけじゃない。
「これ、あなたの足跡でしたよね? ずいぶん体に悪いものをため込んでいたようだ」
「え? どういうことですか?」
その言葉に、さっき一瞬ムッとしたのも忘れて思わず聞き返した。
「この浴室は新しく作られたんでしたよね? まだ人が使いこんでいない場所。ましてやあなたはこの土地の人ではなくよそ者だ。新しい場が異なる場のエネルギーに反応したんですよ」
「はあ……」
何を言ってるのかさっぱりわからなかった。
「まあ、あなたも場を変えたことでそれまでの古い場の汚れが落ちてきたんでしょう。それが新しい場にこびりついた。土の上なら目立たない汚れも、雪の上ならよく目立つ。ただそれだけのことですよ」
……やっぱりよくわからない。
「まあ、あなたがこの脱衣所を使い込んでいるうちに、足跡も消えていくでしょう。どれ、ほかの部屋も見せてもらいましょうか」
そう言って、朔太郎さんは土間から勝手に茶の間に上がった。
「この時計、止まってますね」
茶の間の時計を見上げて朔太郎さんは言う。
「ああ、なんかそれ動かしたら音がうるさそうだから」
死んだ祖父の家の時計も似たようなのがあったからわかる。柱時計はけっこううるさい。ただでさえ夜は眠れないというのに。
「なるほど、時は止まったままか。とりあえず掃除しましょうか」
朔太郎さんはいちいち謎めいたことを言うけれど、聞き返す間もなく次々と何か言ってくる。
「掃除って、別にそんなに汚くないし」
「ほらほら、この部屋とか、とりあえず畳を拭いて、それから窓も拭いた方がいい」
そう言って、朔太郎さんは庭に面した部屋を指して言う。
「別にこの部屋使ってないし、物も置いてないから掃除する必要は……」
「物音がするのは?」
「え?」
「この部屋や土間のほうじゃないんですか?」
「え、なんでそれを……」
「あなたが寝ている部屋以外の場所から音がするんじゃないんですか?」
確かにそうだ。自分が寝ている蚊帳が置いてある部屋から音はしない。障子が鳴るのも部屋の外側からだった。
「まあ、別に音が気にならないなら、その蚊帳のある部屋から出なければ大丈夫でしょう。じゃ、私はこれで……」
「え、気になる、気になりますよ。じゃ、一緒に掃除してくださいよ!」
私は帰ろうとする朔太郎さんの着物の袖をつかんで言った。
「なんで私が一緒に掃除しなきゃないんですか? あなたの住処なんだからあなたが掃除すべきでしょう」
朔太郎さんは私の手を振り払い、さっさと出て行ってしまった。
「何あれ、冷たい……。一体何しに来たんだ……」
結局私はめんどくさくて、言われた部屋の掃除はしなかった。土間も物がごちゃごちゃしているけれど、そのまま放置。
この時は、あとで死ぬほど後悔するなど微塵も思っていなかった。
古民家の怪異
朔太郎さんに言われても掃除なんてくそくらえで私はシャワーの後の晩酌のビールを飲んでいた。
「ようするに、寝る部屋は特に問題ないってことだし、蚊帳はまさに聖域だな!」
古民家は虫が多く、特に苦手なゴキブリが出るので、私は夜は早々に蚊帳の中に避難すると決めていた。
洗い物をしてその夜も早々に蚊帳の中にいた。
「いやぁ、蚊帳天国。蚊帳最高! 蚊帳を提供してくれた島人マダムありがとう!!!」
蚊帳の中にさえいればゴキブリも大丈夫だし得体のしれない物音もとりあえず大丈夫!
ところが!!!!
夜中私はトイレに行きたくなった……。
しかも丑三つ時と言われる時間。
どうもビールを飲み過ぎたらしい。怖いからテンションあげようとしたのにこれじゃ逆効果だ。
朝まで我慢しようかとも思ったけれど、我慢の限界! トイレに行った。
そしてトイレを出ようとしたときに、例の物音が始まった。
しかもその物音は少しずつ近づいてくる。
廊下がみしみしと言っている。しかも近づいてくる?
足音か? あれ?あの足跡? いや、あれは私の……じゃあ、近づいてくるのは誰だ!
トイレから出たい!
だがしかし、トイレのドアの目の前の廊下がきしんでいる! 音の正体を確かめたくはない!!!
しかもあろうことか、トイレの鍵は外側からも開けられる!
これが外側
これが内側。
横に引けばどちらからでも開けられるのだ!
ひぃっ!!!!何か来る!何か来るよっ!!!!!
朔太郎さんが畳と窓を拭けといったあの部屋から!!!!
思えばあれフラグじゃん! ホラー映画でいうともうこれ確実にオープニングのモブのやられシーンじゃん!
それであれか? 朔太郎さんが主役で翌日私の死体を確認してこの島の怪事件に迫る!みたいな? 何それ探偵気取りかよ。それでちょっと金田一耕助ファッションかよ! てかここ八つ墓村かよ!
足音が近づいてトイレの外側の鍵が何かに動かされるまでの間に超いろんなこと考えた。そしてとっさに内側から鍵を押さえた。
こんな時、出てくるお経や聖書の祈りもなく、なぜか頭の中では一休さんのテーマ曲が超高速で流れていた。思えば高校時代、この歌をカラオケで好きな男の子にパンクのように熱唱した熱い女子がいたなぁ!「好き好き好き好き好き好き 愛してる~」って強烈だったなぁ!!!!
ほんとどうでもいいこと思い出しながら必死に内側から鍵を抑えていたけれど、気づけば何の気配もしなくなったし、音もすっかりやんでいた。
それでもすぐにはトイレから出れなくて、結局少し外が明るくなってくるまでトイレにこもってしまった。
ほとんど一睡もできないまま、翌朝、私は朔太郎さんの家に駆けこんだ。
余談だが、ここらは鍵をかけずに出かける人も多く、朔太郎さんの家もいつでも出入りし放題だ。
「その様子じゃ、やっぱり掃除しなかったんですね」
まだ布団の中にいた朔太郎さんはめんどくさそうに体を起こして床にあった眼鏡をかけた。
よく見ると布団の周りにはごちゃごちゃと古い本が積まれてあるし、部屋全体が雑然としている。
「人に掃除しろとか言っといて汚い部屋だな」
寝室までは入ったことのなかった私は部屋の様子を見て思わず言った。
「別に掃除の目的は整理整頓だけじゃない。自分が心地よく住むために住みやすくすることですよ。私はこれが落ち着くんで」
ほんと、ああ言えばこう言う人だな。でもまあ若いと思えば腹立つけれど頑固ジジイと思えば聞き流せる。
「ところで、どうして私が掃除してないってわかったんですか?」
「わかりますよ。大方また物音に悩まされたか、そうだな、例えば掃除してない部屋や廊下をうろつかれたか……」
朔太郎さんはすべてお見通しといった様子だった。でも私がトイレにいたというのまではわからなかったようで、それを言うと意外そうな顔をした。
「へえ、トイレにいたのに、何もなかったとはね。一番住み着かれやすい場所なのに」
「一体何のこと言ってんだかいいかげん教えてくださいよ」
「まあ、私もはっきり見たこともないんでそれが何かは言えませんけど、よせつけない方法だけは知っていたもんでね。だから掃除しなさいとだけ言ったんですよ。なるべく自分の手を使ってね」
「だから、なんで掃除????」
「自分の気配を家に記憶させるためですよ」
「気配?」
「誰も住まない家がすぐ荒れるのは、人の気配がなくなるからです。家にも生気がなくなるんですよ」
「はあ……。家って生きてるんですか?」
「その人の生のエネルギーの場ができるってことですよ」
……なんだかよくわからないので私は黙り込んでしまった。
「生のエネルギーって強いんですよ。人は死を忌み嫌うところがありますが、本来、霊や妖怪と呼ばれるものの類は強いエネルギーの前ではそれほど恐れるものではないんです」
「え、何ですか、ホラーな話?」
「お寺の話」
「寺?」
「お寺って綺麗でしょ?」
「はあ」
「まあ掃除も修行のうちと言いますからね。それこそ廊下の拭き掃除とか。あーそうそう、トイレも綺麗にしますね」
「トイレは私もピカピカです!」
私は得意げに言った。
「トイレ掃除をするとお金持ちになれるとか美人になるとかいうじゃないですか。だから私トイレだけは初日から床も便座の裏も綺麗に拭きあげましたよ!」
「あー、だからですね」
「何がですか?」
「トイレが結界になったんですよ」
「結界?」
「拭き掃除したんでしょう? 手からが一番気が出やすいですからね。人の気配が濃厚なところには、人の気配を避けるものは近づいてはきません。よかったですね」
「だからそれって何なんですかー」
「さあ? 見たことはありませんから」
そう言って朔太郎さんはぽりぽりと頭をかいた。その時フケがその場に散った。
「まあ、しばらく住めば、あなたの気が家に馴染んでくるでしょう。その頃にはあなたも住み慣れてますよ。まあ、もっと早く自分の住処にしたいなら、掃除をせっせとやることですね」
「朔太郎さんは全然掃除してなさそうですけど?」
私が言うと、朔太郎さんは耳をほじくりながら、耳垢をその辺にピッと捨てた。
「ま、この辺りは私の垢にすっかりまみれてますから。それもまた一つの方法ですよ。私は別にこれはこれで居心地がいいんでね」
「げーっ、きったな。帰って掃除しようっと……」
立ち上がって出ていきかける私にさらに朔太郎さんは言う。
「あ、換気もしたほうがいいですよ。特に閉め切っていた家はね。押し入れとか戸棚も一度開けて空気を通した方がいい。何かがこもってるかもしれませんから」
「何かって?」
「人の気配を嫌う何かですよ。まあ、そういうところは臭うからすぐわかります」
「この部屋だって、なんか臭いそうですけどね……」
そう言って私は古民家に戻ると、すべての窓を開け換気した。
そして戸棚や押し入れも全部開けたけど、そこで悲鳴……
出た! Gが!!!!!
それからも私はゴキブリやムカデの気配や登場に悲鳴をあげる日々だった。
ゴキブリが出るのが嫌なので私はマメに掃除した。
物陰に潜まれるのも嫌で、いらないものもどんどん捨てた。
そのせいなのかなんなのかわからないけれど、初日の物音も廊下のきしみもいつしかまったくしなくなった。
今ではすっかり住み慣れて、居心地も良く快適だ。
朔太郎さんの言っていたことの意味は今でも完全には理解できていないけれど、トイレ掃除をすればやはりいいことがあるというのだけは間違いない。