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noteの神さま

note写経

 私がnoteを始めたのは、今の住処にヤドカリさせてくれた友人の勧めがあったから。
 100年前からある古民家で、畑の新鮮な野菜を食べながら、リモート和尚(友人)によるオンライン説法アドバイスで「丁寧な生活」を心がけて暮らしてきた。
 いわばこのnoteは写経みたいなもので、ここ以外でも書いているので毎日書くことで気を鎮めている。

 私にとって書くことはある意味瞑想みたいなもの。

 逆に言うとおとなしく座ってじっとする瞑想ができず、ヴィパッサナー瞑想合宿で電波も届かない田舎で11日間の沈黙生活をしてやっと瞑想ができるぐらい。それぐらい集中力に欠けて気が散りやすい。

 発信することで自分を表現したいというのもあったけど、私は自己プロデュース能力に欠けるので、Twitterもよくわからないし、文章作品も絵も紙芝居作品も、ほとんど人目に触れることがない。
 今だって、このnoteを読んでいる人なんてほとんどいないと思う。

 でもなぜか前回の記事のあと、初めてのフォローのあとにさらに何人かフォローがあった。

 スキやフォローをしてくれる人は貴重なご縁と思っているので、必ず記事や自己紹介を読ませていただくけれど、なんだかすごいなぁーと思う人ばかりで、なんでフォローがついたのかもよくわからない。

 そこで私は思った。

 これは、noteの神に違いない!

 今の自分に必要なメッセージがその神たちの記事の中にはあったし、なんだか励まされている気がして、勝手に感動して感謝していた。

 コメントでお礼とか書きたかったけど、私は本当にSNS弱者でnoteの使い方もよくわかっていない。

 わからない人間って自分が何がわかってないかもわかってないことがほとんどで、何ができるのかもわからないから、「じゃあ、調べれば?」と言われても、何をどう調べていいかもわからない。

 私は自分がこんな感じだから、若者や外国人に仕事や日本語を教える時、まずわかるかわからないかだけ、その都度言うようにと伝えている。「わからない」っていうのがわかれば、何がわからないのかを一緒に探っていくから。

 そういや昔コンビニバイトのとき、おばちゃん店長の言っていることを「わかりません」と言ったケニア人ハーフのバイトの子が非難されていた。
「わからないって平気で言うんだからぁ」と店長が言うので、「わかりません」っていう自分の今の状態を伝えることの何が悪いのかと私が言うと、それさえ反抗と受け止められたことがあった。
 「わからない」は今の状態であって「わかろうとしない」わけじゃない。

 まあでもわからないっていうのは、やっぱりあきらめに結びつきやすくはある。「わからない」から「どうせ無理」になると心も辛くなる。

 辛くなってるぐらいなら、写経写経で心を落ち着かせる。
 それが私のnote写経。

神さまの地球体験ゲーム

 noteの神に話を戻すけど、日本人がすぐ「神動画」とか「マジで神」とか言うのは、ある意味他者の中に神性を感じ取っているからかもしれない。
 唯一無二の神がいる一神教の世界にはない感覚。自然崇拝、八百万の神、神社にお寺に何でもありな日本人は、神を身近に感じる感性を持っているのかもしれない。

 神様が自分を体験するために分裂して地球体験ゲームをしているみたいな考え方が私にはあって、あらゆる経験をするために神様増殖したのかもなんて思ったりしている。

 自分とはちがう体験をしている人がいて、自分ができないことをしていたら、その人は自分ができない体験をしてくれてるって思ったりする。  

 だから例えばみんながみんな結婚したり子ども生んだりしなくていいと思ってるし、それができない自分の代わりに誰かがしてくれてるって考え方。

 自分が本当にそれを望むのにそれができない叶わないってときは、自分が今回この地球体験ゲームの中で、選んでる体験じゃないんじゃないかと思ったりする。

 たとえば、サッカーやるのにバスケのつもりで試合しようとしたって、そんな選手はまずフィールドにすらあがれないんじゃないかと思う。やろうとしているゲームがちがうから。

 じゃ、自分のゲームはなんなんだろうっていうのが根本悩みみたいなもので、「せっかくいいカードもってるのにゲームしないまま終わるの?」と言われたこともあったけど、そのカードが活かせるゲームって何?

 たぶんリモート和尚な友人は、それがみつかればいいと思ってnoteを勧めたのかもしれない。

 たしかにここには神がたくさんいる。記事探しとかもうまくできない私をたまたまフォローしたりしてくれたおかげで神記事が読めてありがたい。

 だけどきっと必要な時に必要なメッセージは届くわけで、そこに感謝しつつ、たまたま自分の言葉が誰かに届くこともあるかもなんて思いつつ、今日も写経noteに励むのであった。


 
 

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