テーマ曲lecca
かなり昔、ともだちの旦那さんがleccaの「おたくgirlsの宴」がまるで私みたいだと言ったのがきっかけで聞き始めたlecca。
確かに昔からマニアックなものに惹かれる性質でそんなことやって何になるの?と言われるようなことばかり熱中してやってきたっけ。
チェロケースをスーツケース代わりにして、北から南は沖縄まで旅してたしな。
もう「スタートライン」なんて私のテーマ曲だったね。
まさに自分も紙芝居師やったりもしてたので俺感半端ない。
この動画の3分47秒あたりからの歌詞がまたグッとくる。
まあ、今でこそ私みたいなヤドカリ人生も「根なし草」と罵られるばかりではなく、それまたライフスタイルの一つと理解してくれる人も増えたし、数多くの職歴も「中途半端」というよりは「知識や経験の幅」として受け入れてくれる人もいる。
でも一時はもうこんな生き方も無理かもしれないと、キリギリスからアリを目指して「まともに就職」しようかななんて思ったり、夢なんてみてる場合じゃないなんて思ったこともあったけど、そんな時もleccaの歌に励まされた。
あれは忘れもしない。本屋にいた時のこと。
なんかもう生き方変えていかなきゃないのかもなぁとどん底状態だったと思う。その時、店でこの歌が流れて、自分へのメッセージだと思って、だーっと泣いたのを覚えている。
聴こえてきたのはこの部分。
めっちゃ魂が揺さぶられたのを覚えている。
特に今の私のテーマ曲といえるぐらい、繰り返し聴いてるのはこれ
島でのヤドカリ生活が強制終了になったみたいな感じがしていたけれど、そのおかげで新たな場所を目指す気になった。
それに、送り返された物のごみ処分したおかげで今の住処の掃除もできたし、ドライヤーやバランスボールなどはちょうど壊れたので、逆に助かった。すべてが「ちょうどいい時にちょうどよく上手くいくようになっている」←これは私の口癖なのだけれど、最近は本当にタイミングがいいと思えることが多い。
自分は子どもの頃から25で死ぬと思っていたから、実際は死ななくて生き延びて残りの人生余生だと思って、チェロケースを背負って旅に出た。
若い頃は悩んでも立ち止まってもやり直しがいくらでもできるけれど、年を取っていくともう残りの健康年齢を考えたら悩んで迷ってる時間もない。
高校時代、毎日顔を合わせることができた同級生も、三か月に一度ぐらいのペースでしか会ってなくて、そう考えたら、元気なうちに会えるのはあと百回も会えないんじゃないかって気がして、会いたい人には会える時に会っておかねばと強く思った。
恋愛もいつもすぐメス化してがっついてしまうから逃げられるけど、今が一番若いのだし、今恋しなくてどうするのだ!と思ってしまう。
恋多き女だった一回り年上の友人だって、今はもうまったく恋愛興味ないと言い出して、自分もあっというまにそうなると思う。それはそれでいいけど、まだできるならしてみたい。
年を取ればどんどん可能な範囲も狭まって、体力的なことも考えたら、選択肢も減っていく。だから今動かないでどうするのか!と思う。
旅の行先だって、地球の裏側までとなると、少しでも若いうちがいいと思うし、中国なんて近いから別にいつでもすぐ行ける。むしろ政治や経済状況考えたらあと10年は戻らなくてもいいかもしれない。
だったら全然知らない世界、もっと遠くの国にも住み着いてみたい。
もうここまできたら生き方も変えない。
そんな時間もねぇ!この体が動くうちに!という心境。
自分を出し切って、いかに人生おもしろかった!と思って死ねるか。
そんな今の心境だからこそ、再びleccaちゃんの曲がテーマ曲になっているんだろう。
もう自分の力を出し惜しんでる暇などないのだ。
若さは日々失われて行って、爆発力も同時代性も気づけば衰え始めている。
今できることをできるだけやる。
残りのパワーをいかにしぼりだして出し切るか。
限界突破しないとその先にはいけない。
そして若くない今は限界を突破する力もあるかどうかというところ。
そのうち動けなくなって、挑戦すらできなくなる日がくるだろう。
人生なんてあっという間。
トライ&エラーを繰り返せるだけでも「生きている」って喜びだ。
自分が自分を一番笑わせて、喜ばせて、
自分にとって最高の人生をプレゼントすることができる。