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才能について考える

人に対して諦めない癖


 我がメンターともいえる友人の勧めで聞いてみたみんなの才能研究所(みんラボ)

 才能とは、ついついやってしまう何かであるという。

 私の場合なんだろう?と考えてみた。

 最近でいうとある学生とのバトルがそうだったなぁと思った。

 この学生は今学期ずっと休んでいた。
 このクラスは十人しかいなくてそのうち二人が休学。

 一人は鬱になり入院。この女子はそれでも時々連絡を取り合っていたし、状態もわかるのでわりと安心していた。

 しかし今回問題のもう一人はなぜ休んでるのかもわからない。個人チャットで聞いても「だいじょうぶ」としか言わない。そのくせ毎年一人だけ選抜される日本への留学生に名乗りをあげたというから意味がわからない。

 そして今学期も終わりになり、彼が何事もなかったかのようにネット授業に参加してきた。

 相変わらず事情は言わない。

 事情は言わないにしても、なんだその態度はと思った。

 本来なら必要出席日数のうち三分の一休めば試験資格はない。それでも大学は試験を受けさせるというのだから仕方ない。でも試験についての連絡を何も聞いていないし締め切りを過ぎても課題のスピーチ原稿の提出もしてこない。

 普通ならここで彼を不合格にすればいいだけの話。

 でも私は彼にわざわざ連絡し、早く提出するよう促した。

 彼は何も知らないし、知らないものはどうしようもないと言い出した。

 休んでいて何もわからないのだからしかたないと。
 日本語で書いてくるので、いまいち細かなニュアンスがわからず、彼がどういうつもりで言ってるかも推測しきれないので、中国語で書いてこいと伝えた。

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しかしそれでも彼は中国語で書いてこないし、言い訳ばかりしてくる。

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 そして彼が送ってきた原稿は指示を無視したものだったので、Wordで入力するように伝える。
 夜七時から始まった彼とのやりとりはこの時点で十時。

 やっと本題の修正にかかれるので修正作業に取り掛かる。

 問題点を伝え、明日まででいいので書き直せと彼に伝える。
 私がいつも重要視しているのは、今自分ができる精一杯の努力をしたかどうか。自分があと少しで届くその地点まで到達することを個々のゴールとしている。だから彼にもそれを求めた。

 しかし、締め切りを伸ばしたにも関わらず、彼は秒で原稿を送り返してくる。しかも全然修正されていない。

 さらになかなか修正しようとしなかった彼に私が伝えた中国語の「私の話を聞きたくないのか?」の言い方の修正をしてきた。

 この態度に私はぶちギレる。

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 しかも修正されてないのに修正は終わったと言い張る。
 これに対して「ばかにしてんのか!」と怒る。

 彼のこのような態度にほかの先生たちはみんな愛想をつかして放置らしいし、クラスの班長にも「彼は何を考えているかわからないし関わらない方がいい」と言われている。

 それでも私は彼を放置しなかった。

 「ついついしてしまうこと」が才能というのならば、こういうところかもしれない。松岡修造と山下真司と金八先生が混ざったような熱血ぶりは、もう才能といってもいいのではないだろうか。

 実際、この時、私は試験後の教学材料を早く送るよう言われていて、普通なら優先順位はそっちなんだろうけど、ついつい彼をかまってしまい、無視することができなかった。

 班長などが言うように、彼が反抗期だというのなら、なおさらここはガチンコ勝負じゃ!とすら思った。

 でもここでふと思ったのが、彼は反抗でも何でもなくて、本当にわからないんじゃないか?ってこと。

 世の中には言語が正確でなければ本当に意味が理解できない人もいるし、自分なりに理屈やルールで動く人がいる。ある一つのやり方に固執したり、世間の常識とされることが本気で理解できなかったり。私はそういう人と何人も関わったことがある。

 だからもし彼の「わからない」が反抗ではなく本気で「わからない」のだとしたら?と考えた。

 私は修正部分の何がわからないのかを細かく質問した。 
 普通はわかるだろうということが彼は本当にわからないかもしれないからだ。

 彼が「わからない」を繰り返すなら、何がわからないのかを徹底的に探ろうと思った。

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 しかし、ここまで書いても、彼は線で消した部分を削除して赤字を入れるということができなかった。

 そのくせ、もう修正されたと言っている。

 うーむ、これはどういうことだろう。

 彼は本気でわからないのかもしれないなぁ。

 できない部分をいつまでも修正させても仕方ない。

 ほかの学生にも修正はしつこく要求しているけれど、その学生のやる気が失せるまではやらせないと決めている。

 だからこの彼にもやり方や要求を変化させてみた。

 そういや「舟を編む」のアニメでも、第九話で、相手に伝わらない時に相手に伝わるように言葉や表現を変えることは言葉を愛している証拠だという台詞があった。そしてそれは当たり前のことではないのだと。

 確かによく「なんでできないの?」とか「わかるでしょ!」と言う人がいる。あれ、私はいつも不思議だった。そんなこと言ったところで何か解決するのかといつも思った。案の定そういう人は何も解決しないから一人で怒っていることが多い。

 なるほど、私が相手に伝わるように言い方や表現を変えたりするのも、ある意味才能だったりするのかもしれない。そしてこれも「ついついやってしまっていること」だ。

 そして私は彼に原稿を修正させることができた。

 すでに0時になろうとしていた。

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 最後のこの言葉を見た時、やはり彼は反抗期とかではなく、本気でできないわからないという状態だったんじゃないかと思えた。

 そういや昔コンビニでバイトしているとき、お父さんがアフリカ人の天然アフロの女子がいた。

 その子が仕事のことでおばさん店長に「わかりません」と言ったことを、その子がいない時に店長がほかのパートのおばさんと「わからないなんて言うんだから」と話していた。

 その場にいた私はきょとんとして

「何が悪いんですか?」

と聞き返した。

 店長は「え?」って顔をしたけれど、私はさらにこう言った。

「わからないって自分の状態を伝えただけですよね? それの何が悪いんですか?」

続く言葉は飲み込んだ。

(バイトがわからないことをわかるように、できないことをできるように指示するのがあんたの仕事だろう)

 でもこれ私が学生の時も、先生に対して「わかりません」と言ったら反抗と思われたし、この店長もそのように解釈したのかもしれない。

 本当に私はそういう先生たちが大嫌いだったので、自分は授業で学生が「わかりません」と言えない雰囲気を作らないように心掛けている。答えを間違えると謝る学生も多いけれど謝るなとも言っている。

「先生は学生が何をわかってないのか知らなければならない。それを自分から伝えてくれるんだから、こっちはありがとうって思うよ」

 このように言う。

 そう考えたらこの作文修正ができなかった学生も、本当にわからないだけだったのかもしれないし、みんなができる部分ができないだけだったのかもしれない。

 そう思うと腹も立たなくなった。

 が、彼がそういう態度になった原因は、もっとちがう部分にあった。

会話試験


 彼との数時間に及ぶやりとりと連日の試験で寝不足が続き、とうとう高熱が出て寝込んでしまった。

 しかし同じクラスの会話試験があるので寝込んでばかりもいられない。

 そして会話試験。

 私の会話試験は一人一人と話すので長い。

 50人のクラスで最高八時間半。今週あった31人のクラスでも6時間。このクラスは9人だからそれほどかからないだろうとは思ったけれど、結局3時間かかった。

 そして問題の彼である。

 中国はzoomが使えないので、VooV Meetingで普段も授業をしている。試験は一対一。彼の顔を見ながら話すのはかなり久しぶりである。

 試験課題だけ与えてさっさと会話も終わらせて適当な点数を与えれば楽に済む。でもここでまた私のついついやってしまう癖が発動。

 私の学生の頃も大概だが、彼もその様子がかなりふてぶてしい。愛想もないし、言い方もぶっきらぼう。先生たちやクラスメイトからも色々聞いているが、人に与える印象が悪い。

 しかしこれも私が「ついついしてしまうこと」の一つだが、私は自分が直接相手と話してみないと納得ができない。誰が何をどう言っても、自分が接して感じ取ったものを第一に信じる。しかも文字だけのチャットじゃわからない。これはいい機会だ。腹割って話そう。私の言いたいことも直接言おうと思った。

「今学期ずっと休んでたけどどうしてですか?」

「ずっと気分悪い。家にいました」

「家で何をしていましたか?」

「勉強していましたけど、集中できない」

「私の授業はネット授業だけど、なんで参加しなかった?」

「集中が足りないから」

 ここまで聞くともう一人の休学しているクラスメイトの女子を思い出した。 

 彼女は突然すべてのことができなくなり、うつ病。リストカットを繰り返すので自ら希望して入院した。それでも彼女とはわりと連絡をとっていたし、私のネット授業にも時々顔を出した。
 彼女のようにリストカット写真を送りつけてくるような子たちは、誰かにかまってほしい、苦しみをわかってほしいという気持ちが強いので、普通にやりとりするだけで、安定するところがある。

 彼女のように幼児の頃からの詰め込み教育で大学入る頃には心を病んでしまうという学生が少なくない。さらにはこのコロナで精神病棟は若者ばかりとも聞いた。

 なので私はこの彼もその流れかと思って質問した。

「病院は行った?」

「……長い話です。でも、もう解決しました。今は前と変わりました。がんばってます」

「何をがんばってる? 例えば?」

「……今学期のすべての勉強」

「すべての勉強はもう終わりましたか?」

「終わりました」

 ここまで話して思ったのは、彼はやはり会話能力が高い。彼は今二年生だけど、一年生の時、彼の会話力は圧倒的に高かった。しかし休んでいる間にほかのクラスメイトに成績の面では抜かれてしまった。それでもやはり圧倒的に会話力が高い。聴き取れている。だからこそ今学期を投げ出したことが本当にもったいないと思った。

「前学期と今学期比べて、自分の日本語能力についてどう思いますか?」

「やっぱり変わりました。ずいぶん下がりました」

「そうですね。そう思います。それで、今後はどうしたいですか?」

「学校でのすべての試験が終わったらN2の試験もあります」

「あなたは今学期の試験を受けてますが、本来試験資格はありません。私の授業にも参加していないし。どう思いますか?」

「試験受けさせてもらいたい」

「でもそれ言わなかったじゃん。大学が許可したのだから試験は受けられる。でも私はそれに同意はしない。当然じゃないんだよ!」

 私は彼に自分が不愉快であることを示すことで、彼が自分がしたことで、不愉快になる人間がいるということを教えた。

「先生に対して一言、試験を受けさせてください、お願いしますと言うべきです。これは勉強の問題じゃない。態度のことを言っている!」

 さらに私は留学のことにも言及した。
 普段の授業をおろそかにして、成績がいいからというだけで留学資格を得るということに私は前から納得していなかった。
 私はそれを伝えた。
 少なくとも私はそのように思っている、そのように思っている人間がここにいるのだということを示した。

 私が包み隠さず彼に対してどう思っているかの本音をぶつけると、彼の態度に変化が現れた。

「じゃあ、私は本当は何があったかをお話します」

「おう、何があった?」

「私は、意地悪い人に心を傷つけられました……」

 聞けば、彼は入学当時からちがう学部の先輩(彼曰く、人として認めたくないから「先輩」という言葉はふさわしくないらしいが)に目をつけられていたそうだ。寮が同じだったらしい。
 
 相手はどんなに逃げてもしつこく追ってきて、嫌がらせはずっと続いたそうだ。具体的に何をされたのかは知らない。ただ、彼が深く傷ついているのだけはよくわかった。

 中国の大学の卒業は六月。今月その先輩が卒業したということで、彼は大学に戻ってこれたのだ。

 なるほど、それが彼の言う「解決した」というものか。

 でも、彼はその先輩から逃げるために、大事な今学期を失った。もともと彼は友達もいないし、クラスメイトにもなじんでなかった。誰にも相談できず、寮が同じということは夜もろくに寝られなかったにちがいない。それこそ勉強なんてできなかっただろう。

 なんでそんないじめが起きたのかはわからない。
 しかしどんな理由があろうともいじめは卑劣で許せないことだ。

 でも私はこの時、いじめた相手に怒りが湧くより、なぜかものすごくつらい気持ちになってしまった。彼の表情は変わらないのだが、なぜか泣いているような気がしたし、何度画面を見ても泣いてないのに、どうにも泣いている気がしてしまった。

 しかし実際泣いたのは私のほうで、彼に対して何と言っていいかもわからず、唯一言ったのは

「そうか……つらかったな……」

という言葉だった。

 すると彼の表情が一瞬変わった。

 そして彼が言ったのが

「先生、僕たちは信頼関係ができました」

 よくわからないけれど、彼は心を開いたらしい。

 次は作文の試験があるのだけれど、彼のメッセージの態度も明らかに変わった。

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 こうなってみると、彼はやはり反抗的態度で「わからない」と言ってたんだろうか?とも思ってしまう。

 いや、でも人に虐げられた手負いの獣と考えると彼の態度も納得だ。言葉の端々に不条理な目にあった自分をどうして責めるんだ!みたいなのもあったし。本来なら留学に行けたかもしれない機会も失い、学校生活も滅茶苦茶になり、被害者意識でいっぱいになっていたとしても仕方ない。

 私も少し言いすぎたなぁと思い、一応そのことは謝った。
 すると、彼自身も自分の態度を反省したようだった。

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 何の事情も知らずに彼に対して怒ったこと自体は、私は悪いとは思ってない。何も言わないことでこのように誤解もするし、相手を不愉快にしているのだということを示したのだから。

 それに、過去は過去で今できることをしようと言っているときに、過去の理由があるからできないというのは通じない。その過去を通ってきた今の状態でできるだけのことをやったのか?と私はずっと言い続けていた。

 でも、それと同時に、そんな簡単にはいかないこともよくわかっている。だから一緒にがんばろうと言った。

 さて、長くなったけれど、ついつい自分がしてしまうこと、それはこのようなことかもしれない。

 人に対してあきらめないというか、それが特に若者だと追いかけてでも向き合おうとするところ。これを才能というのかどうかは知らないけれども。

 相手がわかるまで、言い方や表現ややり方を変えて伝えようとすること、要するにしつこいところ。基本気が短いのに人に教えるということに関してはイライラしない。これも才能なんだろうか。

 ついついしてしまうこと=人に対してしつこく向き合おうとすること

 才能を発揮して生きられたらいいんですけどね……。

 転職について悩み始めて早三年。
 
 ヤドカリ漂流しながらも、行きつく先もまだわからず。

 

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